現代かさじぞう物語…みたいなもの、なんだろうか
心暖まる、かどうかは人によってちがいそうな話。
上越新幹線の浦佐駅前に故田中角栄元首相の銅像が建っていることは、地元の人でなくても、同駅近辺にある国際大学に関わりのある者なら知らぬはずもない事実だ(と言い切ってしまおう)。左手をスーツの上着のポケットにつっこみ、右手を上げた例のポーズ。「ヨッ」というしわがれ声が聞こえてきそうな感じ。もちろんこのあたりは旧新潟三区、つまり同氏の地盤であるから、銅像があったとしてもおかしくはないのだが、この田中氏の銅像に、最近「かさ」が取り付けられた、という話は、最近当地に行った人でないと知らないだろう。
写真はこちら。感じとしては、よくカーポートなんかにある片側支持のクリアタイプ、とでもいうのだろうか。銅像用、なんてのがあるとはとても思えないので、これはやはり特注なんだろうな。あたかも付き人が後ろからそっと差し掛ける傘のように、仰ぎ見る人の視線を邪魔しない位置に設置されている。銅像業界にはあまり詳しくないので確たることは言えないが、世界中どこにでもある銅像の中で、こういう「かさ」のついたものはそう多くないのではないかと思う。まさに現代ふうの「かさじぞう」というわけだ。この「かさ」だが、記憶が正しければ、昨年の春にはなかった。それ以降に設置されたのだ。昨年というと、例の大雪を思い出す。この土地も、ここ数年なかったレベルの積雪だったと聞いた。ふりしきる雪の中、右手を上げて立ち続ける「地元の英雄」を放置していられなかったのだろうか。この土地以外の人にとっては「元首相」「日中国交回復」「田中真紀子議員の父」といったものだけでなく、「闇将軍」「利権政治」「ロッキード事件」「逮捕」といったダーティなイメージもついてまわるこの人だが、ともかく「地元では愛されてるんだな」という感じが強く伝わってくる。
田中氏と浦佐の関わりについて、地元の人から聞いた、うそかほんとか知らない話を思い出す。上越新幹線が計画された際、その駅をどこに設置するかについて、近隣の六日町と小出がいずれも「われわれのところに」ともめたらしい。で、双方の人が目白の田中邸に「裁定」を求めに行ったら、広げた地図を前にした田中氏が、「では真ん中にしたらいいではないか」と六日町と小出の中間あたりを指したら、そこが浦佐だった、という話だ。確かに浦佐は、六日町や小出よりも小さい町だから、まっとうに考えれば「なんでここに新幹線の駅が」という感じもしていた。国際大学がこの土地にあることについてその理由を聞いたことはないが、上越新幹線の建設と時期的にそう離れてはいないから、何の関係もないと考えるほうが不自然だ。だから上記の話がなんとも真実味のあるものに聞こえたのだった。もしこれらが本当なら、浦佐にとって田中氏は、地元の英雄である以上の重みがあるのかもしれない。
私が知っている90年代半ばごろと比べて、この地域の経済が上向いているという印象はあまりない。田中氏の銅像をかたどったキーホルダーを売っていた駅前の土産物屋が閉店して何年たつだろう。浦佐スキー場がすぐそばにあるこの土地も、観光産業なんかに関していえば、未だに列島改造時代やバブル時代の「大きすぎた夢」の後遺症に悩まされているといっていいと思う。現代の「かさじぞう」は地元に「ごちそう」やら「宝物」やらをもってきてくれるだろうか。なんか複雑な気分だな。地元の人が満足ならそれでいいんだろうけどね。
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Comments
それは真紀子がリクエストというか強要したんじゃなかったかなあ。「パパが寒そう」とか何とか言ったとか。
とはいえ、金は掛かるし、強い風や雪の対策しないといけないし、地元が渋ってた訴えるとか何とか、とにかくすったもんだしたようで。残念なことです。:(
Posted by: zoffy | May 26, 2006 01:31 PM
zoffyさん、コメントありがとうございます。
実は別の方からも、そのような情報をお寄せいただきました。現代の「かさじぞう」は何かとお騒がせのようですね。せめてご利益があればいいんですが。
とかいいつつ、周辺地域が国道ですら融雪装置がついていない場所が少なくないにもかかわらず、この界隈だけは、人の住むところの道路にはすべて融雪装置が設置されていたりします。むかしはご利益があったんでしょうねぇ。
Posted by: 山口 浩 | May 26, 2006 09:06 PM