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February 17, 2006

少し暴論:1円入札の何が悪いか

日本郵政公社の簡易保険部門が国債などの債券管理業務を外部委託する入札に関連して、資産管理サービス信託銀行が1円で落札していたことを問題視する動きがあるらしい(ニュース)。いわゆる「1円入札」問題だ。

1円入札はよくない。かなり高い確率で、よくない。ただしよくいわれるのとはちがう理由で、だ。

企業がこのような入札を行うことは、別に珍しいことではない。上記リンク先のニュースには、90年代に、大手情報通信会社がシステム機器の受注をねらって、ソフトウエア開発を相次いで1円で落札した事例が問題となった、とある。また最近では昨年12月、財務省が所蔵する金貨のオークション運営業務に関して、ヤフーとシンワアートが1円で応札したことに対して、公正取引委員会が「不当廉売の恐れ」として文書で警告した(ニュース)。 記憶があやふやだが、かつてアップルが、学校向けに自社PCをかなりの安値で売っていたこともあったと思う。他にも似たような例はたくさんあるはずだ。

問題視する人というのは、これを不当に競争を阻害する動きと考えているようだ。たとえば大企業がその財力にまかせ、他社を市場から追い出す意図で圧倒的な安値で応札することで、競争相手が市場から駆逐され、結果的に独占状態を招来して、かえって国民経済にとって害悪だとか何とか、そういうことなんだろう。

ここからが本題。しかし、だ。

ちょっと考えれば分かるような気もするのだが、上記のような「問題視する考え方」は、発注者側と企業側で明らかに「どの範囲をひとつの事業としてとらえるか」の定義が異なっていることに目をつぶっている。しかし、まさにそこが問題の焦点なのだ。その点をふまえないと、ちょっとミスリーディングだと思う。

1円で応札した企業は、もちろん損をするために応札したのではない。国などの発注者のために安くしようとか考えるはずもないし、それが正しい姿だ。安い価格で入札した理由は1つで、それが企業にとって利益につながると考えたからだ。ヤフーの場合はいってみれば「広告費」ととらえたのだろう。政府の業務を受注することで同社のオークション業務に関する消費者の信頼を高めることができるし、サイトへのアクセスも上がるはずだ。「広告」の効果は、金貨オークションだけではなく、ヤフーのオークション業務、ひいてはヤフーの事業全体に及ぶ。そこまで範囲を広げて考えれば充分メリットがある、という判断だと思う。

資産管理サービス信託銀行の場合は、受託業務に付随して国債の利払い等の事務手数料収入が発生するから、ということらしい。ソフトウェア開発の場合と同じで、最初の入り口を安くして後からもうけるビジネスモデルだ。事業を長期的にみれば、充分利益が出る。カメラとフィルム、コピー機とトナーなど、規格が重要となる業界では、これに類するビジネスモデルは数多くみられる。経済学的にいえば「two-part pricing」だし、経営学的には「ロックイン効果」とか呼ぶかもしれない。このビジネスモデルも、もちろん損するためではなく、長期的にはメリットのほうが大きいからそうするわけだ。

資産管理サービス信託銀行が簡保の債券管理業務で1円入札をした背景には、国債の管理に伴う手数料収入がある。簡保が保有する国債の利払い手続きなどは、国の委託を受けた日本銀行が行っている。しかし、信託銀行がその事務手続きを日銀からまとめて請け負うことで、これまでは発生しなかった数十億円規模の手数料が日銀から支払われるらしい。

一方、業界関係者は「採算を度外視している」とかいっているわけだが、どの部分までを「ひとつの事業」と考えるかによって、この問題はちがった様相を見せる。郵政公社のケースでは、発注者側は債券管理業務を単体として事業ととらえた。もしそうなら、それ自体として採算がとれなければおかしい。しかし資産管理サービス信託銀行側は、債券管理業務に付随する国債の利払い等の事務までを含めてひとつの事業ととらえた。もしそうなら、その付随業務を含めた全体で採算がとれていればいい。政府が自動車を買うときに、そのうちのネジ1個が採算割れしていないかどうかを気にすることはないだろう。政府はネジを買うのではなく、トータルとしての自動車を買うからだ。たとえていえば、そういうことだ。

