« Are four heads better than two? An experimental beauty-contest game with teams of different size | Main | はっきりいわないとわからないらしい »

June 21, 2005

「企業の時価総額」は「企業価値」じゃないという話

企業価値について語るとき、よく「時価総額」という表現を使う。いうまでもないが株価×発行済株式総数だ。

うかつに書くと底の浅さがばれてしまうのでいやなのだが、書かないでおくと気分が悪いので書いておく。「王様の耳はロバの耳」的エントリーだ。

「企業の時価総額」って、「企業価値」じゃないよねぇ。

「企業価値」をファイナンス理論的にいおうとすると、たいていは企業資産の時価と表現すると思う。貸借対照表でいえば左側だ。現金とか債権とか、不動産とか有価証券とかいった資産の時価の合計。会計学的な把握とちがうのは、個々の資産の再調達価額ではなく、その全体としての収益力の現在価値で把握することだろうか。乱暴ないい方をすれば「経営者からみた企業価値」(もう少し慎重ないい方では「経営者が制御可能な企業価値」といったところか)ということになる。

しかし資本市場で投資家がいう「企業価値」はちがう。その時点の株価に発行済株式総数をかけたものだ。これをその企業に対する資本市場の評価とみなすのだと思う。いいたいことはわからなくもない。発行済株式総数はあらかじめわかっているし、株価は市場で容易に観察できる。少なくとも企業資産の期待将来収益の現在価値を計算するよりは楽だ。理論的にも、市場メカニズムがきちんと働いていれば、株式の価値は企業価値を発行済株式総数で割ったものになるはず…。

しかし実際にはそうはならない。現実に観察される株価は、発行済株式総数のごく一部だけが売りに出ている状況での価格だ。企業株式を全部いっぺんに売買する前提での価格と、一部だけで売買する前提の価格とはたぶんちがう。

なぜちがうか。ここには2つの力が働いている。相反する方向の力だ。ひとつは市場での需給からくるもの。株式もいってみれば企業資産の一部を表象する「財」でもあるわけだから、供給が増えればその希少性は低下し、価格下落圧力を受ける。もうひとつは、発行済株式総数のうちかなりの割合を持つ場合に生じる価値上昇分、いってみれば「支配権のプレミアム」だ。

この2つのうちどちらが大きいのかはよくわからない。おそらく場合によってちがうはずだ。

当たり前じゃないか、というつっこみが聞こえてくるような気がする。実際、当たり前なのだ。しかしあまりこういうことをいう人はいない。実務家の人たちは、おそらくめんどくさいからだろう。株価と発行済株式総数がわかればいいのだから話は簡単だ。需給で株価が変わることは当たり前だが、どのくらいの影響があるかは事前にはわからない以上、議論してもしかたがない。こんなところだろうか。

では学者の人たちはなぜ黙っているのか。ポイントは、分野によって理論の前提がちがうことだ。互いに相手の分野で理論の前提とされていることには踏み込まないことが多い。たとえば同じ株式の価値を考えるものでも、資産の自由な取引を前提とするCAPMみたいな議論をしているところで、需給やプレイヤー間の情報格差をモデルにとりこんでいるマイクロストラクチャーの議論を持ちこむといやがられる。同じ前提に立たないと議論がかみ合わなくなるからだ。

ただ、だからといって実務家がおかしいとか理論がまちがってるとかいいたいわけではない。それはそれなりに理由がある。そもそも「唯一絶対の理屈」などないのだと思う。ただ、話をするときに、どういう前提で話をしているのかを相手と共有しておかないと、つまらない誤解を生じることになる。経営者が株主のために企業価値を向上させようとする場合、企業資産の価値を上げる方策と株価を上げる方策は、別にどちらが優れているというものでもないだろうが、混同しないほうがいい。

・・・書いてみたらすっきりするかと思ったら、ちっともすっきりしなかった。やっぱり当たり前のことだと思う。なんで他にこういうことをいう人があまりいないんだろう。あまりに当然すぎていうまでもないから皆いわないのだろうか。なんだか損した気分。

※2005/6/21追記
上の文章は、負債のことをまったく捨象している。ほとんどまちがいといってもいいくらいミスリーディングだ。意図したところは、資産サイドからみた評価と市場サイドからみた評価がちがうという話なのだが、負債比率のことを考えに入れておかないと、負債を含まない時価総額と負債によって調達された分を含む企業資産の総額とは合わないのが当たり前だ。一応言い訳しておくと、資産サイドからみた企業の価値、つまり企業資産の総額から負債の時価額を引いたものと、株式の時価総額と呼ばれるものとのちがいについて書いたもの、とでも考えていただければ。

|

« Are four heads better than two? An experimental beauty-contest game with teams of different size | Main | はっきりいわないとわからないらしい »

Comments

「資産の時価-負債の時価」というのは、清算価値としての企業の価値ではないですか。ゴーイング・コンサーンとしては、将来キャッシュ・フローの現在価値と見る方が自然で、市場が十分効率的である場合には、それが時価総額と一致するのではないかと。時価総額が清算価値以上となるのは、企業が利潤を生み成長する存在である以上当然のことであり、その原因を市場の非効率性だけに求めるのはミスリードではないでしょうか。

Posted by: rascal | June 22, 2005 10:52 PM

rascalさん、コメントありがとうございます。
ごめんなさいわかりにくいですね。「資産の時価」と書いているのは将来期待キャッシュフローの現在価値でとらえるという意味でして、「個々の資産の再調達価額ではなく、その全体としての収益力の現在価値で把握する」と書いているとおり、清算価値とはちがいます。
ゴーイングコンサーンとしての価値(企業全体)の1株あたりと実際の株価はちがうよね、というのが趣旨です。
他にもおかしいところがあるかもしれません。もしあればご指摘ください。
ありがとうございました。

Posted by: 山口 浩 | June 22, 2005 11:31 PM

わかりました。多分、素人的には、企業の将来キャッシュフローを「資産の収益力」と考えることのイメージがつかみにくいのだと思います。資産運用損益であれば分かるのですが、一般の事業損益を生むのは、会計上の資産以外の要素も大きいのではと思ったりするので。とは言っても、最近はROA とか誰でも口にするわけですが。

Posted by: rascal | June 23, 2005 12:01 AM

Post a comment



(Not displayed with comment.)


Comments are moderated, and will not appear on this weblog until the author has approved them.



TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「企業の時価総額」は「企業価値」じゃないという話:

« Are four heads better than two? An experimental beauty-contest game with teams of different size | Main | はっきりいわないとわからないらしい »