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暴論:「負け犬」男性を救え!

「負け犬」という言い方は、以前ほど聞かなくなったような気もする。といっても現象がなくなったわけではもちろんなくて、ある種、概念として「定着」したということかもしれない。

一世を風靡したこの「負け犬」ということば、もともと女性を指したものだったから当然といえば当然だが、女性にばかり関心が集まっているように思う。しかし、「負け犬」ということばで連想すべきなのは、むしろ男性のほうではないのか、といった考えが前からずっと頭にあった。以下は1年ほど前の書きかけに加筆したものだが、今のところ考えはそう変わっていない。暴論めいているところも。

「負け犬」ということばをはやらせたのは、2003年の酒井順子「負け犬の遠吠え」だった。本が売れただけでなく、テレビドラマになっただけでもなく、時代を語るひとつのキーワードになったと考えていいだろう。

男性の場合は、「負け犬」というより「負け組」という用例のほうが多いかもしれない。ただ、「負け組」というと、どちらかというと金銭面というか、仕事面というか、そうしたどちらかといえば「パブリック」な面に着目しているような気がする。これに対して「負け犬」は、家庭とか恋愛とか、プライベートな側面に着目しているようだ。

「負け犬」の定義は「未婚、子なし、30代以上」だったか。この定義にあてはまる女性はかなりいるのだろうが、だったら男性も同じくらい多くいるはずだ。「負け犬の遠吠え」を読んでいないのでよくわからないが、世間での論じられ方をみていると、実は「負け犬」であることをあえて引き受けるというか、ある種の「誇り」を持っているような気がする。「何が悪い」「これでいいじゃん」というわけだ。雑誌のコピー風にいえば「私らしく」かもしれない。実際、このカテゴリーに入る女性たちの中には、元気で輝いている人たちがたくさんいる(と紹介されることが多い)ような印象がある(もちろんそうでない人たちも多いだろうが)。

しかし男性の「負け犬」はどうだろうか。あくまで漠たる印象でしかないが、「元気で輝いている」といった印象からは程遠い感じがする。「負け犬」女性と比べて、「負け犬」男性はかなりさびしいというか情けないというか、そんな扱われ方がされている感じがするのだ。男性「負け犬」とストレートに結びつけるのは不適切だと思うのだが、最近は中高年独身男性による犯罪がけっこう多い気がする(世帯持ちの犯罪者も、若者の犯罪者も、女性の犯罪者もたくさんいる。あくまで印象レベルで目立つという意味だ)。いちいち例は挙げないが、とほほな例から身の毛もよだつ例まで含め、こうした独身男たちの姿がニュースなどで流れると、「これこそ本当の『負け犬』ではないのか」などと思ったりする。

犯罪者は論外としても、一般に「負け犬」男性に対する風当たりは、「負け犬」女性に対するそれと比べて、あきらかに強い。弁解の余地なし、といった観がある。テレビドラマになった「負け犬の遠吠え」は、電車の吊り広告と新聞のテレビ欄でみた限り、「負け犬」女性も「勝ち犬」女性も肯定的に扱うものだったようだ。もし同じテーマで男性が主人公だったら、そういう扱いをしただろうか。

「負け犬」男性は、同情されないだけではない。中には、「負け犬」女性が出てくるのは男性がだらしないからだなどという声もある。曰く、おめがねにかなう男性が現れないから「負け犬」を選択せざるを得ない、と。男性もっと努力しろ、と。ある意味マッチョな考えだが、実際のところ、男性の未婚者には所得の低い層が多く、女性の未婚者には所得の高い層が多いという話も聞く。むろん問題は経済力だけではないが、期待と現実のミスマッチが問題のひとつであるとはいえるのではないか。男性だってつらいのだ。

フェミニズム的な観点からはいろいろ言いたいことがあるだろうが、本題ではないのでここでは触れない。ここで言いたいのは、理屈や「べき」論はともかくとして、マクロレベルでこうした男性を「なんとか」しないと、社会が望ましくない方向へ向かってしまうのではないか、ということだ。それが仮に彼らの「自己責任」ないし男性中心社会のせいであるとしても、そう言ってすましていれば問題が解決するというものではないのではないかと思う。

