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責任は「足して100%」ではない、と思う

世の中、次から次へといろいろな問題が起こるが、それに対する議論の流れがいつも似ているように思う。なんでなんだろうといつも疑問だったのだが、共通の思考回路はこのあたりにあるのではないか、と思い当たったので、書いてみる。

「責任」というものに対する考え方だ。

よくある議論の流れはこう。まず問題が起きる。たとえばAがBに損害を負わせたとする。するとほぼ同時に「責任」論が浮上する。それも何種類も。

・「Aが悪い。Aに責任がある」
・「いやAにはCという黒幕がいる」
・「この問題を所管する○○省には監督責任がある」
・「この問題は小泉政権の政策がもたらしたひずみだ」
・「Aは○○党の幹部にコネがある。きっと何かある」
・「この問題に関するマスコミの取り上げ方が悪い」
・「そもそもBの自己責任ではないか」
・「これはアメリカの陰謀だ」
・「昔はよかったのに、今の若い者はなっとらん」
・「教育のせいだ。最近の学校はろくなことを教えない」
・「Aはもうけすぎだ。この機会にもっとこらしめるべきだ」
・「世の中にはもっと厳しい状況の人がいる。それをさしおいてBを助けるのはおかしい」

他にもあるかもしれないが、まあこのへんで。よくこれだけあるものだ。何が起きても必ず首相のせいとかアメリカのせいとかにする人がいるのはおかしいが(企業の粉飾決算まで首相のせいにする人がいるが本気なのだろうか)、まあ笑い事ではすまない場合も多い。で、次に起きるのはこのさまざまな意見の間での批判合戦だ。

・「Bの自己責任とかいう人は信じられない」
・「やみくもにAを批判するのは単純。黒幕のCを追及しなければ」
・「Aには賠償能力なんかない。政府がなんとかしろ」
・「なんでも官僚や政府のせいにするのはいかがなものか」
・「ここで世代論を持ち出すのはよせ」
・「マスコミは関係ないだろう」
・「黒幕なんてガセだ」
・「政争の具にするな」

で、こうした論争が泥沼化し、膠着状態に陥って、やがて飽きられ、忘れられていく。で、また同様の問題が起こると。いつもいつも何だよなぁ、と思っていたわけだが。

要するに、「責任」ということばに関する混乱が原因なのだ。

責任には何種類かある。「賠償責任」と「説明責任」の差についてはよく語られるが、このほかにも、「対策をとる責任」とか「真相を究明する責任」とか「結果を甘んじて受け入れる責任」みたいなのもあるだろう。このあたりをごっちゃにすると、話はぜったいにまとまらない。議論をするとき、自分が力点をおく場所と他人が力点をおく場所がちがうことはよくあるが、いろいろな責任がごっちゃになっていると、他人の考え方が理解できなくなる。「なんでそんなこというの!?そっちじゃないだろう重要なのは」となるのだ。どれも重要だ、ですむ話なのに。

で、ごっちゃになっていると、すべてが「責任を負う人が損害を賠償せよ」に結びつく。つまり責任は全部で100%であり、それを誰がどう分担するか、という考え方になるわけだ。説明責任は必ずしも賠償責任にはつながらないし、対策をとる責任は賠償責任を負う人とちがっていることも珍しくないはず。なのに、Cが悪いと主張する人がいると、Aが悪いと主張する人にはAの責任を軽くしようとしているようにみえてしまう。だから論争になるのだ。

で、思うのだが。

責任というやつは、足して100%になるという性質のものではないのではないか。もちろん賠償責任は足して100%だから、ある損害額があってそれを誰がどれだけ分担するかという議論になる。それはいい。しかし、そうでない責任、たとえば説明責任とか真相究明する責任とか事態の発生の下地を作ってしまった責任とか、被害者を助けられたのに助けなかった責任とか、さまざまある責任は、それぞれの人がそれぞれ100%負ってしかるべきではないだろうか。問うべきなのは「誰に責任があるか」ではなく、「この件に関するあなた(私)の責任はどうか」だと思う。

たとえばその昔「一億総ざんげ」みたいなのがあって、指導者の責任を薄めるものだとかいう議論があった。当時の事情は知らないから何ともいえないが、あまり有益ではないと思う。あれは指導者の責任とは関係なく、「一億」の国民すべてが自分の負うべき責任を自覚しようという意味ではなかったか。最近の耐震偽装問題にしても(※2006/01/22追記 そういえば、ライブドアの証券取引法違反問題もこの例にあたるかもしれない)、誰がどれだけコストを負担するかという問題とは別に、誰が何をすべきだったか、これから何をすべきかを議論すべきではないだろうか。もちろん「自分」の問題として。それは偽装した業者が負うべき賠償責任を減らすものではまったくないし、行政を説明責任や対策をとる責任から解放するわけでもない。足せば200%にも300%にもなるはずなのだ、きっと。

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