« 「市場」というゲーム | Main | FRB次期議長:ダークホースは誰? »

October 24, 2005

「ボーダレス・ワールド」を思い出した話

大前研一の「ボーダレス・ワールド」といえば、90年代初頭に一世を風靡したベストセラーだ(日本語版は翻訳。原著はこちら)。ずいぶん読みふけったものだ。

90年代末のハンチントン「文明の衝突」以来、ちょっと色あせたのかもなどと軽く考えていたのだが、やはり今でもその価値は失われていない、と思い直した話。そんなの当然じゃないか、という方にはあまり面白くないかもしれないが。

といっても、関心の所在は「ボーダレス・ワールド」とは少しちがう。この本の書かれたころとは情勢がちがってきていて、ちがった意味で「ボーダレス・ワールド」が実現しているのかも、という意味だ。もちろん、ハンチントンとはちがうところを見るものなので、文句をつけようというわけではない。以下の話は思い切りおおざっぱなものなので、厳密にいってどうだとかいわれても困る。そこんとこよろしく。

全部覚えているわけではないが、記憶が正しければ、「ボーダレス・ワールド」での主な関心は、先進国におかれていたと思う。先進国の消費者はどこも似てきているという観察が出発点になっている。たとえばこんなくだり(翻訳が手元にないので原著から。ご容赦)。

"My observations over the decade seem to indicate that the young people of the advanced countries are becoming increasingly nationalityless and more like 'Californians' all over the Triad countries - the United States, Europe and Japan - that form the Interlinked economy (ILE)."

当時と今とで何がちがうかというと、おそらく途上国との関係だ。当時の途上国は、端的にいえば製造業における「労働集約的」な低付加価値な業務をアウトソースする先だった。途上国で作られた製品は先進国企業の低価格製品であり、先進国企業が国内で作る高機能製品とは棲み分けができるものだった。

今はちがう。変化を最もよく象徴するのは中国経済の台頭だ。世界中の有力企業はこぞって中国に生産拠点を持つようになった。企業の国際分業はさらに高度なものとなり、かなり高付加価値、へたすると最先端の製品すら中国で製造可能になっている。さらに、生産拠点としてだけでなく市場としても重要さが増しており、そうした最先端の製品が中国市場で飛ぶように売れていく。そうした製品を買うことのできる消費者層ができているということだ。

もうひとつの変化は、途上国から先進国への労働者の流入だ。公式のものも非公式のものもあるが、当時よりも労働者の国際移動は確実に増えているのではないか。このことは、製造業で最初におきた「空洞化」問題とほぼ同じことがサービス業においても起こりうること、そして実際に起きたことを意味する。このため、途上国からの労働者と競合する職種の労働者は賃金が抑え込まれたり、職に就く機会が減少したりすることとなった。

結果として何がどうなったか。先進国でも途上国でも、社会階層間の格差が拡大した。「上」の階層では最先端の製品やサービスを享受できる環境が世界的に整いつつある。一方で「下」の階層はそうした恩恵からは無縁のままだ。つまり、市場の状況を語る際に、「この国では」と語ることがあまり意味をもたなくなっている。そしてその代わりに「この市場では」という表現を、いろいろな国についてあまり変わらない意味で使うことができるようになった。国境(ボーダー)というタテの区切りではなく、社会階層というヨコの区切りで市場を語るほうが適切になりつつある。これを「ボーダレス・ワールド」と言わずして何であろうか。

そこから先はまだあまり考えていないので、とりあえずここまでとする。社会のいろいろなところにいろいろな影響を与えることになるけっこう重要な変化だと思う。…ここまで書いて、どうも自分で前に書いたことと同じではないかと気づいた。思考が進歩しとらん。嗚呼。

|

« 「市場」というゲーム | Main | FRB次期議長:ダークホースは誰? »

Comments

>…ここまで書いて…

ぉお、山口さんの思考回路のバグ発見!

いや、重要ポイントに附き重複アクセスか。残念!

Posted by: でんすけ | October 24, 2005 10:40 AM

でんすけさん、コメントありがとうございます。
私の思考回路はバグだらけですので、あらかじめ念のため。このまま無限ループに入ってしまわないよう気をつけなければ。
ただ、重要な問題ではあると思います。ともあれ、大前研一の先見性には脱帽!ということで。

Posted by: 山口 浩 | October 24, 2005 12:12 PM

山口浩さん、こんにちは、

私もちょうど「平成維新」を読み直しております。これもある意味、「実現された過去の予言」的な側面があります。ここで検証された日本市場の開放と価格の下落ということは実現されていますよね。日本の政治の側面については、「5%のマイノリティーな利益を11集めて55%にして通してしまうのが自民党」と評されていた体制はどこまで変わったのか「?」です。

いずれにせよ、大前研一さんってもっと評価されてよいと思うんですけどねぇ。

Posted by: ひでき | October 25, 2005 01:06 PM

ひできさん、コメントありがとうございます。
大前氏も、やや手を広げた時期に(特に日本での)評価を落とした観がありますね。でも、一流のビジョナリーであることには変わりないと思います。

Posted by: 山口 浩 | October 26, 2005 02:18 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference 「ボーダレス・ワールド」を思い出した話:

« 「市場」というゲーム | Main | FRB次期議長:ダークホースは誰? »