そろそろ「歴史的評価」ってやつをしようじゃないか
ここしばらくのところ、太平洋戦争関連のテレビ番組がいくつかあったが、その中で見ごたえがあったのは、零式艦上戦闘機、いわゆる「零戦」(「れいせん」と読む。「ゼロ戦」というのは英語の「Zero Fighter」からくることばで、当時の人たちは使わなかったらしい)の設計に関するNHKの番組だった。海軍の無理な要求から設計にしわ寄せがいき、弱点を残した構造となり、それを修正できないまま多くの命が失われたという内容だった。
私は見ながら途中でブチ切れたのだが、ここは冷静にいく。歴史学には素人だが、素人なりに「歴史的評価」ってやつをやってみたいと思ったからだ。といっても、別に画期的に新しいことを書こうということでもないのだが。
最初にことわっておくが、ここでは中国や韓国、その他のアジア諸国や欧米の連合国など、外国との関係については捨象して、問題を日本国内に絞り込む。論点を明確にするためだ。
構造的に弱いため急降下ができない、軽量化のために防弾装備がないなど、零戦の設計にいくつかの「致命的」欠陥があったことは、すでによく知られた事実だ。番組は、新たに発見された、零戦の設計に携わった三菱重工の元設計副主任・曽根嘉年氏の遺品から発見されたメモを読みこみ、海軍との生々しいやりとりを再現して、海軍の無理な要求がいかに零戦の設計をゆがめたかを浮き彫りにした。太平洋戦争開戦時の零戦の華々しい活躍は、ある意味ではそれらの欠点を熟達したパイロットの技量で補った結果だったというわけだ。
当然ながら、こうしたやり方は長持ちしない。優秀なパイロットはどんどん戦死していき、戦闘機の開発・量産競争にも負け、弱点をつかれて零戦は空戦に勝てなくなる。防弾装備が必要と迫る曽根氏らに対して、海軍の源田実氏(その後自衛隊で航空幕僚長となり、参議院議員にもなった)が「大和魂で乗り切れ」みたいなことを言った由。さらに、当時の海軍の人だか何だかがインタビューされていて、「防弾性能を上げても目的を達しないようでは意味がない」と語っていた。「目的」とは、つまり空戦に勝つということだろう。
私がブチ切れたのはここだ。これが当時の海軍のリーダー層の見解だったのだとしたら、なんと愚かな考えだったことか。零戦の撃墜王として知られた坂井三郎氏が晩年の一連の著書「零戦の真実」「零戦の運命〈上〉―語られざる海軍事情」「零戦の運命〈下〉―なぜ、日本は敗れたのか」「零戦の最期」あたりで舌鋒鋭く批判していたのは、こうした考え方に対してだと思う。私が坂井氏の二番煎じをしてもしかたがないので、私が多少なりとも土地勘のあるアプローチで考えてみる。
戦争の目的は何か。簡単だ。日本の国益を守ること、あるいは拡大することだ。しかし、国益のために必ずしも戦争をしなくてはならないというものではない。戦争は、外交を含む数ある国益追求手段の中の1つだ。特定の戦闘、たとえば空戦において勝てる戦闘機の開発というのは、さらにその1つの手段でしかない。
パイロットの養成には膨大な時間と莫大なコストがかかる。そして、冷徹にいえば、どんなに熟練したパイロットであっても、戦闘を繰り返すごとに、一定の確率で死んでいくのだ。熟練したパイロットをもってしか空戦に勝てず、撃たれたらまず助からない戦闘機を持つということが、長期にわたる可能性の高い総力戦においてどんな意味を持つか、想像できないとすれば相当のおめでただ。しかも、戦争はやがて終わる。戦争が終われば、そうした優秀な人材は国の復興のために役立つのだ。そうした貴重な人材を守ることができずして、何の国益追求か。
零戦のあの姿はいかにも洗練されていてかっこいいが、エンジンの出力が足りないからといって軽量化のために強度を下げ、防弾設備を設けなかったのは、戦闘機の設計としては明らかにバランスを失した考えだった。エンジンの出力が足りなければエンジンの出力を上げるための技術開発に力を注ぐべきであったし、それができなければ撃たれても撃墜されにくい、撃墜されてもパイロットが守られやすい機体設計をすべきであったし、もしそれもだめなら戦闘機の性能に依存しない戦法の開発に力を注ぐべきであったし、それもだめなら戦闘機に依存しない戦争のスタイル、さらにそれもだめなら、戦争をすべきではなかったのだ。
