「格差社会」についてあれこれ
気が向いて「中央公論」2006年4月号を読んでみたら、なかなか面白かった。例の「若者を蝕む格差社会」という特集が組まれている号だ。
自分でこの雑誌を買ったのは初めてだった。たまたま「本社創業120周年記念企画」なるものがあって、そもそもこの出版元である中央公論新社が西本願寺に関係あるということも初めて知った。だからどうというものではなくて、ただ「へぇ」という類の話。
で、本題。特集号は「下流社会」の三浦展氏、「ニートって言うな!」の本田由紀氏、それから斉藤環氏と、この問題に関する論客をそろえて論を展開している。このあたりは有名な方々で、書かれていることもだいたい「想定の範囲内」。だからつまらんというのではもちろんなくて、こういうのをコンパクトにまとめて読める記事というのはやはりいい。文章も平易でわかりやすいし、質の点でも「安心感」があるし。こういうのは、金を出して読む価値がある文章、なんだろう。
ただ、より面白いと思ったのは、それ以外の方々のもの。菅原琢「格差問題は第二の『郵政』となるか」は東京大学と朝日新聞が共同で行った連続世論調査結果の分析結果を使っている(こちらを参照)。若年層は憲法改正に前向きとはいえない(反対というわけでもないが、若者右傾化論とは矛盾する)なんてのも「へえ」だし、郵政民営化に関する若年層の意見形成におけるメディアの役割みたいなものも「なるほどね」という感じ。こういう定量分析はもっと注目されていいと思う。
それから、「コンテンツがメディアに『搾取』される構図」を格差社会に結び付ける議論が2つ出ていたのも興味深い。茂木健一郎「ネット社会の新たな『階層』」と、高原基彰「日本はライブドアしか生めなかった―創造性で稼げない若者の苦悩」だ。後者には、これをさらに世代間格差に結びつけるニュアンスが含まれる。「クリエーターの若者とビジネスマンのおじさん」という構図だ。
高原氏の主張で、「大企業の優位性が保護され、流動性が『下へのしわ寄せ』としか解釈されない構図が、現在の閉塞感の元凶だと思う」には賛同(参照)。守られてる人と、その仲間に入れない人との差が拡大しているのだ。端的にいえば、社員への給与を下げないために下請への発注金額を減らす、みたいな構図。まだ会社に入っていない人は、保護されようもないから、「保護を充実せよ」は助けにならない。高原氏を引用すると、
「格差」が個人の能力次第で上下移動しうるものとすれば、「分断」は移動の回路が閉ざされた状態を言う。我々が目指すべきなのは、「格差はあるが分断のない」社会である。「格差拡大への危惧・安定性への希求」がむしろ「分断」の形成を導きうるという逆説には、もっと注意が払われるべきだ。
ってこと。
一方、ビル・エモット氏と田中直毅氏の対談「日本はアジアの主役になる」では、こんな意見も。
エモット 日本社会に不平等ないしは格差が生じている、という議論がある。…しかし、こうした格差の問題、不平等の問題は、下火になっていくと思っている。なぜならこれは、労働の買い手市場の時期の産物だからだ。そういう時期は終わりに近づいている。経済は再び成長に転じ、常勤雇用が創りだされている。…社員への職業訓練を伴う、より伝統的な日本の常勤雇用関係を、もっと発展せざるを得ない。それによって、いわゆる「ニート」や「フリーター」などの問題も減っていくだろう。
田中氏も基本的にこの意見に賛成のご様子。いわゆる「エコノミスト」(「economist」じゃなくて。このニュアンスおわかりいただけるだろうか)的見解だ。常勤雇用が増えつつあるのは事実だし(数年後には「就職難って何?」みたいになる可能性だってある)、全体として問題が縮小へ向かうだろうという意見もほぼ同意なんだけど。けどね。アメリカで「ジョブレス・リカバリー」といってたこともあったし、労働の「質」の点でのミスマッチはそう簡単には解消しないのではないか。何しろ、企業で正社員としての「訓練」を受ける機会のなかった「元若者」たちが相当数すでに存在するのだ。「全体として」解決するだけでは足りない。もちろん、だからって財政拡大せよ、みたいな議論をする時代でもない。
