「コンプライアンス」をありがたがる風潮はもう終わり、なんだそうだ
毎回楽しませてもらっている日下公人氏のコラム「現実主義に目覚めよ!日本」だが、今回の「『コンプライアンス』をありがたがる風潮はもう終わり」はいつにもまして爆笑。
耐震偽装、官製談合、粉飾決算。このご時世に「コンプライアンスはもう古い」と喝破するだけでもたいした勇気だと思うが、そのネタが、辞典に出ていたらしい「compliance」の訳語だけ、となるともう破天荒というか、大胆不敵というか。今がどういう時代背景にあって、このことばがどういう文脈で使われているかにまったく配慮しないあたり、もはや「解脱」の域に達している。
辞書では「コンプライアンス」は「法令順守」と訳されている。でも今、日本で使われている「コンプライアンス」という言葉は、本当にそういう意味だろうか。
いや、そういう意味で使ってるんだけど?辞書に出ているほかの意味をもってきて「もう古い」とか「失礼」とかいうのは「反則」だ。それでいうなら、コラムのタイトルにある「現実主義」の「現実」には「実現すること」という意味もあるらしいから、それはつまり「実現主義」であり、つまりこのコラムは「収益を実現の時点で認識するという考え方であり、ここにその実現の時点とは、財貨又は用役の移転とそれに対する現金又は現金等価物の取得を指す」主義に目覚めよ!日本!!と主張しているのだ、と解釈することもできる。
ひとつだけ事実を指摘しておくが、「アメリカ人同士で「コンプライアンス」なんて言葉は普通は使わない」というのは、私の知る限り誤りだ。「compliance」でぐぐっていただければすぐにわかる。もちろん、アメリカ人同士が日常会話で使わない、という意味なら話は別だ。「法令順守」だって日本人同士が日常会話ではまず使わないし。もちろんそういう文脈の文章ではないから、この言い訳は通用しない。
いや、くどくどいうまい。ぜひ一読を。「メディアリテラシー」の素材にぴったり。いや「Critical Reading」かな。
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