当時の状況から戦争はやむをえなかったという論評はよく聞くが、もう少し時代を遡ると、明治時代の日本の指導者は、三国干渉に対して「臥薪嘗胆」を合言葉に雌伏することを選んだ。ABCD包囲網とやらがどんなに苛烈なものだったとしても、それがゆえに300万人余が死ぬことはなかったはずだし、戦争によるよりは、失われた資源も少なかったはずだ。この膨大な数の人々を死に至らしめた発想は、零戦に防弾設備を持たせなかった発想と同じものだ。空戦に勝てないなら戦闘機として意味がないから防弾設備を持たせないという発想は、国益が何かという大目標と非整合的な狭い部門益だ。つまりこの問題は、やや特殊例かもしれないが一種のエージェンシー問題と考えることができる。海軍のエリートたちは、自ら(の部門)の利益を国益に優先させたのだ。
少し話を広げる。A級戦犯として処刑された人の孫とかいう人が別の番組で、「戦犯なんてものは存在しない」とか言っていた。気持ちはわからんでもないが冗談じゃない。外国との関係での「戦争責任」を捨象したとしても、300万人の日本人を死に追いやった「戦争責任」は消せない。たとえ戦没者遺族が総意として許したとしても、歴史的評価というやつは許さない。このおびただしい死の責任は、無謀な戦争に国を走らせる意思決定に関与したリーダーたちにある。「一億総懺悔」は一般の人々の自戒の想いとして持ち続けるべきだが、それはリーダーたちの免罪符にはならない。もともと開戦には反対しながら周囲の状況から開戦の決断に追い込まれた東条首相は自宅に帰ってむせび泣いたとのことで、1人の人間としては心情察するに余りあるが、それでリーダーとしての責任が消えることはない。
なぜ歴史的評価としてこれらのリーダーたちの責任にこだわるかについて、少し補足しておく。よく、戦後のめざましい復興について、日本の驚異だとか技術者を温存したのが賢明だったとか、いいことのように語られることが多いが、私はそうは思わない。責任論としてはむしろ、もしあそこで愚かな戦争をしていなかったら、「めざましい復興」など必要なかったという点に着目すべきだ。開戦時点で、日本経済はまだまだ欧米列強には見劣りしていたが、かなりのところ追いつきつつあった。もし戦争を回避していたら、日本は実際にそうだったよりもはるかに早く欧米経済に追いつき、あるいは追い越していたかもしれない。その機会を戦争によって失い、資源を失い、何年もの間辛酸をなめる結果となったのだ。何より、戦争がなければ活躍していたはずの多くの人々がその機会を失った。あの戦争で失われたものは、本当に大きかったのだ。
広義の利益追求のために経営資源の適正な配分の手法を考える経営学研究者のはしくれとして、私は、当時の日本のリーダーたちが、国益の追求においておそるべきまちがいを犯したと考える。当時の目でみればしかたがなかったという考え方は、歴史的評価には通用しない。現在の目からみればまちがいはまちがいだし、事情はちがえど明治時代の日本の指導者は似た状況をうまく処理したのだから、当時の目からみても「やむをえなかった」という判断には充分な疑いの余地がある。困難なとき、冷静に状況を分析し、適切な判断をして結果を出すことが優れたリーダーの条件だとすれば、当時の日本のリーダーたちには、リーダーとしての資質が欠けていたといわざるを得ない。
別に「英霊」の皆さんを辱めたり遺族の方々を傷つけたりしようという意図はまったくない。日本のために勇敢に戦った人々には敬意を払うべきだし、心ならずも戦争の犠牲になった人々を悼むのも当然だ(ここでは外国に対する責任の問題を捨象していることに注意)。しかし、そうしたことと、当時の日本のリーダーたちの行動や意思決定に歴史的評価を下すこととは次元のちがう話だ。私たちは、そうしたあやまち(文学的表現だが、経営学的には「大きな損害をもたらす不適切な意思決定」ということだ)を、二度と繰り返してはならない。そのためにも、当時のリーダー層の遺族の方々には申し訳ないが、あやまちはあやまちとはっきり認めなければならない。外国にいわれるまでもなく、当時のリーダーたちには、「戦争責任」があった。多くの日本人を死に追いやり、日本国に大きな損害を与えた責任がだ。処刑されて靖国神社に合祀されようが生き残って国会議員になろうがかまわないが、この責任を忘れてはいけない。
The comments to this entry are closed.
