偽善でも悪よりまし
「Live 8」というイベントがあるらしい。昔「Band Aid」をやったBob Geldofが仕掛け人らしい。貧困国の債務削減について、まもなく開催されるG8サミットの首脳たちにアピールすることが目的のようだ。「Band Aid」のように資金集めが目的ではない。
コンサートは世界8ヵ所で開かれる。東京では幕張メッセで午後2時から。Dreams Come Trueなんかが出るらしい。テクノラティはこのイベントに関与していて、このイベントに賛同するbloggerの意見を集めようとしている。こんなアイコンを張ることで賛同の意を表すということのようだ。
今回は資金集めが目的とはなっていないので「金儲け目的」という批判はあまりきかれないが、こういう動きに対しては、よく「偽善じゃないか」とか、「売名行為ではないか」とかいう人がいる。「意図はいいけどやり方がまずい」とか「この方法では意味がない」とかいう人もいる。裏事情には詳しくないのだが、そうしたことがあるのかもしれない。
それでも私としては、呼びかけには応えようと思う。効果はないかもしれないし、売名行為に利用されているだけかもしれないが、それでも何もしないよりはましと思うからだ。実際のところ、債務削減が有効な対処なのかどうかについても、議論の余地はある。ただ削減してしまうとモラルハザードを招くとか、債務削減だけではだめで、もっといろいろ組み合わせて総合的にやらないと効果が期待しにくいという意見も有力だ。しかしだからといって、条件が整うまで何もしないということではなかろう。債務削減によって貧困国の状況が改善し、貧困な人々にとってよりよい状況になるのであれば、それはやる価値のあることだと思う。
一番必要なのは、人々がこの問題に関心を持つことだ。そのために声を上げることは、誰にでもできる。誰にでもできるということは、誰かがやればいいということではない。まず自分が始めることだ。債務削減ということは援助国の損失を意味するから、「自分の金」が使われる覚悟ができるかという問題もある。関心をもった人たちが議論していけばいい。それが直接世論を左右することは、少なくとも日本ではまだ考えにくいが、意味のないことではないと思う。Blogは情報発信のコストがきわめて安いし、自分の意見を文字通り世界中に発信することができる。悪くない道具だ。
というわけで、コンサートには行けないが、趣旨には賛同する。
ちなみに、債務削減問題に関心のあることを示す「ホワイトバンド」というのがあるそうだが(関連ニュース)、未だに見かけたことがない。どこで売っているのだろうか。
※2005/7/16追記
「極東ブログ」に「『ほっとけない 世界のまずしさ』なのか?」という記事があった。問題はそんな単純ではないよという話だ。なるほどな。私は国際政治の機微にはうといので、ふうんそうなのか、という感じだ。しかし思い当たるふしがある。少し前に、日本の開発援助の中枢に近い人々の議論を間近に聞く機会があったが、近年開発経済学の分野では援助のモダリティと援助効果に関するさまざまな議論がなされていること、日本の経済発展指向型援助はアフリカにおける援助の潮流(つまり主要援助国や国際機関の考え方だ)からははずれていることなど、いろいろ勉強になることがあった。
私の知る限り、援助に携わっている人たちは、自分たちの活動がいかに役立ち、いかに空回りし、いかに悪用されているかを、かなりのところ的確に把握しているという印象がある。政治、外交、歴史、宗教、彼らにはどうしようもないことがあまりにも多く、わかっていてもどうしようもないのだ。それでも、やらないわけにはいかないのだ。人前では胸をはっていても、裏では「こんちくしょーなんでこうなっちゃうんだ」と歯軋りしているのだろう、きっと。彼らが主導する援助は、したがってどろどろの妥協の産物だ。満足のいくものなどではない。そんなことはわかっている。だからってどうせいって言うんじゃい!という声が聞こえてきそうだ。
私は、100%でなければゼロ、という意見には与しない。今問題になっていることがらのほとんどには、それがいいことかどうかはともかく、何かしら解決できないそれなりの理由がある。全能の神でない身では、すべての国、すべての人々に善良な行動を強要することはできない。じゃあ何もしなくていいのか。問題はわかっていても、やれることはやるべきではないか。
Live8に参加した人々、ホワイトバンドを購入した人々は、少なくとも自分の金やら時間やらをいくばくかこの問題のために費やした。このことを私は多としたい。世の中の大半の人は、これすらやっていないのだ。やっていない人と比べてどちらがこの問題についてより積極的に考えるだろうか。むろん批判的な検証は大事だ。大事だが、それが何もしないことの理由になるなら、そんなものは牛にでも食わしておけばいい。あ、別に「極東ブログ」がそうだといっているのではないので、念のため。
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Comments
>声を上げることは、誰にでもできる
これが同じ事を書いていても無意味ではないという、摸倣子とかいうやつでしょうか。
>未だに見かけたことがない
公式サイト
http://www.live8.jp
で、7月から販売となってます。遅すぎじゃないですかね?
