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June 13, 2006

評価基準は難しい、という話

「年功序列型給与体系のの会社員」なんていうものを想定してもらいたい。この企業で現在、能力差、努力の差を反映するために、時間外手当を導入しようとしている、とする。これについて、次のような文章を書いてみた。

「仮に、時間外手当を導入すると、社員の仕事を時間で計るということだ。これは、人によってさまざまなやり方をしていた社員の特性や自主性を損なうことにつながりかねない。」
「そのうえ、能力や業績を本格的に給与に反映させ、それが拡大すると、何を基準にだれがどのように社員を評価するのかという点がますます問われる。」
「企業現場は、さまざまな課題を抱えている。そのために社員は日々工夫をこらす。時には夜間に及ぶ残業や休日出勤など、普通の会社員とは異なる側面がある。」
「こうした働きは人それぞれで、『時間に換算するのは難しい』という考えから、いまは給与を労働時間に連動させるしくみはとられていない。」
「厳密にいえば、その額に見合った働きをしていない社員もいるだろう。経費削減が求められる中、その点に批判が向かうのは無理もない。」
「しかし、時間外手当を至急するとなると、『残業時間をだれが確定するのか』『社員への過度な管理強化を招くことはないか』という懸念は消えない。」
「給与制度は社員の意欲に大きな影響を与える。企業現場を息苦しくさせないことが見直しの大前提となる。」

なんか変だよ、と思われないだろうか。

ホワイトカラー会社員のパフォーマンス評価が難しいのは今に始まったことではないが、現在、さまざまなやり方で能力や実績を給与に反映させようという取り組みが行われている。もちろん、その成果についてはいろいろな評価があるだろう。批判する向きも多い。しかし全体として、どこまでもどんぶり勘定のままでいくことはできない、というおおまかなコンセンサスはあるように思う。少なくとも、時間外給与の導入について「自主性を損なう」とか「過度な管理強化」なんていう人はあまりいないのではないか。これは、企業に勤める人ならそれほど違和感なく共有できる発想だと思う。

これが違和感をもって受け取られる職場があるらしい。公立学校だ。

上記の文章は、朝日新聞2006年6月11日朝刊の一面トップ記事「公立学校教員給与見直し」についての解説記事(3面)の「教員」を「社員」に変えて、関連部分をちょっと修正したものだ。この解説記事を書いた人(及川健太郎、と署名がある)は、教員は他の公務員と(当然、会社員とも)ちがって当然、と考えているらしい。当該教員の皆さんの考えもそうなんだろうか。一応、そうだという前提で話を進める。

教育はもちろん大事な仕事で、真剣に取り組まなければならないのは当たり前だが、だからといって「時間外手当を導入すると教員の自主性が損なわれる」とか「教員への過度な管理強化を招く」とか書かれたら、ちょっと甘いんじゃないの?といいたくなる公務員や会社員の方も少なくないにちがいない。時間外手当は確かに残業時間によって増減するが、それはアルバイトのような時間給とは明らかにちがう。給与体系全体が「教員の仕事を時間で計る」ようなものになっているわけではない。それから、自主的な「夜間に及ぶ残業や休日出勤」なんて、はっきりいって会社員なら珍しくもない。よく知らないが一般の公務員だってきっとそうだろう。みんな、そういうプレッシャーを前提としたうえで、「それでもいい仕事をしよう」とがんばっているわけだ。

その観点からちょっときつい言い方をすれば、もし公立学校教員の皆さんがそういうふうに考えているのなら、「時間外手当を導入したぐらいで失われる自主性しかないの?」といわれてもしかたがない。「残業時間をだれが確定するのか」という問いにいたっては何をかいわんや。旧プリキュアの敵役が登場するよ。

「自主性」とか「管理強化」とかいうんなら、こっち方面じゃなくて、ほかのところでいくらでも議論すべき課題があるだろうに。こういうところでもめるから、外からは「結局自分たちの待遇の問題としか考えてないのか」みたいにみられがちになるんだよなぁ。

…あ、もしこの考えが記事を書いた記者だけのもので、公立学校教員の皆さんの意見とはちがっているのだとしたら申し訳ない。万が一ということもあるので、念のためあらかじめ謝っておく。

