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July 13, 2005

Aは偽なれどもBは

この分野の話は議論が成り立ちにくいのであまり気が進まないが、ミスリーディングだったり、誤っていたりするような議論が出回っていてどうにも気持ち悪いので、書いておく。特定の政治的主張を目的とするものではないことを、あらかじめおことわりしておく。

「Aが真、よってBは真」という論理があったとする。仮にAを「日本と中国との軋轢の最大の原因は首相の靖国参拝である」、Bを「首相は日中間の問題を解決するために靖国参拝をやめるべきである」だとしよう。これに対して、「Aは偽、よってBは偽」という論理による批判がある。参拝をやめても問題は解決しないから参拝をやめるべきではない、という理屈だ。この一連の議論がどうにも気持ち悪い。

「Aが真」かどうかについては、ここではふれない。ふれないが、そもそもAとBを結びつけるのが適切なのかどうか、ちょっと疑問に思う。要するに、上記のどちらも日中問題と靖国問題をダイレクトに結び付けている点でミスリーディングなのではないか、と。

靖国問題は、日中間の懸案であるのは事実であろうが、そうした要素だけではない。ひとつは憲法第20条との関係で靖国参拝のために公費が使われていいのかとか信仰の自由を侵すことにならないかとかいう法的問題でもあり、また神道を信仰しない人なども訪れることのできる追悼施設を作るべきかどうかという政治問題でもある。それぞれの問題について、これまでさまざまな経緯があり、判例があり、いろいろな人のいろいろな意見があるわけだが、要は、日中間の問題である前に国内問題であるということだ。日中問題を解決しないから参拝すべきだという議論は、解決できるから参拝すべきでないという議論のちょうど裏返しで、いわば一つ穴の狢だ。別に中国にへつらうでも反発するでもなく、まずは日本国内で解決すべき問題として考えたらどうか。あ、当然ながら、日中間の軋轢を放置していてよいということではない。ただ切り離して考えてはどうか、ということだ。

それから、論理そのものにも問題がある。論理学には詳しくないのであやふやだが、できるだけそれらしく、ただしわかりやすく書くよう努めてみる。

仮に「Aが真ならばBは真」が成り立っているとして、ここで「Aは偽」であったとしても、それが必ずしも「Bは偽」を意味するとは限らない。「Aは偽、よってBは偽」が成り立つのは、AとBがまったく等しい場合、および、AがBをすっぽり包んでしまっていて、BがAの一部になっている場合だ。こういう場合は、AでないものはBではない。しかしもしそうでない場合、つまり、「AではないがBである」という状態がありうる場合、「Aは偽、よってBは偽」は成り立たない。

日中間の最大の問題が靖国問題でなかったとしても首相の靖国参拝はやめるべき、という論理が成り立ちうる、つまり「Aは偽だがBは真」がありうる場合、「Aは偽、よってBは偽」という論理は反論にならない。上記のように、靖国問題には日中問題以外の要素があるなら、その意味でこの論理は誤りだ。

主義主張に直結するこの種の問題は思考停止に陥りやすいが、少し切り分けてやると考えが進みやすくなるのではないか。なんてことを言いたかったわけで、繰り返すが特定の政治的主張が目的ではない。念のため。

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