Comments
全く同感です.私がこの問題を見るときの視点は二つ.
一つは,陸軍や海軍のような巨大官僚組織が合理的な判断と行動を取れなかったことに対する反省です.両軍とも,目的を追求するための機能集団ではなく,自らの利権を拡大するための共同体に堕していました.零戦に話を戻すと,日本は航空機エンジンの技術が劣っており(エンジンは機体に比べるとより長期の技術の蓄積が必要),それを機体の軽量化というウラ技で乗り切ろうとしたが果たせなかった,ということだろうと思います.
二つ目は,山口さんがお書きになっている通り,リーダーの能力と責任です.このあたりは半藤一利さんの「昭和史」に詳しく出ていますが,リーダーたちの無能ぶり,無責任ぶりが良くわかります.リーダーたちはまず日本国民に対する責任を果たすべきで,それは死刑を数10回受けてもらってもまだ足りないでしょう.
Posted by: 俊(とし) | August 17, 2005 09:15 PM
俊さん、コメントありがとうございます。
私は、個人的には俊さんとかなり近い怒りを共有していますが、「刑」とか罪とかいったことばで語るのは躊躇するものがあります。企業経営者になぞらえていうと、解任に値する経営責任なのか、刑にあたる犯罪なのかということですが、後者だというと、反発する人がたくさんいそうな気がするからです。「歴史的」というのは、現在の目からみて多くの人が納得できそうなあたりをめざすという意味もこめていまして、「責任」なら納得できる人がより多いのではないかと思いました。
俊さんに反論するものではありませんが、どうせ何を言っても過去は変えられませんから、私としては、いかにしてこの教訓を将来に引き継ぐかのほうが重要と考えています。ほら、ほかにもいろいろあるじゃないですか、「不適切な意思決定」が。
Posted by: 山口 浩 | August 17, 2005 10:38 PM
山口さん、初めまして。私のような底の浅いエントリーにTB頂き、ありがとうございます。貴エントリーを拝見しまして、深い洞察力のある文面に感心いたしました。
ただ、私も特に深く考えずに書いた「零戦に欠陥あり」への感想でしたが、大筋で山口さんと同意の事を書いておりましたので、まぁ、私の素の感覚も、強ち大外れでもないかなぁと、少し安心しました。
正直言って、当時の日本の状況をどうこう言うような見識はもっておりません。増してや、最近の近隣諸国との関係について語る知識もありませんので、それに深く関与することは避けますが、私は「日本人を信じたい」と思うばかりです。
私は例えば、司馬遼太郎さんや、坂井三郎さんの著書は(多少自画自賛はあるにしても)好きでよく読みました。そういうものを読んでいると、当時の大方の日本人が戦争という極限に有りながらも人としての暖かさを保っていた事に安堵感を覚えます。(だから、私は信じたい。勿論、中には根っからの馬鹿も居たかもしれませんが・・・)
そして、山口さんの仰るような、当時のリーダーたちの、国内向けの戦争責任は確かにあると、同意いたします。日本人が権力を持ったとき、そしてそれが徒党を組んだ時、狂気に走る場合があるということはよく覚えておく必要があると思います。
Posted by: GAM | August 18, 2005 10:44 AM
GAMさん、コメントありがとうございます。
歴史に「もし」はありませんし、戦争に負けたことでいい結果になったこともないわけではないのですが、どうしても「もしあのとき」と思いたくなってしまいます。
ただ「日本人が権力を」という点に関しては、「日本人だけではないのでは?」とも思いました。日本人の特性みたいなものがあるとすれば、「過去をすぐに忘れる」ことかもしれませんね。
Posted by: 山口 浩 | August 18, 2005 12:02 PM
そうは思いませんね。
300万人の日本人を死に追いやった「戦争責任」という言い方は疑問です。
そもそも死に追いやったのは米国軍であり、米国軍による軍法上許されないはずの民間人への攻撃もあるからです。
それに戦争に負けたという結果論になっていますが、戦争を放棄していた場合の代償も大きかったはずです。
戦争責任という言い方で片付けるのでなく、日本人の威厳を保ったことも事実ですし、戦前はさんざん各メディアは戦争を煽っているのであるから、このような卑怯な書き方は吐き気がします。
Posted by: sick | August 18, 2005 03:04 PM
sickさん、コメントありがとうございます。
いろいろな考え方があるとは思います。私の考えはsickさんのものとは少しちがうので、押し付けるつもりはありませんが、ご指摘に対して考えを書いておきます。
戦争の相手である米国軍に殺されたということと、日本の指導者層が開戦にふみきったということは別次元の話です。「ケンカをしてなぐられたのはなぐった相手が悪い」という主張は、「だからケンカをしかけた自分は悪くない」という結論にはつながらないと思います。米軍が悪かろうが悪くなかろうが、それとまったく関係なく、日本の指導者には勝ち目のないケンカをしかけたという責任があったのではないか、というのが私の考えです。
戦争にふみきっていなかった場合の代償は想像がつきませんが、300万人死ぬことはなかったろうと考えるのはそれほど不適切ではないように思われます。せいぜいが経済封鎖と海外領土をめぐる紛争ぐらいでしょうから。戦争をしたことによって300万人の死を上回るメリットを得たのでしょうか?
