MIE (Movie In Education)という考え方
NIEということばがある。「Newspaper In Education」の略だ。財団法人日本新聞教育文化財団という団体があって、そのサイトをみると、NIEを実践している学校に対しては、購読料の補助なんかを行っている。
それにならい、教育現場において、映画をリテラシー教材として活用することを考えてみる。いってみれば「MIE(Movies In Education)」だ。
もちろん、映画を教育現場で生かすための活動は以前から多く行われてきた。そもそも日本の学校教育の場で映画が用いられるようになったのは、明治末期のことだ。吉原順平「ショートフィルム再考-映画館の外の映像メディア史から Ⅱ」には、教育映画のおこりに関する記述がある。以降、戦前の日本では、国民教化のための「国民映画」が多く製作、上映された。大場(2001)は、旧満州国においても、欧米諸国の映画政策を研究のうえ、国策浸透のための教育映画製作が推進された経緯を紹介している。
※大場さやか「満州映画協会の役割とその影響」、CineMagagiNet! No.5、2001年
また戦後はGHQによる占領政策の一環として、民間情報教育局(Civil Information and Education Section=CIE)が教育映画を上映するプログラムが展開された。「CIE映画」と呼ばれたこの一連の映画については、中村(2002)が詳しい。要するに、戦前、戦後を通じて、映画は教育と密接に結びついてきたといえる。
※中村秀之「占領下米国教育映画についての覚書―『映画教室』誌にみるナトコ(映写機)とCIE映画の受容について」、CineMagaginNet! No.6、2002年
もちろん、今でも映画は教育現場で活用されている。文部科学省は、「教育上価値が高く、学校教育又は社会教育に広く利用されることが適当と認められる」映画を審査、選定している。よく「文部省推薦」とかいうラベルがついたものがあるが、これのことだろう(このページに最近選定された作品がリストされている)。
国以外でも、映画上映ネットワーク会議というのもある。「自治体等の文化事業・国際交流事業の担当者や映画祭関係者、美術館や図書館の映像担当者、独立系の配給会社やミニシアターの支配人やシネクラブの主宰者、あるいは映画製作者や監督など、「映画上映」に関わる人々が集まって、共通の課題を話し合い、情報交換を行う場」だそうだ。1996年から毎年開催されている。
映画英語教育学会(ATEM:The Association for Teaching English Through Movies)という団体もある。「映画を英語の教育現場に導入することで英語教育をより実践的なものにし、英語教育を活性化すること」が目的だそうだ。「CCデーターベース」といって、「英語の授業で使う例文を名作映画7作品のセリフから検索できるデーターベース」なども提供している。授業で説明しようとする重要英単語・英熟語が使われる場面を映画から検索して、レーザーディスクで再生でき」るのだそうな。(ちなみに「レーザーディスク」とあるが、サイトでみる限りCD-ROMないしDVDのようだ。)
関連書籍もある。
・スクリーンプレイ編集部著「 映画英語教育のすすめ」、スクリーンプレイ、1995年
むろん、最近発足した映像産業振興機構においても映画教育の支援は重要な課題だ。事業内容のうち「映像産業に係る人材育成の支援」の中には、「大学院・大学等の高等教育機関における映像コンテンツ教育への支援」などと並んで 「小中高等学校における映像コンテンツの浸透:映像コンテンツ作品の鑑賞教育への支援」なんていうのがある。
いやずいぶんあるものだ。充分行われているではないか。と思わなくもないのだが、ここでちょっと考えてみた。日本の教育現場における映画は「視聴覚教育」の一種であり、理科やら社会やらといった科目の教材として映画を利用するというものが主のようである。一方、欧米なんかだと、映画の鑑賞や制作自体が目的となっているものが多いらしい。科目でいえば、音楽のようなものだろう。演奏者やファン層を育てることによって音楽という芸術が存続し発展するという発想もあるのではないか。
日本が今、コンテンツ産業支援の一環として教育における映像コンテンツの利用促進を考えるのであれば、発想はより欧米型に近くなるかもしれない。VIPOが狙うのもそのあたりだろう。教育向けだからといって、教育向けに作られた映画ばかりを見せればいいというものではない。学校を卒業すれば、目にするほとんどすべてが一般的な商業映画なのだ。それらをどう鑑賞するかは「生活に密着した教養」として必要だし、新たなつくり手の育成にも重要だろう。
それと並んで、ぜひ考えていただきたいのは、映像を「客体化」して見る能力という意味での「映像リテラシー」の教育だ。冒頭で「NIE」を持ち出したのは、これを言いたかったためだ。少なくとも日本のNIEでは、複数の新聞を比較したりすることをよくやる。同じ問題でも視点のちがい、取り上げ方のちがいによって記事がちがってくることを学び、より客観的にものごとをみることができるようになる。これに似たことを、映像でもやったほうがいいと思う。単なる鑑賞教育ではなく、映像やストーリーを題材として、そこから汲み取れるさまざまな点について、よい点わるい点、評価すべき点批判すべき点を考える教育だ。
たとえば子ども向けでない商業映画においては、人が殺されたり暴力をふるわれたりするシーンがよくある。教育現場ではこれらを「子どもに有害」と遠ざけたとしても、日常生活の中でまったく目にふれないということはできない。だったら作品を題材として「人を殺すとはどういうことか」について自分で考えさせたり、仲間で話し合わせたり、必要な知識を与えたりすることのほうが有益とは考えられないか。あるいは、あるいは政治的なテーマを汲み取れる映画なら、それについて議論し考えてみるのも悪くない。
この夏なら、「スター・ウォーズ」シリーズなどうってつけかもしれない。「正しい」とは何か、「強い」とは何か、なぜ銀河共和国は崩壊したのか、クローン兵士やロボットの「人権」をどう考えるかなど、人文・社会科学分野だけでも興味深いテーマは山ほどある。自然科学分野なら、それこそ無尽蔵だろう。VIPOとしても、援助のやりがいがあるのではないか。
現在映画は、すでにさまざまなかたちで教育現場での活用が行われている。しかし今は、あちこちにちらばっているような印象を受ける。それをMIEという1つのコンセプトでまとめて考えてみたら、今よりもっとコヒーレントな活かし方ができるかもしれない。
まあ、小難しい理屈はともかく、何はさておき楽しく学べるのがMIEの最も優れた点であろう。学ぶ楽しさを感じ取ってくれればそれだけでも充分、ではないか。見て、考えて、作品を記憶に焼き付ける。そうして育った人々が、やがて優れた作り手に、あるいは目の肥えた観客になるかもしれない。映画の価値がより広く社会に受け入れられるかもしれない。もし「悪い作品」というものがあるなら、ごく一部の例外を除いて、それを排除していくのは政府ではなく観客の仕事だ。そういう世の中になったらいいと思う。
The comments to this entry are closed.
Comments