格差の問題が、守られてない側の問題であると同時に、守られてる側の問題でもあるということを、そろそろ直視したほうがいいのではないか。結局経済全体にはねかえる問題なんだし。
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Comments
長期不況が生み出した履歴効果(企業で正社員としての「訓練」を受ける機会のなかった「元若者」たちが相当数すでに存在する)は以前問題だと思います。景気の回復が続けば今後生み出されるその手の問題は縮小するという予測は当たっていると思うのですが、すでに生み出されたそうした部分はすでに歳をとっていたりして再教育もままならないわけで。若いうちにしか身につかない能力は確かにありますから。難しい問題とは言えます。
Posted by: すなふきん | March 20, 2006 07:35 AM
すなふきんさん、コメントありがとうございます。
実体面もさることながら、心理面というか認識面というか、実体をどうとらえるかのほうも大事ですね。このあたりは「希望格差社会」論でさんざんいわれてることでもあるでしょうが。
Posted by: 山口 浩 | March 20, 2006 12:40 PM
「中央公論」2006年4月号、1週間ぐらい前に読んでいまは手元にないのですが、確か三浦氏本田氏の対談の中で、この10年のあいだ身につけるべき事を身につけなかった「元若者」問題は、政策的に解決する他無いという意見で、その通りだと思った。果たして、「元若者」に対する政策は取り組みがなされるのだろうか。ただ、政策といっても、支援塾を作って、名刺の渡し方など教えたところで解決しないようにも思える。斎藤氏の「終わってしまった」という感覚はよく言い当てているようにも思う。本人たちも「終わってしまっている」と思っている以上、これ以上政策は必要ないのかもしれないようにも見える。しかし、「元若者」が60をすぎた頃に、年金を納めてこなかった老人の問題が浮上してくるのではないか。年金を納めてきた者にとって、納めてこなかった者にも年金を支給するのは納得がいかない。となりと、超氷河期に20代を送った者たちは、やはり切り捨てられる世代になるのだろうか。 あと、他人が心配することではないだろうが、菅原琢氏は、学振3年目の模様(学振は3年満期のはず)。果たして菅原琢氏は、正規雇用につくのだろうか。何年か前に大学院拡充政策で、東大などの大規模校で、大学院生を大量に増やした時期があったけれど、そのころの世代が、社会に出ようとしている時代である。もし、高学歴かつ勤勉な若者が就労問題に悩む社会になれば、国民はますます学ぶことから逃走していってしまうのではないか。学卒1年2年の若手の就労問題は今年あたりからほとんど解消された模様であるが、「元若者」問題や、高学歴者の就労問題が今後浮上してくるように思う。高学歴者の就労問題は、イギリスなどでは、インディペンデンツとして、それなりの社会を築いて解決しているそうであるが、日本ではどうなるであろうか・・・イギリスで解決しているという報告を見ると、博士号を持った店主が経営する雑貨屋などが例としてあげられており、うーん、果たしてこれが解決の行き着いた先なのか、、、と余計な感慨を持ったりもしたけれど。。。
Posted by: IT | March 21, 2006 05:25 PM
ITさん、コメントありがとうございます。
「元若者」問題については、「政策的に解決」というときに、何をもって「解決」とするかが問題になりますよね。過去は変えられません。変えられるのは現在と未来だけなので、そこで何をどこまでやるかと。結果の平等を求めすぎるのはちょっと難しいでしょうけど、「機会の平等」ですらたいへん、という状況ですからね。本文に書いた内容は、最低限これだけは、と思ったものですが、他にもきっとあるでしょう。ただ、「自然な流れ」をせき止めるようなやり方は、是非はともあれ失敗の恐れが強いのではないか、というのが私の考えです。
Posted by: 山口 浩 | March 23, 2006 12:16 PM