実際、男性の結婚難は「問題」だ。確たる証拠はないが、大小さまざまな犯罪がこの問題に起因して起きている事情があるとすれば、それは私たちの生活の質を下げているわけだし、少なくともマクロ経済レベルの問題として、人口の減少は好ましくない。結婚→出産という流れが今後も「当然期待される生き方」であるかどうかはともかく、子どもたちの大半が(少なくとも一時期は)結婚した男女の間に生まれている以上、少子化の問題はかなりの部分、結婚難の問題でもある。したがって、結婚している男女の数を減らさない努力は、政府として一定程度必要だと思う。

具体的にはどうするか。わかれば苦労はないのだが、いろいろな考え方がある。いろいろやっていくことになるのだろう。政府の少子化対策は、主に、結婚・出産へ向かおうとする意欲を妨げる要因を除去ないし軽減しようとする方向に向かっている。育児給付の拡大、保育園の整備、キャリアパスの充実、男性向け育児休業の拡大、…。効果は限定的かつ時間を要するだろうが、とりあえずいろいろやってみたらいい。

女性に対して結婚や出産を奨励することは、強烈な反発を招くことが多い。個人の生き方に対して政府が口を出すべきではない、というわけだ。もちろん、政府が人の内心にふみこむのは基本的によろしくない。ただ、社会の維持に有益な行動に対して税制上の優遇なり政策上の配慮なりを与えること自体は、政府の活動として許容されるべきだと思う。仮に「負け犬」女性の増加が「負け犬」男性の責任であるとすると、結婚数の減少は「負け犬」男性の問題でもあるということだ。女性側の条件を改善する政策手段と同時に、男性側の条件を改善する政策手段も必要だろうし、男女問わず結婚や出産の妨げになる制度や習慣について、より柔軟に対策を打っていくことも必要だろう。

ここから先はちょっと暴論。

女性が結婚・出産に対して消極的になることは、男性にもかなりの責任があるのだ、という論理で語られることは多い。これが、男性側に働きかける政策対応が必要という方向にいくのはいいのだが、どうかすると、男性に対してもっとしっかりしろといった追い立てるようなことがけっこうあるように思う。

しかし、男性を追い立てすぎると、必ずしもいい結果にならないかもしれない。これをその例として挙げるのが適当かどうか迷いもあるのだが、一部の男性は外国、特にアジア諸国の女性と結婚する道を選んでいる(厚生労働省の人口動態統計はこちら、ニュースはこちら)。こうした動きを国として奨励なり支援なりすべきかどうかはいろいろ意見もあろうが、少なくとも個人レベルではひとつの選択肢だ。国内で、結婚したいと思う男性が結婚したいと思う女性よりもたくさんいるとして、国外に結婚してもよいと思う女性がいるとしたら、一部の男性がそちらに向かうことを否定はできない。

はなはだ不謹慎な表現だが、結婚を「市場」としてみたとき、これは農業などで典型的な、輸入自由化と国内産業保護の問題と似た構図を持つ。一般論として、「供給制限」による「価格維持」が、国内産業にとって有益でもなければ持続可能でもないケースはよくある。国内産業の保護がある人々にとってメリットであるのと裏返しに、輸入自由化が別の人々にとってはメリットがあるからだ。どちらが正しいかという議論は、こうした場合はあまり役に立たない。うまく折り合いをつける方向にもっていく努力をしたほうがお互いにとっていいと思ったりする。

なんだかこんがらかってきて、そのうえどんどんきなくさくなってくるので、このへんにしておく。なんだか自分でも消化不良のような気がするが、とりあえず議論の「たたき台」とでもお考えいただければ。

※2005/12/28追記
関係ないが、↑上に出ている「負け犬の遠吠え」、Amazonのマーケットプレイスで92円だって。よほど売れたんだねぇ。

※2005/12/29追記
おそれおおくもR30さんにこの記事をとりあげていただいている。いつもどおり快刀乱麻のR30節で、読んでいてたいへん気持ちがいい。たとえ自分の意見が一刀両断にされていたとしても。批判というのはこういうふうにやってもらいたいね、という見本だな。読むと「この山口ってやつは本当にものがわかってないな」と自分でも思ってしまったりするのだ。