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Comments

・現在の教職員の給与は一般公務員事務職よりも一律に少し高くなっています。(人材確保法による)
・時間外労働分として給与に一律数パーセント上乗せがあります。
・この時間外労働の数パーセントは2000億円くらいであり、タイムカードを使って調査をすると実際には3000億程度予算措置が必要であることがわかっています(asahi,comのwebに数値が載っていたのですが、今見るとリンクが切れていました。2倍程度の差があったように記憶しています)。
・上乗せの上乗せもあるにはあります。例を挙げるなら休日にクラブ活動で試合などに出かけた場合には1日1000円(交通費込み)くらいの給与であることもあり、ほぼ義務的であるにもかかわらずボランタリーです。

・私は一律上乗せの部分はすべてやめてもらって、個々にきちんと労務管理をしてもらうと意欲のある先生のためにもいいと思っています。ただし、NHKの「わくわく授業」などで教師が毎日のように夜まで残って教材を作っているのを見てもわかるように今までの制度の方がトータルのコストは安くなるはずだと思います。(=教師を安く働かせることができている)

Posted by: padus | June 13, 2006 01:59 AM

母が地方で小学校教諭をしています。残業手当はゼロです。学芸会のために学校にのこり、家でモクモクとテストの採点をし、日誌(毎日30個)に返事をしています。
部活のために土日出勤をして、県外の大会にいっても支給されるのは弁当代オンリー(900円とか)だったりします。
こういう状況ですので部活を熱心にやられる先生は元々非常に熱意のあるかたになります。

公務員ということで雇用が保障されていたり、公務員ということで多少厚くもらっていたり、お金でないメリットもあるとおもいます。昔から女性が働きやすい場であるというのも、子供を3人産んでなお教師を続けられる母をみていると感じます。

私の目からは教員の熱意が有る程度は反映される給与体系だったり人事システムになってくれたらいいのにな、とおもってみたりもします。じゃあ一般の会社みたいにするとか外資みたいになれば母が働きやすくなるのかなあ・・・・と想像してみるのですが、どうなんでしょうね。

生産性が非常にお金ではかりにくい場に、お金や時間での評価を持ち込んだときに果たして全員が今以上に幸せになれるのか、やる気がでるのかとおもうと、個人的には言い切ることができません。残業手当が出たほうが、いいんでしょうか。(日曜の部活くらいもらっていいとおもいますが) 母などの教師にとって一番欲しいリターンは「教え子が幸せになること」であり、そのためにやる気や時間をつぎ込んでいるように感じます。

「優秀な子供を育てる」というのが目標の教育システムであれば、ある程度でもアウトプットが客観的に評価できるようになるため、塾が導入しているような人事システムのほうが優れているとおもいます。
「地域社会と連携しながら子供のしあわせを考える」ような現在の地方の主流の考え方だと、なんか解説委員氏がおっしゃるのもちょっと理解できます。

Posted by: かがみ | June 13, 2006 02:26 AM

エントリの趣旨に沿ってるかどうかわかりませんが、どうも
・教員は不当に高い給与をもらっている
・教員は不当に休みが多い
という俗論が多いなあ、という気がします。はっきり言って現場の教員の残業時間は都市部の会社員とほとんど変わらないか、もっと長いです。行事で土日出勤を強制されることが多いことを考えると、むしろ教員のほうが過酷です。

今回の措置も
・教員だけベース給与が高いなんておかしい
・時間給にすれば安くすむだろ
と、拙速で論をまとめたんじゃないかと疑っています。2つ上のコメントの方も挙げていましたが、たぶん、時間給にすると教員に支払われる全体の給与金額はむしろ大幅増になるでしょう。

だから、むしろ時間給制度にしたほうが教員の待遇はよくなる…と想像するのですが、問題は教育現場にまで真の「サービス残業」が蔓延する可能性ですね。タイムカード押さずに居残り作業をやる先生が続出するんではないかと。

Posted by: Bar | June 13, 2006 07:28 AM

コメントありがとうございます。

padusさん
記事を読む限りでは、時間外手当の導入はコスト削減が目的というよりは、努力に報いる制度を、ということのようです。ご指摘の通り、実際コストは増加することが見込まれているとか。