だから問題は、発注者側が、どこまでを業務としてとらえるかにかかっている。もし本当に国債の利払い等の事務が債券管理業務に付随するのであれば、それらを一体として発注するのが本来のスジだ。別々に発注しなければならないなんらかの理由があるのだろうか。そのあたりはよくわからないが、もし債券管理業務と国債の利払い等の業務を別々に発注しなければならない理由があるのであれば、先に発注される債券管理業務において、それを単体でみたときより安値での入札が禁じられてしまうと、発注者としてかえって不合理な結果になるのではないか。

「1円」は当然ながら根拠のある積算価格ではなく、「タダではない」というノミナルな意味の金額だ。それを単体の事業として考えるなら、その正当な対価がゼロであったり負であったりすることはおかしいから、正の金額でなければならない。だから最小の金額である1円にしているわけだ。しかし実際は、その単体の事業の対価をはるかに上回る額の対価がその付随業務から得られるかもしれない。そこまでを含めて考えるなら、実際には1円どころか、許されるならマイナスの金額で入札しても採算が合うものであった可能性が充分にあるし、むしろその確率のほうが高いだろう(マイナスの金額で入札することを禁ずる法律があるのかどうか、不勉強にして知らないが)。債券管理業務に国債の利払い等の事務が付随するものだとすると、それらを切り離すことは、得られたはずのメリットをむざむざ捨てるもので、むしろ発注者の資金を不当に浪費するものであるかもしれないのだ。

というわけで、「ちょっと暴言」。1円入札が悪いのは、それが競争を不当に阻害しているからだが、それは「1円」が安すぎるからではなく、(かなりの確率で)高すぎるからだ。そして競争を阻害しているのは1円で入札した企業ではなく、むしろ「1円」という「高値」で入札しなければならない状況を作り出した発注者のほう、あるいは発注者にそれを強いている制度のほうだ。

だから、1円入札はよくない。付随業務から得られる利益が入札対象の業務の正当な対価より「正確に」1円だけ少ない、というなら話は別だが。

少し補足。

ヤフーのような「広告費」的な1円入札の場合も、「損」と「得」との対応関係が多少あいまいにはなるが、基本的に問題はあまり変わらないように思う。だから、入札金額がいくらであるかよりも、それによって実質的に競争が阻害されたかどうかを考えたほうが建設的ではないか。実際、ヤフー以外にも1円で入札した企業はあったのだから、競争は働いていたと思う。競争があるなら、あとは(質を同程度とすれば)安いほうをとればいい。(実務的には、おそらくこのへんが一番の問題なのではないか。発注者側に「質」を見抜く能力がない場合、価格が有力な手がかりになるだろうからだ。この点を突かれると痛いな。ただ、だからこそ発注の「範囲」を最初によく考えるべきだと思うわけだ。)

オークションでは、実際の価値以上の高値をつけて落札したはいいが結果として損になったという状況を「勝者の呪い」といったりする。1円入札が似たような意味で「勝者の呪い」となっている可能性はもちろん否定しない。しかしあえていうなら、企業は「ばかなふるまい」をすることをも含めて、経営上の自由をもっている。経営者は、自らの職を(ときには財産も)賭して、結果的に「非合理的」となるかもしれないふるまいをする権利を与えられているのだ。ならば企業の自由に任せればいいではないか。独禁法の精神は理解するが、事業の範囲を発注者側の都合で狭めて入札者の工夫の余地を奪うことのほうがはるかに競争を阻害するものとなるケースは、少なくないと思う。

企業が1円入札をするのは、与えられた条件やらルールやらの下で、利益を出すために行った工夫の結果だ。企業とは基本的にそういうものだと思う。そうした工夫の余地を封じられると、企業に残されるのは救いのない体力勝負しかない。それが独禁法のめざす「公正な競争」の姿なのだろうか。「競争」を阻害したかどうかについて、もう少し実体的に判断できないだろうか。メリットとデメリットのどちらが大きいか、考えてみる余地はないのだろうか。

