まさに都庁舎にふさわしい建物ではないか
都庁舎が雨漏りに悩まされているらしい。築後15年で、という記事が出ていた。
都庁舎については、不釣合いに豪華だという批判が当初からあった記憶がある。私もそう思っていた。しかし今となってみると、それはまちがいであったように思う。これこそ都にふさわしい庁舎ではないか。
今の都庁舎は、丹下健三氏の設計で、1991年度に建てられた。総工費1,569億円。2006年度で15年になる。建通新聞社サイトのニュースをみると、こうある。
施設の長期保全に向けて都財務局は、18年度から6カ年をかけて都庁舎の外壁・屋上防水などの改修工事を進める考えだ。6カ年の総工事費はおよそ10億円。相和技術研究所(目黒区)に委託した実施設計の中で、18年3月末までに施工方法などの詳細を固めていく。
ずいぶんな金額だ。しかしこれだけではない。
都の試算によると、今回の外壁・屋上防水改修に要する約10億円に加え、ビルオートメーションシステム(庁舎内の電力・空調設備などの一元監視システム)の導入に約80億円、そのほかにも約30億円と、緊急的に必要な改修額だけでもおよそ120億円の支出が必要とされている。 さらに、15年度に実施した現況調査を基にまとめた長期保全計画では、16年度から30年間で改修費などに1000億円を超える支出を見込んでいるという。
建物にとってメインテナンスが重要なのはわかる。しかし改修のために総工費に匹敵する金額、というのはいったい。こうしたコストのかなりの部分が、あの建物の特殊なデザインに起因しているのであろうことは、素人目にもわかる。「世界的建築家」だった丹下氏は、建物の上層部を2本に分け、しかもその壁面をねじった形にデザインした。縦長の窓による荘重な雰囲気の中にも斬新なイメージがあるのはそのためだが、複雑な壁面形状のため、窓の清掃作業にも余計なコストがかかる。他にもこうした例はたくさんあるらしい。
都庁舎のユニークなデザインは建築前から話題になっていた。光熱費がかかるであろうことも、維持費がかさむであろうことも、そのころからわかっていたことだ。朝日新聞2006年2月21日夕刊記事はいう。
「バブルの塔」は、首都東京の未来に大きな負の遺産となりかねない。
ややちがうと思う。この建物は、建てられたその瞬間からすでに「負の遺産」だった。「バベルの塔」にちなんだ「バブルの塔」という呼び名も当時からのものだ。しかも、設計者があらかじめ想定していたかどうかは知らないが、あちこちで雨漏りが発生していて、これによって「負の遺産」は「より大きな負の遺産」になろうとしているわけだ。朝日の記事は、都の担当者のことばを伝えている。「計画的な本格修繕に入るかどうか決断の時期が迫っている」と。
いやいや。
本格修繕だって?冗談じゃない。都の財政はこのところの税収増でいっときよりはよくなっているらしいが、まだまだ借金漬けであることに変わりはない。特にインフラ関係は、例の臨海副都心へのつぎ込みもあるわけだし、よけいな金をかける余裕などないはずだ。
この壮大な「遺産」を生んだ立役者は、なんといっても当時の鈴木俊一都知事だろう。この人のことを書こうとすると怒りに我を忘れてしまいそうになるので書かない。ただ、このあたりをみると、このデザインを採用したのは、都庁舎を長く歴史に残るモニュメントにしたかったからに他ならないことがよくわかる。
完成が私の4回目の選挙と重なったため、パリのノートルダム寺院をほうふつさせる外観に対しては、「豪華庁舎」という批判が出ました。でも、雅致を凝らした芸術作品のようで、私は、国際都市東京にふさわしい、良い景観だと思います。
全員とはいわないが多くの都民の懸念や反対を押し切ってこの建物と建てたその思い、しかと受け止めようではないか。この建物は、都の「象徴」として、出来る限り長く使っていってもらいたい。
当然、修繕費は必要最低限に抑えて、だ。
もちろん、修繕しないと危険な場合、機能上著しい問題がある場合はさっさと直すべきだ。しかし必ずしもそういうものばかりではないと思う。雨漏りするなら、バケツをおけばいい。空調がとまったら、厚着をするなりうちわであおぐなりすればいい。窓が汚いなど、ほうっておけばいい。都の職員の皆さんには申し訳ないが、まあがまんしてもらうしかない。民間企業には、一流企業でも昼休みには照明を消し、エレベータも止めてしまうところがある。廊下の照明は蛍光管を間引きするなど当たり前。専門家を呼んで指導してもらうといい。ちょっと頭をやわらかくすれば、「絞る」余地は無数にあるはずだ。
みっともないなどと気にする必要はない。ノートルダム寺院が例として引かれていたが、「えらい人」のわがままで無駄遣いをすることのできる時代ではもうないのだ。美意識は人それぞれだが、公金を使う以上、美意識のゆえに効率性を犠牲にすること(しかも借金漬けになってまで)を正当化する論理はない。その意味では、そもそも機能やコストを無視したデザインを採用したこと自体が、見識のなさを示すという意味ですでにみっともないのだ。財政が苦しいことだって周知の事実。恥ずかしいことなどない。節約の努力は、そのまま都民へのアピールになる。それらもすべて含めて、この建物は、まさに都の象徴にふさわしいではないか。
移転前の旧都庁舎は1957年完成で、都合34年間使われたことになる。建替えが必要になったのは、老朽化というより手狭になったという理由のほうが大きい。しかし今の都庁舎が手狭になる事態はちょっと考えにくい(そんなに都の組織が肥大化してもらっては困る)。ならばあと100年、とはいわずとも、建物としての天寿を全うするまで使いたおしてもらおう。雨漏り対策のバケツを都庁名物として。50年もたてば、これ自体が「文化財」になるかもしれない。どうにもならなくなったら、必要最小限の補修をして遺跡にでもしたらどうか。人間の「愚行」への戒めのモニュメントとして。そのときこそ「バブルの塔」は本物の「芸術作品」になるはずだ。
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