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目○○鼻○○

週刊新潮9月22日号(9月14日発売)に、「『選挙予測』がはずれた評論家の『恥ずかしい言い訳』」という記事が載っていて面白かった。

面白かったのは、選挙予測というものに対する週刊新潮の「立ち位置」だ。記事はこんなふうに始まる。

「確かに衆院解散から自民の歴史的勝利まで"想定外"の展開ではあった。だけど、あの人の議席予測の変節、あんまりではないか?」

ん?と思われた方は、なかなかするどい。

いや別にわからなくてもおかしくはない。私も最後まで記事を読んだ後にやっと気づいたのだ。この文章に週刊新潮のスタンスがあらわれているということが。

「あの人」というのは、白鴎大学教授の福岡政行氏だ。選挙戦の間中、あちこちで予測を書きまくり、しゃべりまくりと大忙しだった。どうも新潮はこの人が気に入らないらしい。何が気に入らないか。記事中で、予測が全然当たっていないではないか、と批判するのは、大阪商業大学の谷岡一郎学長だ(「社会調査のウソ―リサーチ・リテラシーのすすめ」の著者)。しかし今回の選挙予測についてではない。どうもご本人に取材したわけではないようで、「社会調査のウソ」の中から1993年衆院選の際の福岡氏の予測についての批判を引用している。

「上下六十議席も幅を持たせて、しかも三回も機会がありながら、一つも当らないというのは見事なものである」

福岡氏の予測の幅についてはこのサイトでもなんどかとりあげたことがあるので、言いたいことはわかる。確かに今回の選挙予測をみても、他の予測に比べて、福岡氏の予測は幅がきわめて大きい。自民党など与党過半数割れから単独過半数までありうるぐらいだったし。以前からそうだったわけだ。

しかし、実はこの点は単に福岡氏を貶めるために出しているだけ(今回取材を行っていないのはそのせいだろう)で、週刊新潮が批判しているポイントではない。真の批判の的は、その「変節」ぶりだ。要するに、こんなに変えやがって、というわけだ。どのくらい変えたかというと:

・「自民党にとって最悪の場合150議席以下」(週刊ポスト8月5日号)
・「自民156議席で民主党・岡田政権誕生」(週刊ポスト8月12日号)
・「自民183議席」(週刊朝日8月19・26日号)
・「自民221議席」(週刊朝日9月2日号)
・「自民261議席で単独過半数」(週刊ポスト9月9日号)
・「自民248議席」(週刊朝日9月16日号)
・「自民268議席」(日刊スポーツ9月10日)

まあ、おおまかにいえば、当初は民主党政権誕生との予測だったのが、最後は自民党単独過半数になったわけだ。確かに大きな差といえば差だが、そもそもこの人の予測は上下幅が100議席ぐらいあったのだし、その範囲内だといえば範囲内だ。それに、自民党の予想獲得議席が増えていったのは、福岡氏の予測に限ったことではない。週刊新潮にもコメントしていた選挙プランナーの三浦博史氏を始め、多くのマスコミや専門家の予測も、同様の動きを示していた。はずれたということでいうなら、表現は悪いがどこも「目○○鼻○○」だ(不適切な表現につき一部伏字)。では「変節」の何が週刊新潮編集部の逆鱗に触れたのだろうか。

週刊新潮の記事を読み返してみると、たとえば9月8日号では「『主婦と老人』だけが答えたので『自公圧勝』になった選挙調査」として、世論調査の類があてにならない、という記事が出ている。発売は9月初め、ちょうど自民優勢との世論調査結果が出回り始めた時期だ。で、記事は日本人の判官びいきを指摘し、こう締めくくられている。「やっぱり選挙は『水モノ』―」。また、9月15日号では、自民党単独過半数との予測が広まったことに対して、これで民主党に票が流れると書いている。政治評論家の森田実氏の発言を借りてこういうのだ。「私は自民の単独過半数獲得はおろか、自公で過半数も取れず(小泉内閣は)11日夜に総辞職することもありえると思っています。本当の勝負は最後の3日間ですよ」(括弧内は山口の追記)。おいおい「本当の勝負は」って発言はまるで民主党陣営のようではないか。

ここから先は大胆な想像を交えて。

どうも週刊新潮は、民主党優勢という世論を作りたかったらしい。今回の総選挙においては(も、かもしれないが)、週刊誌やスポーツ新聞などでの民主党びいきの論調が多かったように思うが、その一派だったということか。ということは、当然ながらその目的は、それで投票結果を動かすことだろう。「判官びいき」という指摘も、日本人の判官びいきに訴えて、民主党の逆転を狙おうという作戦と読める。

とすると、福岡氏の「予測はずれ」ではなく「変節」に憤るのもしかたがないことなのかもしれない。何しろ同氏は当初、民主党優勢を予測していたのだ。いわば「仲間」だったものが、急に「変節」し、自民党優勢を「煽った」ものだから、許せないということになったのではないか。

ここから先は個人的な感想。

私自身は、福岡氏に対してなんらの利害関係も個人的感情も持っていない、ということを、まず最初におことわりしておく。別に擁護するつもりも批判するつもりもない。そもそも選挙予測自体は専門外だし、その手法の適切さについてもコメントするだけの情報を持っていない。ただ、あまりに幅の広い予測は、予測としてあまりinformativeではない、という点は以前の記事で書いた。「くもりときどき晴れところにより雨」ではどうしたらいいかわからないではないか、ということだ。

以上を前提としてだが、一般論として、予測というものがそれなりの「幅」をもってなされること、にもかかわらずはずれることもあることについては、理解できる。もともとそういうものなのだと思う。人間には知りうること、知りえないことがある。知りうる情報をもとに、さまざまな分析を行って、その結果を公表するのが予測なのだから、それが当たっていたかどうかよりも、説得力のある説明ができるかどうかのほうが重要だ。どうせ100%正しいことはまずないのだし。ただ、同じことをやっている人が複数いるとして、長期間の記録を比較して、この人よりあの人のほうがより当たる確率が高い、といったことはあるだろう。そういう記録があれば、どちらの人の予測がより信頼できるかについても、判断を下しやすい。

予測が世論調査などなんらかの情報をもとに行われる以上、その情報の変化によって予測内容が変わっていくこと自体はなんの不思議もない。変化の幅の大きさについても、最新の情報に照らして修正すべきだというのであれば、それがどんなに大きくても修正すべきなのであって、それ自体を恥じる必要はない。もちろん当初の予測が大きくはずれていたのであれば、それは専門家として由々しき事態なのかもしれないが、最終的にちがっているよりずっとましだろう。

その意味で、「変節」を批判した週刊新潮は、予測者としての福岡氏を批判したのではなく、政治的主張者としての福岡氏を批判したということになるのではないか。ご本人がどちらを目的としているのか本当のところは知らないが、それはともかく、もし議席予測を「こうなってほしい、こうなるべきだ」という政治的意見の表明とみなすなら、その「変節」は「元」仲間としては許しがたいだろう。しかし、もしそうなら、それは予測とはちがう。世論を操作するためになされた世論調査がよくないのと同じ意味で、世論を操作するためになされた予測も、少なくとも一般論としてよくない。実際には切り離しにくい部分もあるだろうが、予測と政治的主張は、できるだけ切り離したほうがいい。その意味で、福岡氏の「変節」への批判は、なんだかスジちがいのような気がする。

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