日本人の威厳って何でしょうか?勇敢に戦ったということなら、最後は無条件降伏して主権を一時奪われたんですよ。戦争をしたから威厳が保たれたという発想は理解できません。
メディアや国民が戦争を煽ったのは事実ですが、指導者の責任はそれとも関係ありません。指導者の責任は国益を守ることであり、そのために一時的な不評にも耐えることこそが誇りだと思います。実際、明治の指導者は批判を受けつつも無謀な戦争を避けたわけですし。
卑怯というのは自分が戦争を煽ったのに後になって戦争を批判したということなのでしょうか?私はいつの時点でも戦争を煽ったことはありません。それと、指導者層の責任は結果において評価されるものだと考えています。したがって、仮に百歩譲って上記の意味で卑怯な批判がなされたとしても、指導者層はそれを甘受すべきと考えています。批判者が卑怯であるかどうかと、指導者層に責任があるかどうかは別問題だからです。
いうまでもないことですが、私は、国民やメディアに責任がなかったといっているのではありません。指導者、国民やメディアそれぞれに責任があったと思います。ただ、指導者層にあたる人たちは権限と情報をもっている分一般国民に比べてより重い責任を負うべきであって、誇りがあるなら「だってしょうがないじゃん」といった言い訳めいたことは口にすべきではない、と思います。よく知りませんが、すでに亡くなっている旧指導者層の方々のほとんどは、きっと「国民やメディアが煽ったせいだ」とは口にしなかったろうと思います。今は残った方々が「しかたがなかった」といった主張をされることが散見されるように思っていますので、あえて書いてみました。
吐き気については、不快な思いをさせてしまい失礼いたしました。ふだんこのサイトはもっと軽いネタを扱っておりますので、今後ともよろしくお願いいたします。
Posted by: 山口 浩 | August 18, 2005 04:16 PM
山口さん、こんばんは、
とても示唆に富む記事をありがとうございます。ゼロ戦に関する事実を私は全く認識しておりませんでした。
私がここのところ感じているのは、もし戦争をしてなんらかのメリットがあったのだとすれば、戦前の軍隊組織が解体したことだと思っています。尾崎秀実の手記などを読んだり、手塚治虫の「一輝まんだら」などを読んだりしているレベルのたわごとかもしれませんが、戦前の経済体制、軍事体制の腐敗というのは、ひどいものがあったようです。それらが結託して自ら戦争を起こすことによって瓦解したということが唯一の救いかもしれません。「1984年」あるいは現在の北朝鮮ではありませんが、全体主義、独裁体制は多くの人を死においやる恐怖によって成立するのだと思います。もし戦争をしていなかったら、日本はそういう世界になっていたかもしれないと思います。
ちなみに、palさんの記事がとてもおもしろかったので、紹介させてください。
http://blogpal.seesaa.net/article/5906015.html
いま、山本七平の「空気の研究」の感想文をまとめているのですが、戦前から戦後にかけての日本について、なんとも判断つきかねる点に達しています。迷いの中の迷いにいる気分です。
Posted by: ひでき | August 18, 2005 09:49 PM
ひできさん、コメントありがとうございます。
その点は痛いところですね。ただ、もしそんな体制になっていたとしたら、きっと内側から改革の動きが出たのではないでしょうか。その点私は日本人を信頼しています。
「palさん」のところのインタビューですが、あれはインタビューじゃないですよね。せっかくご紹介いただいて申し訳ないですが、私はあまり気に入りません。ちがう考え方への敬意があまり感じられないので。あれでは折り合う余地がありません。なんか、女版「ゴーマニズム」みたいに見えました。もっと未来志向なもののほうが私は好きです。
Posted by: 山口 浩 | August 18, 2005 11:55 PM
零戦に関してはどうせ負けるのであれば
何だって良いんじゃないでしょうか。
開戦に関してはさまざまな行き詰まりに対して、
それを打破するための
手段としての戦争というもんもあります。
作戦行動に関してはしばしば聞かれる、
心胆寒からしめる、
という理由を批判する向きもありますが、
一方でこれが無ければ敗戦後は植民地になって
より苛酷な占領政策がとられてたんじゃないでしょうか。
定量的に計れるもんでもないんで、只の推測ですが。
単に終わり良ければ全て良しという意見の様な気がしてきた...