R30さんのご意見はそちらをご覧いただくとして、せっかくアルファブロガーにとりあげていただいたのだし、少し自分のポジションを明らかにしておく。

R30さんのご意見はごもっとも。ご提案もさすがという感じ。1年前の大激論は斜め読みしていたので詳しく知らなかったが、ああいう議論をくぐってきた方からすれば、まあ今ごろまたむしかえして、というか周回遅れだぜ、ということになるのだろう。それは全面的に認める。ともあれ脱帽。

それを前提として、だ。

ではこの1年、この問題は改善に向かったのかというと、そうでもないように思う。むしろ悪化しているかもしれない。「負け犬の遠吠え」は、R30さんのいわれるような「白旗敗北降伏勧告」ではなくて、むしろ「負けるが勝ち」宣言だと思う。「負けを認めるからもうつべこべ言わないで」というわけだ。しかし「負け犬」という考え方が定着した社会というのは、結婚・出産という観点でいえば、政策担当者にとってある種絶望的な状況だと思う。そもそも何をやってもだめ、ということになっちゃうからだ。よくいう「馬を川岸に連れてくることはできても」というやつ。

それから、この問題に関する世間の皆さんの意見が集約されてきたかというと、そんなことはない。政策対応において、R30さんの名案が取り入れられる方向になっているかというと、そんなこともない。なぜか。こうした優れた意見が、世間の大半の人々や、官僚やら政治家やら識者やら政策を実際に作っている人たちやらには届いていないからだ。だいたいブログを読んでいる人も国民全体からみれば少ないし、読んで参考にする人はさらに少ない。読んで参考にしたいと思う人は影響力がない。たとえ月間PVが100万あっても、ブログ界隈で行われた大激論は、少なくとも今のところ世間のほとんどには届いていないし、実際の政策形成過程にはまったく反映していないのだ。先日の衆議院総選挙におけるブログ世論の役割については比較的肯定的な評価もあったようだが、ブログというメディアの社会への影響力(あるいはマスメディアへの影響力)は、分野によって異なるのかもしれない。まあそのへんは本題と離れるのでおいとくとして。

ともあれ、問題は変わっていない。とすればどうするか。

もとより私たちは素人だから、政策形成過程に本気でコミットする時間もなければそのつもりもない。それでもこのテーマについて発言しているのは、おそらくなんらかの意味で社会に(願わくば自分が望ましいと考える方向に)影響を与えたいと思うからだ。もしそう思うなら、まだ決着はほど遠いこの問題について、「もう終わった議論」なんてことはない。先日のRIETIのセミナーでもこの問題が「今そこにある危機」であるとの認識が示されていた(セミナーの内容はほぼこのペーパーに集約されているのでご参照)。政策の骨格は定まりつつあるのだろう。基本的には、結婚よりも出産・子育てへの支援策が中心だ。巷でたくさん聞かれる「女性と付き合うのがこわい」という男性の声は、政策には反映されていない。

だから、議論は続けるべきだと思う。もっと何かできるかもしれない。もっといい案はないだろうか。そう考え続けていくのは、悪いことではないと思う。たとえR30さんにとって「終わった問題」だとしても、議論が尽くされていないと考える人はまだいるのだ。

ていうかさ、ちょっと遅れてるかもしれないけど、かなりずれてるかもしれないけど、いいじゃん!許してよ、というのが本音。負けは認めるからさ。(こういうのを「負け犬戦略」と呼んだらどうかな?)

