わが国の伝統からすれば男性とすべきである、という話
わが国の歴史において、その地位は男性が占めるというのが確固たる伝統である。確かにその歴史の初期において、女性がその地位にあったこともないではないのは事実である。また昨今では、女性の社会進出も進んできており、その象徴として女性を起用すべきという考え方があるのもわからなくはない。しかし、この問題は他の問題とはちがう。日本の「顔」を誰とすべきかという重大な問題だ。軽々に決めてしまうのはいかがなものかと思う。
何の話か、いうまでもないだろう。
もちろん、紙幣、つまりお札の「顔」の問題だ。
わが国の紙幣の歴史において、その「顔」となってきたのは、ごくわずかの例外を除いては、すべて男性だった。わが国の紙幣で人物の顔を描いたものは、1883年の神宮皇后札が最初である。実は、日本最初の「お札の顔」は女性だったのだ。この点は認めざるを得ない。しかしそれ以降、お札の顔となってきたのは、ほとんどの場合男性だった。お札に印刷される人物は「日本の顔」なのだ。これがわが日本の伝統だ。
最近、お札の顔となる人物に女性をとりあげる例がある。5,000円札の樋口一葉しかり、2,000円札(コンビニATMでしか見かけないが)の紫式部しかり。慎重な検討を経ずにこれら女性を紙幣の「顔」として採用したことは、あきらかに、上記のような日本の歴史的伝統を無視した許しがたい所業である。わが国の誇るべき歴史的伝統を守るため、これらのお札は即刻廃止すべきだ。
…さてっと。
もうおわかりだと思うが、以上は「吊り」だ。要するにいいたいのは、このサイトでは何度か似たようなことを書いているかと思うが、「伝統」なんてこんな程度のものだということだ。伝統を「古いものを維持し続けること」と定義するなら、日本のお札はすべからく女性を描いたものでなければならないし、さらにいうなら1868年当初の太政官札のように絵を描かず、単位も「円」でなく「両」としたらよい。あるいは、伝統を「長く使われてきたものを大事にすること」と定義するなら、日本は紙幣など即刻廃止して、皆丸くて四角い穴のあいた銅銭にしなければならない。ついでだから小判も復活させるかね。そういえば、日本で最も長く使われた貨幣は中国から輸入した銅銭(いわゆる宋銭とか明銭とかね)だったよなぁ。貨幣は中国製に限る!なんてね。当然、クレジットカードも電子マネーも、もってのほかだな。
いやそれはさすがにちょっと、というなら。
日本の、というより人類の唯一一貫して守り続けてきた伝統というものがあるなら、それは「変わり続けてきたこと」だ。そもそも変わることを一切拒否するなら、700万年前のサルのような樹上生活にお戻りいただきたい。地上に降り立つという変化を受け入れたことから、人類の歴史は始まった。幾多の発明も、文明の発達も、社会制度の整備も、すべて過去を否定する変化を私たちの祖先が受け入れたことの証拠に他ならない。ダーウィン的にいえば、
"It is not the strongest of the species that survive, nor the most intelligent. Rather, it is those most responsive to change."
ということだ。
もし変化を否定していたら?人類はあっという間に絶滅していたはずだ。文化のようなものも同じで、変化したからこそ生き残った。今ある「伝統的なもの」の中で、当初からまったく変化せずに生き残ることのできたものはあまり多くはないはず。外部環境も変化するからだ。外部環境が変化する中では、「変わらずにいること」は逆に「変わっていくこと」を意味する。時代を超えて変わらずにいるためには、時代に合わせて変わっていかなければならないのだ。
たとえばかつて通用していた紙幣をそのまま今も使い続けることは、現在のように偽札の印刷技術が進んだ環境の下では、通貨としての信用力に大きなダメージをもたらすだろう。テレビでも一発芸だけの芸人は1年もたたないうちに消えていく。歌舞伎や相撲が生き残っているのも、それが時代を超えて通用する価値を持っているからという理由もあるが、時代の変化に対応して少しずつ変わってきたからでもある。天皇制についても、それが長い間存続し続けてきた理由の1つは、他国の滅び去った王朝に比べてきわだって高い「柔軟性」をもっていたことだといえる。政治権力を手放すという「大変化」を受け入れていなかったら、千年前に滅んでいたはずだし、1,000年続いた本拠地を捨てるという変化を受け入れたからこそ、150年前に政権を回復することができたのだ。
もちろん、なんでも変えればいいというものではない。変えずにおいといたほうがいいものはもちろんある。ポイントは、「変えるべきかどうか」を考えるときには、「それが長い間受け入れられてきたかどうか」ではなく、「それが外部環境に適応しているかどうか」を問う必要があるということだ。みるべきなのは、過去でなく現在と将来だ。過去は学ぶべき対象ではあるが、盲信すべき対象ではない。
ついでにいえば、将来は予測できないところが多い。あらゆる事態を想定して、なんて無理に決まっている。現時点の情報をベースとして、当面もっともましと思われる対応をしておけばいい。それは必ずしも短視眼的とは限らない。しかし将来の変化に対して柔軟性を失うことについては、慎重でなければならない。状況が変化したらまた変えられる。この余地を残しておくことが、伝統を将来に残していくために最も大事なことだと思う。
さて、私たちの関心事は、今の環境、さらに将来予想される環境に照らして、どうするのがよいのだろうか。
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Comments
伝統も大事だけど、この際、ドラえもん、鉄腕アトムとサザエさんをお札に印刷して欲しい。
Posted by: ドリー | November 28, 2005 06:48 PM
ドリーさん、コメントありがとうございます。
挙げられたうちの2/3がロボットですね。ロボットを人扱いする発想は鉄腕アトム以来の日本の由緒ある伝統です。アトムの初出は1951年、皇室典範の最終改正(1949年)とほんの2年しかちがいませんから立派な伝統といえますね。
関係ないですが、アメリカだと、州によってコインの模様が違ったりしますよね。ああいうのを日本でもやったら面白いかもしれません。
Posted by: 山口 浩 | November 28, 2005 07:14 PM
>挙げられたうちの2/3がロボットですね
そう言う見方がありましたか!
海外で出会う日本のアニメ好きと話すとおおくが親日家。日本のアニメがODAよりも海外での日本のイメージをあげている気がします。貢献度から言ったら、アニメをお札に、、
無理だろうな。。
アメリカの¢25、僕も良いアイデアだと思います。
只今分け合って中国に居ますが、、、
中国(北京)のお札(Yuan通称クアイ)は全て毛沢東。1Yuanの100の1の(角 通称マオ)は中国の民族の絵柄。
マオと呼ばれる紙幣にはマオ(毛沢東の毛の中国語発音)は印刷されていない。。
欧米人の多くが何でマオにマオが印刷されてないんだと不思議がっていたりします。
Posted by: ドリー | November 29, 2005 03:01 AM
ドリーさん
ODAで作る箱モノには日本のキャラクターを描けばいいかもしれませんね。Pikachu BridgeとかYugi-oh Airportとか。
Posted by: 山口 浩 | November 29, 2005 12:43 PM