Posted by: Mufj | August 19, 2005 10:43 AM
Mufj さん、コメントありがとうございます。
「どうせ負ける」戦争だから、撃たれたら助からない戦闘機でいいという趣旨でしょうか?どうせ皆死ぬのだから同じだということですか?それはまたユニークなご意見ですね。でも、それは設計主任の堀越二郎氏はじめ、零戦設計チームの方々に対してあまりにも失礼だと思います。
私の趣旨は、「心胆寒からしめる」ために勝ち目のない戦争に踏み切るのは指導者として不適切な意思決定だ、というものです。そもそもそういう理由を挙げる時点で、長期的には勝てないことがわかっていたのですから、別の手を考えるべきであったと。どうしても武力行使が避けられないとしても、「心胆寒からしめる」程度ですませるために真珠湾攻撃が必要だったのか、もっと考えるべきだったと思います。
日本は戦ったがゆえに全国土の焦土化、植民地化や国土分割、天皇退位、大規模な飢餓の発生など数々の危機に瀕したのであり、それを回避できたのは日本が戦ったからではなく、当時の国際情勢によるものと、その後の日本の指導者たちや国民が比較的うまくやったからとみるほうが一般的かと思います。
定量的に測れるものでもないので、ただの推測ですが。
「終わりよければ」は趣旨がよくわかりませんが、現在の日本はいい状態になったのだから、戦ってよかったのだということでしょうか。
それを過去に戻って、開戦前当時の指導者の方々に言ったら、なんて答えますかね。現在あるいは将来の日本の指導者が、そういう考え方でものごとを決めるとしたら、どう思いますか?責任ある立場に身をおいて考えれば、そうした考え方はとりにくいように思われます。
Posted by: 山口 浩 | August 19, 2005 03:01 PM
ゼロ戦が欠陥機だったことは、自動車メーカーの新型車開発に従事していた元エンジニアとして同感です。あれは、車でいえば、動力性能がメチャンコいいのに、ブレーキが利かないという類の車です。専門用語をつかえば、エンジンにターボ(加給器)がついてるのにブレーキにそれに見合ったマスターバック(倍力装置)がついてない、というものです。それに、関係者の戦記を読むと、信頼性(リライアビリティ)に難があったようです。でも、柳田さんはほめてましたよね。それを三十年前くらいに読んだときは、感激しました。海軍の要求スペックに対して、技術屋は、優先順位をつけるように要求すればよかったのですよね。でもあの頃の日本には、優先順位をつけるという考えはなく、あるのは、南北準備陣であり、陸海へのパリティな資源配分だったから、そんな要求は、無理かもしれませんね。開戦責任についてわたしの考えは、個人よりも意思決定をするシステムにより多くの欠陥があった、というものです。詳しくは、四月に芙蓉書房出版から出る拙書『対米戦争開戦と官僚』をご覧ください。
Posted by: 安井 淳 | March 13, 2006 12:11 PM
安井 淳さん、コメントありがとうございます。
技術者の方々は、海軍に対して要求の優先順位をつけるよう頼んだみたいですね。ただ海軍内の方針対立があって、どの要求も守るよう指示され、しかたなく機体強度を下げる設計を行ったということのようです。
意思決定システムに問題があったのはたぶんそうなんでしょう。それでも、そうしたシステムを作り、守ってきた指導者層には、「経営責任」があると思います。今の時点の目からは理解しにくいさまざまな事情があったこととは思いますが、もう二度とこんなまちがいをおかすまい、と肝に銘じるためにも、反省とともに語り継いでいくべきだと思います。
Posted by: 山口 浩 | March 14, 2006 10:04 AM