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「Wikibooks」という思想

Wiki、教科書業界に宣戦布告--新プロジェクト「Wikibooks」を立ち上げ」というニュースは、やはりネットまわりでけっこう高い関心を呼んでいるようだ。

革新的な動きと賞賛する者、実現性を疑う者、さまざまな意見がある。まあ当然といえば当然だ。私が今さら何を付け加えることもないのだろうが、考えのメモとしてちょっと書きつけておく。

「Wikibooks」とは、Wikipediaなどの活動を行っているWikimedia FoundationのJimmy Wales氏らが最近始めたプロジェクトだ。ひとことでいうとこういうことになるらしい。

Walesらが進めるWikibooksプロジェクトは、オープンソース開発モデルに基づいて、幼稚園から大学までの教育課程で使用する教科書を包括的にまとめ、無料利用および自由配布できるようにするものだ。

要するにWikipediaのやり方で教科書を作ろうというものだな。発想はよくわかる。そしてそれに伴う反発や懸念も。

そもそもWikipedia自体にもさまざまな評価がある。「wiki的なるもの」への不信もある。しかし現時点では、Wikipediaについていえば、一般論としてそれなりの価値を認められている、といえるのではないだろうか。

Wikipediaはけっこう使える。生半可な百科事典よりていねいな説明をしているものも多いし、特に新しいことばを取り入れることについては一般の百科事典の比ではない。関心の所在が偏っている場合とか内容がちょっとどうかと思う場合もなくはないが、それは比較的容易に他の手段で補えるから、あまり気にならない。少なくとも、私がふだんPCで書きものをしながら調べたりする際に使うのはたいてい普通の百科事典ではなくWikipediaのほうだ。それで用は足りるわけだし。

この立場をとるとして、第2段階は、「Wikipediaのモデルが教科書にも使えるか」だ。教科書は、百科事典と同様に考えていいだろうか。

依存度ということでいうと、やはり百科事典より教科書のほうが強いだろう。したがって「正確さ」「信頼性」の重要さも段違い、といえるかもしれない。ここらはオープンソース型モデルの弱い点だ。内容の担保がない教科書など使えるのか。教科書の出版社などは当然そういうだろう。彼らは実績のある執筆者を集め、報酬を支払って執筆させ、(日本の場合は政府の検定を受けて)教科書を作り上げる。そうするのは、ひとつは内容の担保のためであり、もうひとつは報酬のためだ。いずれも、オープンソース型モデルとは対極にある。もちろん、オープンソースでも、それを専門とする人々が集まって作っていけば、内容についてはかなり信頼のおけるものができるとは思う。問題は、それを誰が「担保」するかという点だ。「いざというときに誰が責任持つの」に答えることができない。この点を重要と考える人は、それほど「少数派」ではないような気がする。

まあ、日本では小学校から高校までの学校教科書は検定制度があるから、こういう教科書が正規に「採用」される可能性はない。ただ、副教材としての用途は当然ありうるし、家庭学習や塾での利用も考えられる。しかしそれよりも、「本命」は大学や大学院教育だろう。大学の教科書には特段の制限はないし、より「最新」の内容を取り入れる必要がある。何より、大学で使う教科書は高く、その割に、単位をとってしまうともう必要でない場合が多い。アメリカの大学なんかだと、書店でも中古の教科書をよく売っているが、それも教科書が高いからだといえなくもない。無料で利用できる教材の存在は、けっこう魅力だと思う。

CNETの記事には、Wales氏のことばとして、

 「Wikibooksは、始動したばかりのプロジェクトだ。『ここに集められた幼稚園から大学レベルまでのどんな教材でも、うまく活用すれば独学も可能だし、人に教えることもできる』と自信を持って言えるようになって初めて、同プロジェクトの使命は全うされる」

というのを引用しているが、「独学も可能」はどうかなぁ。もちろん1人でWikibooksを読んで、というのは可能だろうが、学んでいる段階ということは、内容の吟味ができないということだし。むしろ、Wikibooksを通して、その内容に関心を持つ人たちのコミュニティみたいなものができて、その中でのインタラクションを通して学んでいく、みたいになったら面白いだろうに。

まだ取り組みは始まったばかりなので、きっと評価を下すにはまだ早いのだろう。事情は知らないが、きっとWikipediaも初期には似たことを言われたにちがいない。数年たってどんどん蓄積ができてきて、質量ともにかなりのところまでいったとしたら。買いかぶってといわれるかもしれないが、けっこう可能性はあると思う。

記事にも出ていたGoogleのアプローチとの対比とか、既存出版社はどうなるとかいった問題にも興味があるが、長くなるのでまた別途機会を作って考えたい。

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Comments

関連する内容のブログを見つけたのでちょっとコメントを。

Posted by: 高校数学等を執筆しているものです | October 08, 2005 at 02:10 PM

コメントありがとうございます。
なんだかたいへんそうですね。なんてひとごとみたいではいけませんね。
自分に何ができるか、考えてみます。

Posted by: 山口 浩 | October 09, 2005 at 04:08 AM

「いざというときに誰が責任持つの」というのはオープンソースソフトウェアに対するソフトウェアベンダの立場と同じですね。LinuxにおけるMontaVistaや投資信託のレーティング会社のようにオープンに積みあがるコンテンツのサポート業者や評価者が現れると、この矛盾も緩和されそうに思います。「責任もって欲しい人は有料でサービス受けな」ってことですね。

ただ教育、それも学校教育ってことになると事は難しくなりそうですね。学校教育は誰が誰のためにやるのかという事に行き着くのだと思いますが、「国のため」「コミュニティのため」「親のため」「子供本人のため」のどの側面も含まれるので、オープンな考え方に馴染まないもの、馴染まない人々との折り合いが大変そうです。

個人的には玉石混交にどんどんコンテンツためてしまって、ガイドが要る人はそういう業者に頼む、というのが健全だと思うんですがね。

Posted by: よす | October 09, 2005 at 06:02 AM

よすさん、コメントありがとうございます。
そうか有料の評価サービスか。そういう手はありますね。Wikiの思想との整合性を気にする人もいるでしょうけど、まあこれも含めてオープンなところがウリなわけで。
いずれにしても、まずは元のコンテンツが増えてこないといけませんね。

Posted by: 山口 浩 | October 11, 2005 at 01:32 AM

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