かがみさん
何がいいのか、確かにわかりにくいですね。今回の改訂はどうも、「明らかにがんばっていない教師に対してがんばっている教師と同じ待遇をするのはおかしい」という問題意識と理解しました。それをうけて記事は「がんばりを時間で評価できるのか」と問うているわけですね。もちろん100%把握するのは難しいと思いますが、時間を割いているという努力に対しては時間外手当でカバーできるのではないか、と思うのはおかしいでしょうか。逆にホワイトカラーの会社員から時間外手当をなくしたら、彼らはどう言うでしょうか。

Barさん
上記の通りで、この話はコスト削減を目的としたものではないようです。教員全体がというより、教員の中での配分の問題ですね。全体としては、ご指摘のとおり、教員全体に対する給与総額は増えるみたいです。めりはりをつけて教育を強化するという方向なんでしょうか。もちろんこれが最善とも限りませんし、これだけで充分ともいえませんが、元会社員として、「時間外手当は管理強化を招くから反対」といった意見には違和感を覚えました。処遇というものの中には、給与以外にも職場環境とか将来の昇進とか退職後の給付とか働きがいとか、いろいろなものがあると思います。給与だけで議論するということは、逆に「給与にしか注目していない」ように見えてしまうのですが。

Posted by: 山口 浩 | June 13, 2006 10:01 AM

素朴な疑問。
 タイムカードとか導入して,がんばりを時間だけで計ろうとしたら,明らかに,金八先生の場合,「不適格教員」のレッテルが貼られそうですね。不登校の生徒の家に朝寄ってきたら,遅刻。悩みを抱えている子どもの母親の職場を訪ねるために,早めに学校退出,タイムカードに残るのは,遅刻と早退の刻印のみ。
 朝早く来て新聞を読みながら喫煙室でぼーっとたむろっていて,放課後も喫煙室で碁を打っていたら遅くなっちゃった,と言うようなタイプが「がんばっている教員」と評価されてしまう可能性も。

Posted by: 金八先生のファン | June 13, 2006 06:56 PM

 いっそのこと,小中高の教員も労働裁量制にしてしまってはどうだろうか。政府は,優秀な人材をどの分野に回したいかでしょうね。
 教育公務員は数%普通の公務員より高い,と言う現状が良くないんでしょう。だからちょっと高いとかなんとか比べることになる。公務員は公務員でも裁判官とか検事とかの給与は教員より安いのでしょうか?
 いっそのこと教育公務員の給与をグンと高くしてしまう,年収1千万以上が原則で時間も自由に使える,そうなれば,優秀な人材がどんどん教員になろうとする。
 今の教員採用試験は,オリンピックの開催地はどこか,とか,安っぽいクイズ番組みたいな問題だけど,もっと学問的な内容で決める。
 諸外国のように,大学卒業をしてから教員養成機関(大学院大学)を出て初めて教壇に立てる,ぐらいに教員の質を高めれば,今のような議論は起きないのではないでしょうか。
 教員の給与が高いのは当たり前,がんばって教員になってみてはどう?ぐらいでないと,良い教育はできないでしょう。うちの親はハーバードの博士号を持った社長だから,担任のおまえより数倍頭は良いし稼ぎが良いぜ,みたいに思っている反抗期の子どもに,いくらためになることを教えても,馬の耳に念仏,になりかねない。
 生徒の親よりも学歴も収入が高くて初めて子どもたちは教員の言うことを真摯に聞くのではないでしょうか。
 昔の教育がうまくいっていたのは,たいはんが貧乏で,先生のところに行っておなかすいたと言えば蒸かしイモか何か食べさせてくれる,先生の家にはうちにはないテレビがある,さすが,と子どもたちは思うでしょう。
 今は裕福になって,多くの家庭に最新式の家電製品が並ぶ,いつも偉そうなことを言っている先生の家に行ったら,つぶれそうな家で,古くさいものばかり使っていた,となったとき,どれほどの子どもたちが真摯に先生の声に耳を傾けるでしょうか。