で、R30さんの記事タイトル「なんで年末になると少子化対策の話になるんだろう」だが、これ実際おもしろい。上記のとおり、この記事の本文は1年ほど前のこの時期に書きかけたまま放置してあったのだ。今回公開した直接のきっかけは上記のRIETIのセミナーなのだが、あれが予算審議と関連しているとすれば、R30さんの読みは鋭い!ということになる。人間、思ってる以上に外部環境に左右されるものだな。ということは、自分を変えたかったら外部環境を変えるのが一番か、などとありがちな教訓を確認したりして。

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Tracked on February 07, 2006 at 01:17 PM

Comments

 以下の文、漫画というジャンルに興味がない方には意味がない文だと思います。
加えて、単なる情緒面での話です。
こちらのブログにはふさわしくない内容かもしれませんが、ご容赦いただければ幸いです。

 筆名「あびゅうきょ」という漫画家をご存じでしょうか?
この人の最近作は独身中年男性の絶望の表現を主題にしており、本日の文を読ませていただき、連想したため、紹介させていただく次第です。

下記のような本を出しており、
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/search-handle-form/503-5234357-4816720

以下のWebページを公表しています。
http://www.ne.jp/asahi/abyu/abe/

が、往年の「ガロ」掲載作のような作風のため、非常にマイナーな作家です。
とはいうものの、私などは、彼の最新作「絶望期の終わり」等から、正に「暴論」と化した魂の悲鳴を感じる次第です。

Webページ中の「不定期日記」中の「2005年11月26日、15日、10日」をお読みいただければ、この漫画家の「表現」を部分的に感じられるかもしれません。

Posted by: MUTI | December 28, 2005 at 10:00 AM

MUTIさん、コメントありがとうございます。
ご紹介いただいたサイトを見てみました。
日記、いろいろ考えさせられますね。一方であびゅうきょさんのような絶望感があり、もう一方で輝ききれない「負け犬」さんたちもいて。いろいろな考え方があって、通じ合うことはかなり難しいのだな、という感じがしました。それでも、社会の制度や運営で解決できる問題ではないのでしょうが、それでもなんらか手を打っていかなければならないわけですね。難しいなぁ。

Posted by: 山口 浩 | December 28, 2005 at 12:38 PM

「負け犬」男性の話は、「モテ・非モテ」論という形でネットで盛り上がっているようですね。
「非モテ」で検索すると、いろんなサイトが引っかかります。

Posted by: Baatarism | December 28, 2005 at 04:58 PM

Baatarismさん、コメントありがとうございます。
情報にうといもので、「非モテ」の件は知りませんでした。こういうふうにいうんですか。

「モテ」というのは、相手が複数も可(かつ、その相手は選べない)という含みがあるように思えますが、「負け犬」と同じなんですかね。

まあいいや。これから勉強します。

Posted by: 山口 浩 | December 28, 2005 at 05:17 PM

結婚を市場としてみることはぜんぜん不謹慎でもなんでもないと思います。事実そうですから。需要と供給のバランスが崩れているのなら、外国人との結婚などそれを解消する方向へ議論が向かうのもわかりますね。ただ、結婚の場合は失業などと違い別に命に関わりません。結婚しないデメリットも世間体ぐらいでしょうが、近年はそれもあまりうるさくなく、しょうがないなと諦め顔ですね。私なんかわざわざそこまでして結婚に拘りませんし。たしかに結婚できる経済的条件を備えた男性が急減していることは体感できます。そこへBaatarismさんおっしゃる「モテ・非モテ」論が加わり、複雑な様相を呈しているのが現在の恋愛あるいは結婚事情なんでしょう。経済的要因以外にも、恋愛結婚の増加が結婚市場に何らかの影響を与えている可能性も否定できません。その辺少し考察してみました。→http://neetnet.seesaa.net/article/8176501.html

Posted by: すなふきん | December 28, 2005 at 07:55 PM

すなふきんさん、コメントありがとうございます。
なんのかんのいっても、皆さん関心の高いテーマなんでしょうね。恋愛結婚については、「恋愛」は明治時代に輸入されたと書いてある本を呼んだことがあります。
ただ、失業問題でも職探しをしているかどうかについて本当の気持ちを答えていないケースがあるがあるようですから、結婚を求めていないという意見も、本音なのかどうか、慎重に判断したほうがいいかもしれません。

