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October 31, 2005

不まじめな汎用型将来予測の手法

関心があって、世に出回る将来予測の類をよくみるが、どうも一定のパターンがあるように思う。

それを不まじめに活用すれば、誰でも、何にでも使える汎用型予測手法なんてものができるのではないかと考えてみた。

最初にことわっておくが、ネタだ。まさかと思うが、万が一にもあらぬ期待をされると困るので、念のため。

世に出回る将来予測の類には、科学的なものとそうでないものとがある。科学的でないものとは、何の根拠もなく「○月○日○時○分に富士山が噴火する!」とか「○○党は選挙で敗北する!」とか断言したりするものだ。それは、自分の信念のみに基づいている場合と、願望を予測のかたちで表明している場合(これがけっこう多い)、はなから人をだまそうとしている場合、誤った情報に基づく誤解の場合など、さまざまな背景があるが、科学的でないということにちがいはない。ここで扱うのはもちろんそういう類ではなく、一応「科学的」という衣をかぶせることができそうな(というより、できそうに見える)ものだ。

ただし当然ながら、ある予測手法がいろいろな分野に共通して使える、などというわけがない。地震予知なら自然の観測が必要だし、経済予測なら経済現象の観察が必要だ。そしてそのためには、その分野の専門的知識が必要となる。それを持たない人が将来を予測するためにはどうするか。

しかたがない。他人の知恵を借りよう。

たとえば経済予測なら、数多くの研究機関が将来見通しを出している。それを平均するだけでも、ある種のコンセンサス予測ができる。経済関連ではすでに「ESPフォーキャスト調査」なるものがあって、専門家の予測を集計したものを定期的に発表している。このように、たくさんの予測を集めるやり方は、それなりに意味のある方法として、ある程度社会的にも認知されている。

ただしここでは、この手法はとらない。多くの人の予測を集めることで、予測としての精度が高まる可能性があるのはいいのだが、一方でその根拠や前提条件を説明しにくくなるからだ。この文章で書こうとしている「不まじめな予測」にとっては、ここが致命的な問題となる。予測そのものに自信がないからこそ、根拠の説明が重要となる。よってここでは、とりあえずどれでもいいから、信頼できそうで、かつ内容の似た予測を2つ3つ選んで、これを元ネタにするとよい。いくつかを混ぜるのは、「パクり」をさとられないため、似た内容のものを選ぶのは当たり前だが予測を整合的にするためだ。

で、具体的にはどうするか。

(1)問題を「前提条件」と「予測本体」に切り離す。
どんな予測も、前提条件がある。実は前提条件と予測は一部互換性があって、どこまでを前提条件にしてどこからを予測にするかは、かなり自由に選べる。これを利用して、ぜったいにまちがわない部分のみを「予測本体」に残すのだ。きわめて単純化すると、たとえばこんな感じ。
・景気悪化の要因がないものとすると、景気はよくなる
・明日晴れるとすると、降水確率はゼロ
一見ばかばかしいが、実際にはけっこうばれないものだ。たぶん。少なくとも、経済予測の分野ではこうしたものがよくみられる。どれとはいわないけど。

(2)幅をもって予測する。
これでも不安があるという場合、予測は「点」ではなく「範囲」で示すという方法がある。あまり範囲が広すぎるとバカにされる(「衆院選における自民党の獲得議席は0~480議席と予測される」みたいなの)から、あまり広げすぎると少し狭めにしたほうがいいが、かといって狭ければいいかというと、そうでもない。あまりピンポイントで予測値を特定するとウソくさくなるからだ。その意味で、いかにもそれらしい範囲がどのくらいかという「相場観」を感じ取る能力は必須といえる。

(3)リスクシナリオを幅広く説明する。
前提条件に対するリスクシナリオを思いつく限り広範に記述する。リスクシナリオが実現した場合の結果についてははっきり示さず、どんな解釈もできるようにする。しかし、数あるリスクシナリオをどの順番で示すかは、実は大きな問題だ。こういうときにこそ、多くの意見を聞こう。数多くの予測を集めて、多く紹介されている順でリスクシナリオを並べていけばいい。

(4)思い出される前に次の予測を出す。
過去の検証よりもさらなる将来の予測のほうが重要だ。予測部分だけを取り出して論評する輩(私のような奴だ)を相手にしてはいけない。常に前向きに。一番いいのは、絶えず新しい予測を出し続けることだ。たくさん予測を出すことは、すなわち予測を修正する機会がたくさんあることを意味する。どんどん予測を出し続けていけば、人は過去の予測よりも将来の予測に目を向けるはずだ。

(5)予測より分析に力を入れる。
たとえ予測がはずれても、詳細な分析は役立つことが多い。ありがたいことに、まじめに分析すると、たいていの予測の分析内容はけっこう似ている。予測の差は、そうした分析内容の「重みのおき方」で決まることが多い。したがって、ここでも「たくさん集める」手法が有効だ。ありったけ集めた予測の中からそれらしい文章を並べる。たくさん集めれば、情報ソースを気づかれるおそれは小さい。さらに、予測より分析に力点をおく姿勢は、知識ある者からの批判を受けにくいというメリットもある。

(6)1人でしょいこまない。
自分だけを見てはずしたと落ち込む必要はない。他の人もたいていはずしているものだ。胸を張って、はずれた理由を説明しよう。これも、周囲の意見をたくさん集めればいい。他の人たちが、はずした理由についてまじめに考えてくれているはずだから、それを集めて利用しよう。

これだけ身につければ、あなたも立派な予測をすることができる。のではないかと思う。たぶん。保証はしないが。

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