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March 28, 2006

「市場主義宣言。」なんてのを考えてみた

市場は
暴力的で、
貪欲で、
ときに愚かだ。
それでも
私たちは信じている、
市場のチカラを。

「市場主義宣言。」とでも名づけようか。いうまでもなく、上記は朝日新聞の例の「ジャーナリスト宣言。」(「。」を忘れないように。モーニング娘。みたいだな)キャンペーンのコピーを「インスパイヤ」したものだ。ちなみに元はこういうやつ。

言葉は
感情的で、
残酷で、
ときに無力だ。
それでも
私たちは信じている、
言葉のチカラを。
ジャーナリスト宣言。
朝日新聞

朝日新聞のほうのは、あちこちでネタにされまくっている。「こんなこというようではもう」みたいなのもあるし、「だったらこの件はどうした」みたいなのもある。批判にもそれなりの論拠があるわけだし、そもそも朝日新聞ぎらいの人にとってみれば、同社が何をやろうが何をいおうが反感の対象でしかない。

それでも、朝日新聞がこういう「宣言」をしたことは、それはそれとして評価したい、とは思う。実際のところ、何かやろうとして、完璧にうまくいくことなんてそうそうないわけだし、何にせよ現状に対して問題意識がある、と認めてるわけだから、最初からどうこういうのも大人げないじゃん。いやそもそも、別にここでは朝日新聞について書きたいのではないので、これ以上つっこまない。要するにどうでもいいのだ。

私が書きたいのは、朝日新聞とはまったく関係なく、「市場」ってものをもう一度見直してみたらどうか、といったようなことだ。どうも最近、「市場」に対する評価が下がっているようにみえる。株式市場における某取引所の相次ぐ失態とかいうのもあるが、特に最近は「市場経済」全体に対して格差が拡大したとかいうあたりで、どうも評判がよろしくない。で、ちょっと待て、と思ったわけだ。最近このテーマで何回か書いていると思うが、一種の「マイブーム」なんだろう。以下はかなり単純化した話なので、「じゃああれはどうなる」的な検証には必ずしも耐えないかもしれない(そもそも「誰の宣言なのか」っていう主体がわからんし)が、こういうこともいえるかもね、ぐらいに思っていただければ。

もちろん、市場は万能ではない。実際、市場は暴力的だし、貪欲だし、愚かでもある。弱い者に対しても容赦なく牙をむく。公正とはいえない、あんまりだ、という考えがあるのはわかる。

しかし、市場というのは「メカニズム」なのであって、それ自体が感情をもった存在ではない。よく「市場主義には人情がない」とかいう人がいるが、市場に「暖かみのある行い」を期待するのは、包丁に向かって「人を傷つけてはいけない」と説教するようなもので、そもそも筋違いだ。

暖かみのある行いを期待すべき相手は、人間だ。人間は、非合理的な行いもするし、ここだけは譲れない、といった感情ももっている。そのうえで、利害調整を実際に行うための道具立てが、政府だ。非営利団体を入れてもいい。こうした組織は、「効率的」な資源配分によって厳しい状況に追い込まれた人に一定の資源を分配したり、一見メリットがみえにくい長期的な価値に基づいた資源配分を行ったりする。これらは、市場とはちがう働きだから、ちがう組織が必要となる。

市場には、市場の役割がある。市場の役割は、自由な取引を行わせて、社会の中の資源を効率的に配分することだ。もともと経済が発展してきたのは、市場のこうしたしくみが、人々にさまざまな恩恵を与えてきたからだといっていいと思う。資源は、限られている。効率よく使わなければ、誰かに(ひょっとしたら全員に)しわ寄せがいく。どんどん文明が高度になって、多くの資源を消費するようになっている現在、このことは過去のどの時代よりも重要になっている。

この点は、政府みたいな組織にとっては、苦手種目だろう。理論的にも歴史的事実の上でも、政府が効率的な資源配分をしようとすると、なかなか難しいということがわかっている。だからこそ私たちは、「市場のチカラ」を必要としているのだ。たとえそれが暴力的でも、貪欲でも、愚かでも。

要はバランスだ、というとどうにも陳腐だが、まさしくそういうことなのだと思う。政府には政府の、市場には市場の果たすべき役割がある。おそらく、「市場はいかん」派の人たちは、本来市場とはちがった立場にあるべき政府が市場に寄っている点を批判しようているのだろう。しかしむしろ、政府が市場に向かわなければならないのは、市場のほうにきちんと市場として機能していない部分があるから、とは考えられないか。つまり、市場の中に、効率的な資源配分を許さないしくみがあるのではないか、ということだ。独断だが、政府が政府らしくあるためには、市場も市場らしくなければならないのではないかと思う。

確たる根拠があるわけでもないただの印象論だ。ただ、もし私たちが、感情的で、残酷で、無力であっても「言葉のチカラ」を信じることができるほど「能天気」(いい意味の、ね)でいられるなら、それと同じくらいの信頼を、暴力的で、貪欲で、愚かな「市場のチカラ」に対しておいてやってもばちはあたらないように思う。もちろん、どちらの「信頼」も、ただ任せておけばいい、という類のものではないのはいうまでもないのだけど。

※関連記事
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