Posted by: 山口 浩 | December 28, 2005 at 10:17 PM

すいません。マウスが滑って2回TBしちゃいました。1個削っておいてくださいm(__)m

Posted by: R30 | December 29, 2005 at 02:30 AM

家電製品・コンビニ・モータリゼーション・ITなどの発達により、男性・女性ともに「家庭を持つことで得られるメリット」が少なくなりつつある現状が、結婚に踏み切ることへの決意を減らしている気はします。
くわえて、イエ制度の維持・近所付き合い・「見合い」といった仕組みが希薄になりつつある情況では、結婚“せねばならない”というプレッシャーも低いでしょう。

一方、かつては「顔も知らない許婚者(いいなずけ)と結婚しなくてはならない」階層や身分の人達が居た時代もあったわけですが、それを考えると『恋愛できる能力』がある人にとっては現代は有り難い世の中かもしれません。しかし逆に『恋愛する能力が無い』人にとっては、これほど酷な話は無いわけでして。

Posted by: guldeen | December 29, 2005 at 02:30 AM

guldeenさん、コメントありがとうございます。
個人レベルではいろいろな評価のしかたがあるのでしょうね。
社会のレベルだと、少子化は好ましくないと思います。
世界レベルだと、他に人口が増えてる国もあるし、むしろ人口爆発のほうが問題なので、日本の少子化の影響はそれほど大きくないですね。
生物種としての人類のレベルで考えると、どうなんだろう?

Posted by: 山口 浩 | December 29, 2005 at 10:12 AM

お久し振りです。TBじゃなくてごめんなさい。
私にとって激動であった平成17年の終わりに質の高い文章に出会えて嬉しいです。
ご存知の通りアタマ悪いので、感性だけの私ですが・・
私も実現性はともかく「子供」を増やしたいなら少子化対策よりも結婚対策だと考えています。本当のところ、現状のどんな政策も法律も少子化には歯止めがかからないってエライ人も賢い人もみんな知っているくせに!と思うのです。
一方庶民は、小学生の頃「このままだと皆さんが大人になる頃、石油がなくなって大変な事になります」と教えられたレベルで「少子高齢化で大変な事になります」を聞いているんじゃないでしょうか?
私の周りに限って言えば、結婚しない女性や結婚できない男性は『既婚者』のご意見なんか聞く耳持たなくて当然だし。
現実的な対策としては法律上の婚姻関係ではない「結婚契約書」等による新しい男女の結びつきの一般化に期待しています。

Posted by: N@o | December 29, 2005 at 03:19 PM

人口爆発を起こしている国に共通するのが、「教育レベル・衛生レベルがそれほど高くない」という点。
大家族主義というのは、つまりマンボウやシャケなどのように「沢山産んでおけば、どれかは育つだろう」という「無計画主義」の裏返しでもあります。実際、昭和以前の日本でも、大兄弟のうち数人が飢饉や疫病などで亡くなっているケースは少なくないわけで。
これがゴリラやパンダのような高等な哺乳類にみられる「一度に一匹・大事に育てる」形式になると、しぜんと『文化の継承』が行なわれ、種としても創造的な事を行なえるようになってきます。
総人口で見れば推移はあまりなくても、日本の人口の急激な減少は、当面は「年金資金を支える層の減少」として、そして長期的には「日本の生活文化(農村生活・他年中行事など)・工業技術の継承の断絶」という形で響いてくると思われます。

Posted by: guldeen | December 29, 2005 at 03:26 PM

N@oさん、コメントありがとうございます。
お久しぶりです。
政府の政策は、それなりの人たちがそれなりの調査やら研究やらをベースにいろいろ検討をしながら作っていくわけですが、途中でいろいろな思惑が入ってくるので、どうしても中途半端だったり筋ちがいだったり玉虫色になったりすることが多いようです。
おそらく必要な対策は1つだけではないでしょう。できる範囲のことをいろいろやってみるしかないのだと思います。女性にとっても男性にとっても、子どもにとってもお年寄りにとっても、今より少しでも住みやすい世の中にしていけたらいいですね。

