高齢者が労働参加するとどうなるんだろう
6月24、25日の2日間にわたって、NHKが「日本のこれから:人口減少社会」という番組を放映した。こういう大がかりな番組はNHKならではだろう。「素人さん」たちに延々としゃべらせてもたせる番組作りも民放にはできないだろう。民放ならタレントの司会者が突っ込んでいじり回してしまうところだろう。「しゃべりば」の経験が生きている、のかな。
さまざまな考えがあるものだ、とわかるのはいい。というわけで、番組に参加しなかった私もひと言だけ。
その中に高齢者の労働参加に関する議論があった。視聴者のアンケートでは、70歳まで働けると答えた人のほうが働きたくないと答えた人より多かったそうだが、まあ働ける人は働いて、というのがおおまかなコンセンサスだったと思う。
この問題は少子高齢化に伴う労働力不足とか、女性の社会参加とか、その対策としての外国人労働者の受け入れ問題なんかと裏腹でもあり、高齢者の力を活用することが望ましい方向性として扱われることが多い。少子化によって高齢者を支える現役世代の人数が減ってしまっても、高齢者自身が働いていれば現役世代の負担は軽減されるし、いたずらに外国人労働者を受け入れるよりもすでに国内にいる女性や高齢者を労働力をまず活用するのがスジだ。加えて社会に参加することで高齢者自身も健康で生きがいのある生活を送れるという。いいことずくめだ。
だが。
番組での議論ですっぽり抜け落ちていたことがある。「どんな職が」という点だ。社会に参加する高齢者が、どんな職業につくか、だ。「まだ働ける」と元気な高齢者の皆さんは、どうも「それまでと同じ仕事」を念頭において、それを続けられるといっているように聞こえるのだが、勘違いだろうか。業種にもよるが、その層の人々の中には、いわゆる経営者や管理職のような仕事についている人が少なくない。机にすわって提出された書類を読んで、ハンコを押して、会議で部下をどなりつける仕事だ(我ながらすごい偏見だな)。
こういう仕事なら、病気さえしてなければ70歳ぐらいまで問題なくできそうだ。しかし若年層の皆さん、こういう状態をお望みだろうか。経営者や管理職が「元気な高齢者」に占められている社会だ。いやそれが悪いことだというわけではないのだが、結果として若年層に開かれた「可能性」は大きく減少する。そうなると、一部の若年層の人々はそうした「高齢化された組織」には属さず、自分たちで別の会社なり何なりを立ち上げるかもしれないが、全体として社会の構造が硬直化する方向にいきそうな気がする。
今私たちの社会で最も不足しているのは、賃金が比較的安く、あまり付加価値が高くないとされている業務を担ってくれる労働力だ。就職率が悪いとよくいわれるが、新聞の折込広告をみると、求人はたくさんある。手元にあるものをちょっとみてみるだけで、「オフィス内清掃、六本木の一流ビル、時給1100円」とか「ホームヘルパー、身体介護時給1800円」とか「お弁当販売、車持込で日給6000円」とかいろいろ。このあたりは流動性の高い業種だが、たとえば経済活動のコアを担う建設現場や工場の生産ラインで勤務される方々とか営業現場のセールスマンのような比較的固定的なスタッフも、その仲間に含めていいかもしれない。端的にいえば、「人があまり好んでやりたがらない仕事」ということだ。しかしこの種の仕事をしてくれる人がいなければ、社会は機能しない。
社会を私たちの労働で支えるということは、私たちの誰かがそうした仕事をしなくてはならないということだ。若年層の失業率が高いということは、たとえ求人があってもこういう仕事にはつきたくない人が多いことを占めている。高齢者も同じだろう。いやおそらく高齢者のほうが、いやがる度合いは大きいのではないかと想像するのだがどうだろうか。確かに高齢者の中には、蓄積した経験や知識が貴重な価値を持つために「三顧の礼」で迎えたい人もいる。ただはっきりと認めなければならないのは、そういう人はそれほど多くないということだ。経営や管理のポストについている人の多くは、たまたまそこにいたにすぎない。その点を無視して、単にそれまでやっていたからという理由で快適で給料の高い仕事を求めるのだとすれば、高齢者の労働参加の増加は、歓迎一色とはいえない。
全体として、「私たちの社会を維持するために必要だがあまり歓迎されない仕事」をしてくれる人をどうやって確保するかを考える必要がある。高齢者の労働参加を考える際にも、この視点は重要だ。すごく卑近ないい方をすると、「部下の下で働けますか」が問われることになると思う。
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Comments
実に分かり易いご意見だと思います。
私は、現在53歳ですが、地域の活動に参加してみて、このことを凄く実感していましました。
お元気な60代から80代が地域のボランティア活動に多くて、これで良いのかなと思ってしまいました。
そこに参加した私は彼らの目線からすると小僧です。とにかく、平等・公平といいながら、何かと指図をしたがる。自分は何もせずに頭になって、指図です。これでは、仕事でなくても、若者と旨くいく分けない。
加えない方がマシな老害とつい考え込んでしまいました。
こんなこともありますので、高齢化社会はよっぽど考え抜いて対処しないと、苦労しそうです。
Posted by: G-NETmaster | June 27, 2005 12:38 PM
G-NETmasterさん、コメントありがとうございます。
このあたりは理屈じゃなかなか解決しないですね。ドラスチックにやればいいというものでもないでしょうし。
不満を抱えて現実と折り合いながら少しずつ変えていく覚悟が必要なのかもしれません。
Posted by: 山口 浩 | June 27, 2005 12:46 PM
ときどき拝見させていただいてますfoliageです。
書かれていることに共感しています。今まで、本当に仕事できるか疑問に思ってしまう人でも、年齢と役職で偉そうにしてきた人が、部下の下で文句を言われながら働けるかどうか、そういう人に限ってプライドが高そうなので。。。
私事ですが、うちの父も、地方公務員退職後、第二の就職先(やっぱりプライドを捨てることが大事だと友人と話しながら働いていたということです)も期限が来て、その後、働く意欲があるのに、生かす場所がなく、趣味も無いので、見ていてかわいそうになってきます。先日、月に数日の仕事が数ヶ月だけ決まったようで、喜んで大きな荷物を早々と用意していると母から聞いて、よかったなあ。と思ったりします。働く意欲を生かせる場所はないですかねえ。
Posted by: foliage | July 03, 2005 12:00 PM
foliageさん、コメントありがとうございます。
善意の人はいっぱいいるのに、しくみがうまくなくて生かせないというのはいかにも惜しいですね。
いっぺんに変えるのは難しくても、少しずつ変えていきたいですね。
Posted by: 山口 浩 | July 04, 2005 12:54 AM