営利と非営利の協力
最近、いろいろなところで、「営利」と「非営利」の「摩擦」が起こっているように思う。たとえば介護の分野では営利企業と非営利団体(つまりNPOだ)が同様のサービスを行っていたりするし、ソフトウェア開発でも営利企業によるものとオープンソースでいろいろな人が寄り集まって作られるフリーのものとがあったりする。で、両者の間がなんだかぎくしゃくしているように感じられる。しかしこうした営利と非営利は必ずしも対立しているとは限らない。むしろ協力できる、ないし協力すべき関係にあるのではないか。
以下は、別に目新しいことをいおうとしているのではなく、自分の理解のために書いてみるものだ。
営利企業の世界は、いまやかつてないほどの厳しい競争にさらされている。少なからぬ企業は、新たな技術やビジネスモデルをもった新規参入者や、安い労働力を生かした海外企業などとの競争で四苦八苦だ。コスト削減のために、新しい技術を開発したりより安い部材を使ったり、あるいは新たなビジネスを始めたりもする。しかし同時に、労働コストの削減もしばしば行われる。給料の引き下げや解雇といった強い手段は必ずしも容易ではないが、退職者の補充をしなかったり、正社員の仕事を派遣社員にさせたりすることは日常茶飯事といっていい。信用第一の金融機関や、熟練した労働力が必要なはずの航空会社においても、派遣社員を活用する動きが広がったりしている。
こうした中で、営利を目的としない人々が営利企業と同じようなサービスを提供することは、あまり歓迎できないものと考えられてもおかしくない。何しろ営利を目的としないのだから、価格競争に巻き込まれると営利企業側は(少なくとも一般論的には)不利だ。この文脈でいくと、blogをめぐるマスメディアにおける議論も、少なくとも一部は営利対非営利のパイ争いのあらわれ、とみることができるかもしれない(Name droppingではないが、梅田望夫さんも似たようなことをどこかで書いておられたような記憶がある)。
もちろん営利企業対非営利団体の競争があったとしても非営利団体が必ず勝つと決まっているわけではない。フリーソフトや低価格ソフトがあっても多くの人は結局マイクロソフトを使うのだ。要はコストとメリットの比較がなされているだけのこと。ただしそれでも、「非営利」の存在は営利企業にとって収益の圧迫要因になるであろうことは想像に難くない。
営利か非営利か。どちらが優れているか。どちらが望ましいか。つい二者択一を考えがちだが、ちょっと待て。なぜ「どちらか」を選ばなければならないのか。「両方」ではなぜまずいのか。
一物一価とよくいう。それが経済の原則だとのたまう御仁もいるが、とんでもない。それはあくまで「他の条件が一定ならば」(ceteris paribusってやつね)の話だ。新幹線の中で買うジュースは駅のホームで買うより高い。時速270kmというサービス、座ったまま買えるというサービスがつくからだ。モノの値段は、モノだけの値段ではない。ちがったものは、ちがった値段で当然なのだ。営利のサービスは、非営利のサービスとはちがっている。あるいは、ちがっていなくては価値がない。あくまで一般論だが、非営利のサービスに負けてしまうような営利サービスなら、なくていい。それは「営利か非営利か」の選択ではなく、「営利のもの」と「非営利のもの」の棲み分けだ。マイクロソフトのオフィスは、フリーの互換ソフトと共存している。同じものではないことがわかるからだし、独自の強みを持っているからだ。
しかしここでいいたいのはそうした棲み分けの話ではない。そもそも営利団体と非営利団体とは、利益の分配という点において競合しないのであるから、むしろ互いに補い合える存在なのではないか、ということだ。営利企業のいいところは、利潤動機に基づいた改善への指向があること、生活がかかっているがゆえの真剣味、資金力などだろう。一方、非営利のものに比べてコストが割高だし、利益を気にしなければならないところもある。一方非営利団体のほうは、資金力はあまりないが、金目当てでない労働力、利潤を求めない資金がある。共通の目的に対して、営利企業と非営利の人々が、互いのもてるものを持ち寄って協力することができれば、どちらかだけでやるよりもうまくやることができないだろうか。
典型的なのは非営利である政府部門と営利である民間企業が協力するPFIのようなものだろう。公益性のあるサービスは政府にしか提供できないが、実際のサービスをより効率的に提供するためには民間の知恵が役にたつ。もちろん少なくとも短期的にはゼロサムゲームだから利害は対立しうるし、その他もろもろの点でも「うまくやれば」という留保付きではあるが、両者の協力によって「いいとこ取り」を狙うことはできる。こうした発想は、他の分野にも応用できるものだと思う。
たとえば、マンション管理における管理会社と管理組合との協力、なんていうのを考えてみる。マンションの管理にはそれなりのコストがかかる。もちろんそれらの多くは専門業者でないとできない業務だろう。しかし中には素人でもやろうと思えばできるものもあるはずだ。もしそうした素人でもできる業務は住人がやるとしたら、管理費なり修繕積立金なりをより安くすることができないだろうか。メディアの世界でもそうだ。マスメディア企業のもつ情報の収集、加工、発信の能力と、非営利の個人なり団体なりのもつ独自の視点や特別な情報とは、共存できるし、互いに補い合うことができる。もちろん非営利の主体が参加することによって、営利企業がもっていた収益ベースの一部は失われるかもしれない。一部の営利企業は市場からの退出を迫られるかもしれない。しかしそれは、営利と非営利の「全面戦争」を意味するわけではない。競争ゲームを協力ゲームに変えることができれば、互いの存在は互いにとってプラスとなる可能性を持っている。
これが机上の空論に終わらないためには、営利と非営利の協力のためのしくみをもっときちんと整備しておいたほうがいい。それはあるいは公的サービスを民間に実施させるための法整備かもしれないし、営利・非営利団体間の提携事業に関連する税制かもしれない。あるいは社会における受容のようなもっと抽象的なものかもしれないし、金銭に依存しない報酬システムといったものかもしれない。現状はまだ充分な状況とはいえないが、かつてのような高度成長が期待できない経済の下では、限られたパイのよりよい配分方法が今までよりはるかに重要となる。今後こうした方向性はより重要になってくるのではないかという予感がする。
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