未来を切り開く前向き思考か、臆面もない欲望の発露か
「Epcot」は、米フロリダ州Orlandoにあるウォルト・ディズニー・ワールド内のテーマパークの1つだ(昔は「Epcot Center」と呼んでいたが、いつ変わったのだろうか)。その中に「Universe of Energy」というアトラクションがある。エネルギーの大切さを説くといった類のものだが、お国柄というか、アメリカという国のありかたがよくあらわれていて、けっこう面白い。
「Universe of Energy」の中で、こういうクイズが出る。
「What is a source of energy that never runs out?」
知っている人は知っている話だが、知らない人のために、ここでもクイズ形式にしておこう。さて正解は?
「なくならないエネルギー源」というと、ある人は太陽エネルギーを考えるだろう。あるいは風力や水力、地熱なども考えられる。核融合、なんていうのも選択肢に入るかもしれない。しかしこれらは、少なくとも現在のところ、人類の必要とする量のエネルギーを得るにはコスト高だったり、発電キャパシティが不足していたり、技術的に未完成だったりで、まだ「使える」状況にはない。現実として、我々の暮らしが化石燃料に大きく依存している状況は依然として変わっていない。いったい「なくならないエネルギー源」などあるのか。
正解は「Brain Power」だ。なかなかうまいことをいう。どんなエネルギー源にも限界があるが、知恵の力はどんどん蓄積されていき、失われることもなければ制約を受けることもない。考えてみると確かに、かつてマルサスが指摘したような食糧危機は、分配の点はとにかく、少なくともキャパシティの点では生じていないように思われるし、1970年代にローマクラブの面々が指摘した「成長の限界」も、少なくとも明示的なかたちではあらわれていないようだ。もともと人類の歴史は、ある意味では幾多のエネルギー危機を乗り越えてきた歴史だと形容することもできる。だから現在生じているエネルギーの不安も乗り越えられるはずだ、というわけだ。いってみれば、こうした前向き思考が人類の未来を切り開いてきた。いかにもアメリカという国らしい思考方式だと思う。世の中のさまざまなものごとにもっとうまいやり方があるはずと考える私のようなタイプの人間には、とても魅力的に映る。
しかし一方で、「あんたらにはいわれたくない」という印象を禁じえないのも事実だ。何せこの国は、1人あたりでみても日本の約2倍のエネルギーを消費している。最近の「テロとの戦い」とやらも、裏側に一因としてエネルギー確保の問題があることは隠しようもないし彼らも隠そうとしない。京都議定書から脱退して、温室効果ガス排出量削減に向けた国際的な協力体制を大きく傷つけたのもこの国だ。現在はいかに多くのエネルギーを安く確保するかに大半が割かれているその「brain power」とやらを、少しは効率的な使い方の開発や自国民の啓蒙にも使ってみたらどうだ、などと皮肉のひとつもいってみたくなる。おそらく彼らに対して説得力はないだろうが。
かつて日本人を「12歳」と形容したのはアメリカのマッカーサーだったか。考え方が子どもじみている、ということだろう。確かに一理あるようにも思えるが、少なくとも今の目でみると、むしろ逆なのではないか、と思うことも少なくない。もちろんアメリカには多くの「大人」がいて、彼らのすぐれた叡智や賢明な行動にはしばしば感心させられるし、参考になることも多い。しかしこの国全体を動かしているのは、かなりのところ、なんとも子どもっぽいシンプルな欲望であるような気がしてならない。
英国ならジョン・ブルといったように、国を人物にたとえることがある。アメリカの場合はアンクル・サムで、典型的なイメージはやせた白髪の老人だ。しかしどうも私には、ちがった人物像がイメージされてしまう。それはこの国でひときわ多くみかける、肥満した子どもだ。スナック菓子やらジュースやらを片時も手放さず、がまんすること、控えることを知らない、そんな子ども。ぶくぶくと膨れ上がった体を支えるためにさらなる飽食にふけり、他人の食べものにもかまわず手を出し、あたりに食べかすを食い散らす、そんな子どもだ。アイスクリームやジュースを片手に巨体をゆすりながら「Universe of Energy」に押し寄せる子どもたち(ディズニー風にいえば、「すべての年齢の子どもたち」だな)が全部そうだといっているわけではないが、こういう子どものイメージは、この国全体のありかたをなんとも象徴しているような気がする。この国の多くの人々にとって「brain power」とは、より多くの「スナック菓子」を手に入れるための知恵でしかないのではないか。そんな考え方はあまりにもいじわるすぎると自分でも思うが。
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Comments
うーん。私、正直なところとてもアメリカが好きですが、この指摘、かなりの程度当たっていると思います。ただし、この「大きな子供」をいさめる声も、同じアメリカから強く上がっているとは思うのですが。
自分で書いても、なんだかアメリカ人みたいないいわけだな。
Posted by: miyakoda | August 11, 2005 10:38 AM
miyakodaさん、コメントありがとうございます。
子どもと大人の双方が同居する国、ですよね?でも、ある意味それはどの国でも変わらないような気が。全体としてのトーンは、やはり「子ども」側のようではありませんか?
Posted by: 山口 浩 | August 11, 2005 01:33 PM