Posted by: 山口 浩 | December 29, 2005 at 03:29 PM

guldeenさん、コメントありがとうございます。
映画「The Matrix」の中で、Agent Smithが人類を病原菌にたとえていたのを思い出します。
曰く、生物の中で自然とのバランスを保てず野放図に拡大を続けるのは病原菌と人類だけだと。
その意味でいくと、日本人は病原菌とは少しちがうのかもしれませんね。Agent Smithに反論しとかなくちゃ。

Posted by: 山口 浩 | December 29, 2005 at 03:34 PM

私も問題は、負け組、負け犬の男性だと思います。

少子化の問題は、私は重要と感じないが、少子化の原因は、非婚化にこそあると思います。

農村部に住む私の町でも、40代、50代の独身男性がいっぱいです。
他方独身女性はといえば、都市部にでて、キャリウーマンにでもなるのかそもそもあまりいません。

そもそも出会うべき相手がいません。

だから、20代での結婚を逃すと、お見合いパーティーやアジア人女性(中国、タイ、ベトナムなど)との結婚も多いです。

Posted by: watarajp | December 29, 2005 at 08:11 PM

watarajpさん、コメントありがとうございます。
中高年独身男性にも、結婚したいのにできない人と、結婚したくない人といますね。
専門家の分析では、人々の考え方の変化が社会の変化をもたらしているというより、社会制度の不備が人々の考え方をゆがめているとのこと。つまり制度をいじることによってある程度人々の考え方を変えることができる、とみているようです。
本当にそうならいいんですが、それでも現在のところ本格的な独身男性向け政策を打ち出す方向ではないようですので、どのくらい効果があるんだろうと素人的には思ってしまいます。ともあれ政策は少なからずそういう発想に基づいて考えられているということを私たちは知っていていいと思います。

Posted by: 山口 浩 | December 30, 2005 at 01:53 AM

はじめまして。外国人女性と結婚した男子です。自ら暴論と仰っていますが、非常に気持ち良く読ませていただきました。また山口さんの熱い気持ちが感じられました。
私はこの問題はそんなに簡単ではないと思っていますし、もしうまくいったとしても現在の適齢期男子を救えることになるかどうかは甚だ疑問視しています。
それよりも、個人レベルでは国際結婚と言う選択をするのも、少子化の解決とは方向がずれてしまいますが、やむを得ないと考えています。
拙い作文ですがトラックバックを送らせていただきます。

Posted by: ですく | December 30, 2005 at 10:37 PM

ですくさん、コメントありがとうございます。
「熱い気持ち」かどうかはともかく、難しい問題だというのは本当に思います。いろいろな要素がありますから。
個人レベルでは自分自身の満足が一番ですよね。幸せなご結婚をされたご様子。胸を張っていいのではないでしょうか。

Posted by: 山口 浩 | December 31, 2005 at 02:14 AM

はじめまして、面白く拝読しました。

この記事に触発されて、「負け犬」について記事を書きました。
TB送らせていただきましたので、もしよろしければ現役「負け犬」からの、「負け犬」男性へのエールをお読みくださいませ。

Posted by: 珍獣 | January 07, 2006 at 07:41 PM

珍獣さん、コメントありがとうございます。
トラックバック先も読ませていただきました。この問題を、ご自分の問題として真剣に考えておられることがよくわかります。私は立場がちがいますのでわからない部分も多いのですが、個人としての感想を書きます。男性も女性も、考えすぎてしまっていないか、あまりに期待が高すぎないか、と思うことが前からありました。自分のときは事前にそんな難しいことは考えていなかったよなぁ、と。案ずるより生むが易し、ともいいますよ。なんていったら「わかってない!」と怒られるかもしれませんが。

Posted by: 山口 浩 | January 08, 2006 at 02:07 AM

山口さん、読んでいただいてありがとうございました。

わかってない!と怒られた経験はわたしもあります。
そうですね、自分の問題として引き寄せて考えたと思います。
山口さんのようにだれもが、目の前に現れれば、考える暇もなくやすやすと生んじゃうんだろうなと思います。その反射運動を、予めゆっくり思考回路でシミュレーションしているようなものでしょうね。