Posted by: maki | July 02, 2005 01:20 AM
makiさん、コメントありがとうございます。
「模倣子」ってミームのことですかね?そういう訳語があるんですか。よくわからないのですが、皆で声を上げることを模倣子で説明すると何かいいことがあるんですか?
公式サイトのご案内もありがとうございます。さがしましたが、探し物が下手なのか、見つかりませんでした。書店のリストを見つけましたので、そちらで買おうと思います。
Posted by: 山口 浩 | July 02, 2005 01:04 PM
ごぶさたしております。コメントさせていただくのは放送大学に関する記事以来です。同感です。確か菊池寛だったと思いますが全く同じことを主張していました。日本人は偽善ということを恐れすぎると。偽善をおそれすぎるがゆえの露悪趣味も散見されますね。
Posted by: bun | July 03, 2005 10:05 PM
>何かいいことがあるんですか?
すいません。↓を読んで使ってみたかっただけです。ミームの方が通じるんですね。
http://starfish.dyndns.org/y/index.php?/archives/249-MemeBlasting.html
同じようなことを書くことはけっこうネガティブに捉えられがちなんですが、広げることにも意味がある、ということで。
で、ホワイトバンドはやはりライブの日に発売になったようで、今なら見つかるかもしれません。
で、山口さんのような方が総合的に問題を分析するということは、運動の信頼性を向上させることにつながると思います。
Posted by: maki | July 03, 2005 11:20 PM
コメントありがとうございます。
私は、人間は基本的に模倣する動物だと思っています。たいていのイノベーションは一種の模倣ですし。オリジナリティを追求すべきときと同じものを追求すべきときがあるんでしょうね。
「露悪趣味」、なんとなくわかります。皮肉ぶるのがえらいという雰囲気ともいえますね。どうせうまくいかないよとか、裏にはこんなひどい話があってさとか。なんでも受け入れればいいというわけではないんでしょうがね。
いろいろ難しいですね。
Posted by: 山口 浩 | July 04, 2005 12:52 AM
私はLive8やホワイトバンドより信頼性があり、現実的な救済モデルを提示し、継続的な活動報告を行ってきたところにお金をお渡ししています。それがより効果的であるからと信ずるからです。
もし、既にLive8やホワイトバンドに賛意を示したのでれば参加したから終わり、では無くその成果なりをきちんとフォローしていただきたいと思います。少なくとも彼らの提示する救済モデルに効果があると思えないからです。
特にホワイトバンドは占領政策が前提として必要なのではないかと思いますが現実的とは思えません。
Posted by: a | July 17, 2005 05:27 PM
aさん、コメントありがとうございます。
>もし、既にLive8やホワイトバンドに賛意を示したのでれば参加したから終わり、では無くその成果なりをきちんとフォローしていただきたいと思います。
同感です。私はそうしていきたいと思いますし、他の方々にもぜひそうしていただきたいと思います。aさんが支持される団体がどこか知りませんが、その活動についても一度別の立場からも見てみると、より考えを深めることができるかもしれません。この問題は、どこかに「正しい」やり方があるという性質のものではないと思います。どのやり方もどの団体も機関も、それぞれ矛盾やら無力感やら副作用やらに悩んでいます。だからこそ考え続けていく必要、改善をめざしていく必要、行動を続けていく必要があると思います。
あと、個人的な好みで申し訳ありませんが、次回からは有効なメールアドレスを記載していただければと思います。いまどきはフリーのアドレスもあるでしょうから、別に記入したからといって、とって食われるということはないでしょうし。少なくとも私はとって食いません、って当たり前ですね。失礼しました。
Posted by: 山口 浩 | July 17, 2005 08:01 PM