Posted by: 誇り高き教員を育ててほしい | June 13, 2006 08:55 PM

コメントありがとうございます。

金八先生のファンさん
私もファンです。で、私の素朴な疑問ですが。
金八先生の学校にタイムカードが導入されたら、金八先生はとたんに金の亡者になるでしょうか。残業料欲しさに机にしがみつくと思いますか?そんなことはないでしょうね、たぶん。全国の意欲ある教員の皆さんもそうだと思うんです。ちがいますか?現実の教員は金の亡者なんですか?残業料のしくみがある(つまり大半の)民間企業でも状況は同じです。残業料目当てにだらだら働く社員がいないとはいいませんが、大半はそうではありません。
それに会社だって、時間だけで社員の業績を測ったりしません。そういう社員を見抜けないとしたら、その管理者の無能が問われるだけです。公立学校の管理職の方の目は、そういうにせものの熱心さを見抜くことができないほど節穴なんですか?そんなことはないだろう、と私は思うわけです。
何もかも民間企業や一般公務員と同じにせよといってるわけじゃなく、たかだか時間外給与のしくみを入れたぐらいで、教育の根幹が崩れてしまうような、そんなちゃちなものではないはずです。だからこそ、特別扱いしようという考え方に違和感を持つわけで。

誇り高き教員を育ててほしいさん
待遇引き上げは悪くない考えですよね。子供たちの一生を左右するかもしれない先生たちは、もっと尊敬されていい存在ではないか、と思います。それを前提としてですが、本文でとりあげた話は、そうした高給にそぐわないパフォーマンスの先生たちを、優れた多くの先生と分けるにはどうしたらいいか、という試みの1つではないか、と思うわけです。もちろん教員の評価は人間がやるわけですから、主観から逃れられないし、まちがうこともあるでしょう。でもだからといって、全体としてまったく信用できない、というほどでもないだろうと思います。先生たちのような厳しい採用試験をくぐっているわけでもない一般企業の管理職たちだって同じようなことをそれなりにこなしてるわけですから。

Posted by: 山口 浩 | June 14, 2006 12:20 AM

学歴・専門性と教職への適正は必ずしもリンクしません。
(もしもそうなら、私は日本では一番適正があるうちのひとりになってしまいます)
この辺のところが教職のおもしろいところです。
NHKの「ようこそ先輩」みたいな授業を見ていると社会で成功されたかたや、高学歴の方がたくさん出てきますが、そういう方は専業教師よりも数倍すばらしい授業を1時間だけならできますが、同じ子供を3年間とか、6年間高いアベレージで看取りながら授業をすることはたぶんできないと思います。
私は子供は意外と本質を見ていて、学歴が高いとか、給与がいいという点で先生を評価したりはしていないように思います。
その辺にいる普通の子供に「あなたの先生はどこの大学を出ているの?」と聞いても答えられないと思います。出身大学なんて子供たちは気にしていないのです。

Posted by: padus | June 14, 2006 12:22 AM

padusさん
そりゃそうですよね。私もそう思います。で、それを評価していけばいいわけですよね。いずれにせよ、手当を一律にすべき根拠にはなりません。

Posted by: 山口 浩 | June 14, 2006 03:50 AM

「子供は意外と本質を見ていて」とは,よく言われるのだけど,ホントかな。浪人生向けの予備校ではなりふり構わず教えるタイプの人が人気講師になっていますが,子ども向けの塾の場合,見かけ倒しの場合も・・・センセイらしく見えない場合,だて眼鏡かけてみたら,とか,言われることもあるらしいですよ。

Posted by: com | June 14, 2006 04:40 PM

comさん、コメントありがとうございます。
そういうことがあるんですか。なるほど。私はどちらかというと、子供は「意外によく見ている、と信じたい」派なんですが、そうでもない場合もあるんでしょうか。
会社員なら、プレゼンの失敗を客のせいにはしないですね。自分ではいい内容だったと思っても、実際にはひとりよがりだったり、説明不足だったり。態度や外見だってプレゼンの一部です。だてメガネが本当に有効なら使うのは当然。いずれにせよプロとして客に接する以上、うまくいかなければ次回は改善すべき課題と考えるだけです。
教員はどうなんでしょう?