Posted by: 珍獣 | January 08, 2006 at 03:20 AM

珍獣さん、コメントありがとうございます。
当然ながら私自身は「生んで」いませんので、生む立場の女性が感じておられるプレッシャーのようなものは、想像を絶する部分があります。それを前提としてですが、将来に不確実性があるから動かないという態度と、将来に不確実性があるけどやってみようという態度の差がどこからくるのかな、といつも考えています。

Posted by: 山口 浩 | January 08, 2006 at 10:03 AM

「生む」って出産の意味だったんですね、失礼しました。
>男性も女性も、考えすぎてしまっていないか(中略)と。案ずるより生むが易し、ともいいますよ。<
という流れで、「考え過ぎ」=「案ずる」だと思って、「生む」を行動するの意味で引用してしまいました。そういえば、少子化の話題でもありましたね。

>将来に不確実性があるから動かないという態度と、将来に不確実性があるけどやってみようという態度の差がどこからくるのかな、といつも考えています。<
わたしは、この差を、もともと人生とは不確実性に満ちているという前提の有無の違い、だと思いました。

Posted by: 珍獣 | January 08, 2006 at 11:46 PM

珍獣さん、コメントありがとうございます。
すいません。まぎらわしいですね。「産む」話と、「案ずるより」が入り混じってます。
リスクの存在をどうとらえるかという点に関しては、ご指摘の通りリスクが現実に存在することを認識するかどうかという問題があるわけですが、それ以外にも問題をどうフレーミングするかが重要ではないかと。そこらへんにくると、制度というより内心の問題なんじゃないかと思ったりします。「リスクを楽しむ」というか「リスクを気にしない」みたいな考え方ができたらどうなるだろう、というアイデアの種のようなものがずっと頭にひっかかっていて。
関連記事「リスクマネジメントにおける『へっちゃらだい!』戦略」ttp://www.h-yamaguchi.net/2004/09/post_10.html

Posted by: 山口 浩 | January 09, 2006 at 03:20 AM

おすすめの関連記事「リスクマネジメントにおける」記事と、「合理的な豚」記事も関連するかと思って、読ませていただきました。

まず、ひとつ前のコメントにわたしが書いた「もともと人生とは不確実性に満ちているという前提」ですが、これも、人生を天から又は神から賦与された確実なものと考える場合があるので、人それぞれの解釈で変化するフレーミング対象であって、制度のような決まり事の一つではないと思われます。
それで、これを踏まえてみると、山口さんの「へっちゃらだい!」戦法というのは、メタ的に一見固定され不変不動だと錯覚していた概念の枠組みに気づいたり、乗り越えたり、塗り替えたりすれば、可能になるものなのかなと思いました。
たとえば、何かを選択したり、判断するとき(たとえば「合理的な豚」のようなゲームをするときも)どこかを固定しないと(前提やルールをつくらないと)ゆらゆらしすぎて動きにくいわけです。しかしながら、よく考えれば、その便宜上固定したなにかしらのものは、何かを進めるための仮止めにすぎないものです。
だから、わたしが考える「リスクを楽しむ」とは、便宜上固定した仮止めをはずしてみて、一旦ブラックホールのようなゆらゆらの中に身をおき、新たな仮止めを自分で見い出すことであり、また「リスクを気にしない」とは、すでに固定した仮止めを反古にするということだ、と思いました。
いつの間にか、なにかしらの現象にリスクという名前が与えられて、そう扱うようになるわけですが、わたしがリスクマネジメントをするなら、リスクという名前が与えられる土壌や背景を把握して、ルールを創り直してしまうことをします。今回TBさせていただいた拙記事「負け犬ふたたび」は、そんないちルールの開示だった…ような気がします。意味が通じるか不安で、長くなりました。すいません。

Posted by: 珍獣 | January 10, 2006 at 02:52 PM

珍獣さん、コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、前提条件を変えればものごとはまったくちがってみえるということです。
それを「ごまかし」と呼ぶ人もいるかもしれませんが、そう捨てたものでもないと思います。宗教とか哲学とかがその役割を果たすこともあるんでしょうけどね。

Posted by: 山口 浩 | January 10, 2006 at 08:02 PM

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