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December 05, 2005

職業と給与について思ったこと

労働の対価である給与の額は、市場価値によって決まるのだが、それは必ずしもその仕事の「きつさ」とは連動していない。当たり前、なのだろうが、なんだかもやもやする部分がなくはない。空港なんていう場所で時間をもてあましたために、こんなことをつらつら考えてしまった。

やってみないとわからない部分もあるのだが、世の中にはかなり「きつい」仕事がある。私などは1日ともたないだろうと見ていて思ったりする。その他「きたない」「きけん」も合わせればいわゆる「3K」になるわけだが、そういう仕事の人たちが、ほかに比べて給与面で優遇されているかといえば、多くの場合そうではない。一方、誰もがうらやましがる、「かっこいい」「自慢できる」類の仕事の中には、給与面でも誰もがうらやましがるものが少なからずある。

給与は労働の対価だから、いいかえれば労働市場における価格設定のメカニズム、ということになる。一般的には、この差は労働供給の限界費用の差、ということになるのだろう。価格に関する有名な話で、「水とダイヤモンドの逆説」というのがある。水とダイヤモンドでは、生存により必須であるはずの水がなぜダイヤモンドより安いのか、という問題で、この差は生産量を増やすために必要なコスト、つまり限界費用がダイヤモンドのほうが水より高いから、という答えになる。同じようなことがおそらく労働にもあてはまっていて、たとえば平社員と社長を比べたときに、平社員を1人育成するための費用と社長を1人育成するための費用とでは、後者のほうが多くかかると考えるのがふつうだろう。だからたとえ社長の仕事が相対的に楽で、平社員の仕事が相対的にきつかったとしても、社長のほうが給与(役員報酬、だな)が高いのは理由がある、ということになる。

ここまではいい。だけどさ、というのが本題。2点挙げる。

(1)需要面はどうよ?
「水とダイヤモンド」に関する上記の議論は、この2つの財の供給市場だけをみている。でも、価格ってのは供給だけじゃなくて、需要も影響するんだよね?だったら、需要面も考えてみたらどうなるだろう?供給が極端に少ない場合を考えてみる。水とダイヤモンドの例でいえば、たとえば月面基地とか、砂漠の真ん中とかいう状況だ。そういう場所では、場合によっては、水とダイヤモンドの価格は逆転しうる。供給量が減った場合に需要者が払ってもいいと思う価格(留保価格ね)がどのくらい高まるかを考えると、ダイヤモンドの場合よりも水のほうがカーブが急なのではないか。ダイヤモンドがなくても死なないが、水がないと死ぬからだ。命よりダイヤモンドのほうが大事という人もいるかもしれないが、まあ少数派だろうし。

で、これを労働市場にあてはめてみると、「3K」職業と「うらやましい系」職業の相対的希少性がどうなっているか、ということになる。少なくとも今の日本はかなり社会全体が高学歴化しているし、少なくとも過去に比べれば、「3K」労働力の希少性は高まっていると思う。早い話、みんながMBAを持つ社会になったとしても、みんなが社長になるわけにはいかないのだ。逆に、「3K」職業というのは、技術進歩で置き換えられる部分もけっこうあるだろうが、少なくとも当面の間、それなりの量を確保する必要がある。

(2)労働は「苦役」なのか?
労働の供給という考え方は、労働が本質的に「本来はやりたくないこと」苦役であることを暗黙の前提にしている。だからそれに応じた対価が必要、というわけだが、この点に関しては、「そうかな?」と思う人が少なくないと思う。少なくとも、「うらやましい系」の職業に関しては、少ない給与でもやりたい人(中には「金を払ってでもやりたい」という人だっているだろう)が少なくないはずだ。典型的な例では、期間雇用のスチュワーデスなんてのがある。パイロットもそうだろうなぁ。それ以外でも、メディア系、エンタテインメント系の職業ではこうした例は枚挙に暇がないはずだ。それがさまざまな観点からいいことかどうかは本題ではないので措くとして、労働というもののこうした要素を考えるなら、その給与についても多少反映されてもおかしくない、と思う。仮に同じ程度の育成コスト、同じ程度のきつさの仕事が2つあるとしたら、そのうち、より「うらやましがられる」仕事の給与は、そうでないほうの給与よりも安くていい、と考えてもおかしくはないではないか。モチベーションを保つためにある程度の給与が必要という議論もわかるが、その「ある程度」が少しくらい低くても文句はいわないよ、きっと。「夢の職業」なんだから。

実際には、文句をいっている人たちもいるのは知っている。別にそれがおかしいといいたいわけじゃないのだが、空港の外で所在なさげに立っている白タクの運転手さん、なんてのをみてると、ついいろいろと考えてしまったりするわけだ。昔、航空会社に就職した知人が、朝早いときは自宅にタクシーが迎えに来る、なんて言っていたが、今もやってるんだろうか。パン屋さんなら仮眠室、の世界だよなぁ。しつこいようだが、おかしいといいたいわけじゃない。でもなぁ。

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