Posted by: 山口 浩 | June 14, 2006 09:39 PM

教員の給与を下げるとの案は現状の教員のあまりにもお粗末なパフォーマンスに起因していると考えます。指導科目における教員自らの著しい学力の低さ、数十年にわたり生徒の学力低下を引き起こしたその指導力のなさ、自らが週休二日制で楽をしたいがために愚民化教育であるゆとり教育を推進したこと、問題児に対するマネジメント能力の低さ、民間の厳しいリストラに目を向けるでもなく、直ぐに「教員は忙しすぎる、雑用が多い」などとあたかも自分達だけに負担が集中しているかのごとく弱音を吐く堪え性のなさなどなど枚挙に暇がありませんが、こんな教員たちが他の公務員たちよりも給与面で優遇されていたら全くおかしいです。給与引き下げはもっと以前から叫ばれていても当り前で、今頃ではむしろ遅いくらいです。
指導科目における学力の低さは特に英語教員がひどいです。TOEIC730点以上・英検準1級以上の英語教員は1割もいないとのことで、全くお粗末極まりないです。英語教員を名乗る資格など微塵もありません。英語を日常的に使っているビジネスマンはTOEIC900点以上、英検1級以上、国連英検特A級以上の英語力を有します。また、このレベルに飽き足らず、ネイティブ用の英語の試験であるSATやGREにチャレンジして英語力のブラッシュアップを日々行っています。それもそのはず、TOEIC900点・英検1級などはネイティブで言うと小学生レベル、一方ビジネスマンが日々相手にするのは大卒・院卒などの高等教育を受けたネイティブです。このレベルに到達するためビジネスマンはネイティブの中高大学生レベルの英語力養成に余念がないのです。ビジネスマンは誰でも英会話ができますが、英語教員は初歩的な会話すらまともにできないのが現状です。英語を使うビジネスマンはあくまでも英語の素人なのですから、いやしくも英語のプロである英語教員たる者は英語を使うビジネスマンよりはるかに高い英語力を有していてしかるべきです。このレベルにある英語教員が一体どれ程いるのでしょうか?他教科ですと、例えば、数学・理科の教員で博士号を持っている人など殆どいないでしょう?即ち、教員は指導科目における学問の落伍者なのです。こんな教員達に行政職など他の公務員より優遇された給与など払っていたら全くおかしいです。税金の計り知れない無駄遣いです。また、教員は派遣労働者ではないのですから、時間外手当など払う必要はありません。こんなものを払えば長時間だらだらと安息を貪るモラルハザードのバカ教員どもが高給取りになり、短時間で多くの仕事を消化できる有能な教員が報われないからです。
給与の低い職種に優秀な人間が集まらないのは一理あるでしょう。仮に教員を給与面で優遇するのであれば、学校に競争原理を導入して優秀な教員には現状よりはるかに高い給与を保証すると同時にできの悪い教員はクビにするという徹底した成果主義の導入が絶対に必要です。こうなると現在の殆どの教員は淘汰されるでしょう。それでよいのです。力なきものは去れ、民間ならどこでもそうです。例えば英語教育ならば、海外駐在経験豊富なビジネスマン、外資系企業など日常的な英語使用環境で長年働いてきたビジネスマンなど英語教育を担うにふさわしい人材に任せるべきなのです。彼等・彼女等ならば外国人とのコミュニケーションにも慣れていますので、ALTとも上手にコラボレーションを組むことができますし、また、社会で実用性の高い英語も知っていますから、文部科学省が打ち出した英語の使える日本人構想も実現させ得るでしょう。数学や理科であれば、博士号を取得し、国内外で研究実績の豊富な研究者、企業で技術開発実績の豊富なエンジニアなどに教育を任せると、実社会に直結する有用な学問の基礎を指導できるでしょう。また、民間人ならば常時競争にさらされていますので成果主義にも馴染みやすく、また激務にも慣れていますから現状の教員が音を上げる程度の負担など何とも思わないでしょう。このように、その価値の怪しい(というより全くない)現在の教員免許の有無に関わらず、全科目においてそれを指導するにふさわしい人材を実社会から幅広く調達し、実力のある新しいタイプの教員に相応の給与で報いる、これが現状のどん底状態にある教育を好転させる最も効果的な方法であると考えております。

Posted by: CFO | June 24, 2006 02:22 PM

CFOさん、コメントありがとうございます。
かなり強めのご批判ですね。自分が書いたことを棚に上げますが、「教員」を十把一からげにして落伍者のように表現するのは、私にはちょっと強すぎるように思えます。「英語を日常的に使っているビジネスマンはTOEIC900点以上、英検1級以上、国連英検特A級以上の英語力を有します。」あたりは、民間企業出身者としてそうでない実例をいくつも知っていますので、必ずしも同意できませんし、そもそもビジネスの現場においては英語そのものよりもビジネスの能力のほうがはるかに重要であるとも思います。あと、民間企業などから教員を、というご意見は、大規模に実施するのは難しいのではありませんか?民間企業でも全員が優秀というわけではありませんし、民間企業の落ちこぼれが学校に集まっても困りますからね。
とはいえ、教員が民間企業の職員などとまったくちがわなければならない理由もない、という点には激しく同意です。劇的な変化が仮に理想であるにしても、私としては、意欲ある教員の方々を制度的に応援していく方向性が現状では一番現実的で効果的であるように思います。