以上、暴論、終わり。法律を扱う方々のご意見をぜひお聞きしたいと思う。

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Comments

ペットボトルのリサイクルが良い例ですよね。
処理費用の入札で処理業者を決めようとしていたら、買い取るという輸出業者が現れたという。

Posted by: holic | February 17, 2006 11:27 AM

holicさん、コメントありがとうございます。
政治が決めることは、たいていの場合きちんとした理由があって、意見の差はあってもそれなりに理解ができたりするものですよね。それでも、時がたてばいろいろ実態のほうが変わってくるのは世の常です。その意味で、何をどう決めるかと同じくらいの真剣さをもって、変化にどう対応していくかを考えなくてはいけないのではないでしょうか。

Posted by: 山口 浩 | February 17, 2006 05:57 PM

私はこの分野は全く門外漢ですが、言われていること、もっともだと思えます。マイナスの入札価格、おもしろいですね。明示的にそれが可能なことを規定すべきじゃないでしょうか。

懸念があるなら、公正な競争を阻害するのかを個別に評価すべきなのであって、1円入札という表層を捉えて基準もなく悪いと騒ぐのはいかがなものかと思います。

Posted by: きだ | February 18, 2006 07:39 AM

きださん、コメントありがとうございます。
あんまりまじめに調べてないのですが、法律には「マイナスはいかん」とは書いていなかったような記憶があります。きっと1円入札に対する公取委の見解とか、警告の事例とかがあって、「1円がだめならマイナスはありえないね」という感じなのではないかと。
ただ彼らも、全部個別にやれといわれても手が足りない、という事情はあるのでしょう。個人的には投稿とか予測市場とかをうまく使えないかなんて夢想してますけど、現実味をもって受け取られないだろうなぁ今の情勢だと。なんか工夫がないですかね。

Posted by: 山口 浩 | February 18, 2006 09:53 AM

> 発注者側と企業側で明らかに「どの範囲を
> ひとつの事業としてとらえるか」の定義が
> 異なっていることに目をつぶっている。

基本的には、異なっていてはいけません。受託範囲の解釈の違いや、自動的に受託範囲が広がるようなことがあってはなりません。公共事業の入札ではそれは本来は基本中の基本です。

> そうした工夫の余地を封じられると、企業に残されるのは救いのない体力勝負しかない。

当たり前です。個人的には、これを良しとしない点に猛烈に腹が立ちます。貴方は日本国や国内の地方公共団体に対し税金を払っていないのですか?

Posted by: gtk | February 20, 2006 07:12 PM

gtkさん、コメントありがとうございます。
なんだか猛烈にご立腹のようで、申し訳ありません。ご指摘をいただいたので読み返してみたら、「体力勝負」のくだりは本文の論旨とはずれてる、というか反対の内容ですね。本文の趣旨は、ご賢察いただけると思いますが、契約方式を工夫することによって、もっと無駄が省けて国民の税金を効率よく使うことができるのではないか、ということです。そう読めなかったとしたら、私の書き方が悪かったのだろうと思いますので、お詫びいたします。私もタックスペイヤーとして、税金を上手に使っていただきたいのは同じです。1円入札は、本当はもっと安くできたはずであることを示唆していますので、その分だけ税金が無駄に使われた(その分だけ企業が余計に利益を得た)ことになります。その原因は現行の入札方式にあるというのが私の意見です。
「体力勝負」というのは、別の話です。ただ利益を減らして安くさせようというのは、人間の創造性を否定する非人間的な考え方だと思います。企業のいろいろな工夫が生かせるような制度にすれば、お互いにメリットのあるポジティブサムの結果を得られる可能性があります。公共工事の入札でも、最近はVE方式など、企業側の創意工夫を生かす手法をとることがありますね。およそ人間の歴史は、そういう創意工夫を積み重ねて進歩してきたのではないかと理解しています。
必要なルールはもちろんあるでしょうが、必要でない、あるいは過剰であると思われるルールもたくさんあります。とにかく、現行の制度をただ与件とするのではなく、もっといい方法はないか、いつも考えてく必要があるのだと思います。

Posted by: 山口 浩 | February 21, 2006 12:41 AM

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