Posted by: 山口 浩 | June 24, 2006 11:13 PM

 原点に立ち返って考える必要があると思います。TOEIC900点以上、英検1級以上、国連英検特A級以上の英語力を有する人はなぜ教員に少ないのでしょう。やりがいがないからでしょうか。
 金八先生のような熱意のある教員は,自ら評価されたいとは思わないからといって,評価しないシステムでいいのでしょうか。
 学力も十分で,熱意もあって,という人材を,教育界はどうリクルートするか,リクルートに仕方も議論する必要があると思います。給与云々はリクルート方法の手段の一つに過ぎないはずです。

Posted by: kin | June 26, 2006 02:53 PM

kinさん、コメントありがとうございます。
本旨とはあまり関係ないかもしれませんが、「TOEIC900点以上、英検1級以上、国連英検特A級以上の英語力を有する人」は教員には少ない、というより、そもそもそんなにいないのでは?私はこれらのいずれも有していませんが、私はさておき、このレベルの試験に合格できる程度の英語能力を持っている人は、あまりこの種の試験やらに興味を持たない傾向があるような気がします。
それはさておき、リクルート方法は重要ですよね。今の競争倍率からいえば、平均的にみて学力は問題なさそうにみえるんですがどうなんでしょう。私の単なる印象ですが、どちらかというと、教員個人個人の問題というより、学校という組織の運営のしかたに問題があるような気がします。学校は教員の無謬性を前提にしているためにトラブルに対してセンシティブなところがありますが、企業なんかだと、もっと問題の存在を前提としているので、トラブルに対してよりロバストになっているように思えます。企業の運営の仕方に学べるところがあるんじゃないかなぁ、なんてよく思うのですが。

Posted by: 山口 浩 | June 27, 2006 01:35 AM

山口様、
(1)「英語を日常的に使っているビジネスマン」の解釈について。
英語を流暢に話すことができ、かつ高等教育を受けたネイティブと対等にビジネスを行うことができる者を指します。即ち、高いビジネスの能力に裏付けられた高い英語力を当然有しております。ビジネスの能力は高いものの英語をゆっくりとたどたどしくしか話せないために、ネイティブがコミュニケーションに苦心するような人は含まれません。こんな人とのコミュニケーションには多大な時間がかかり、それでいて有益な情報は大して聞き出せないのですから、ビジネスなど成り立ちません。また、専門分野における高度な英文の読書きができても英会話ができないために、ミーティングで意見を言えない、プレゼンテーションができない人も除かれます。このように解釈しますと、英語を日常的に使っているビジネスマンは、TOEIC900点・英検1級・国連英検特A級、このレベルと同等以上の英語力を有しているのです(試験を受けているいないは特に問題ではありません)。勿論試験は実力以外のテクニカルな要因で得点が上下します。特にTOEICのリーディングセクションなどは時間に対する問題量が多いのでタイムマネジメントも大きなファクターとなりますが、それでも総合点で800点を割っているようなら(リスニング450点以下・リーディング350点以下なら)明らかに基礎力不足です。
IBM、ジョンソン・アンド・ジョンソンなどのように外資系でも大きいところですとTOEIC600点台・700点台の社員が複数います(IBMではTOEIC600点を課長職昇進の条件としているそうですが失笑千万ですね)。これらの社員は社内外で会社が用意した英語研修なるものを受け、簡単なE-mail通信や文書作成、ミーティングで片言の発言を時々するなどのOJTを通じて少しずつ英語力を上げて行きますが、相撲で言えば序の口・序二段のレベル、まだまだ戦力には程遠いレベルです(学校でもないのに研修があったり、もともと外資系には研修という文化などないのに研修があったり、ブラックジョークのいいネタですね)。こんな人達が「私は普段仕事で英語を使っています」などとしゃあしゃあと言ってのけるのが現実なのです。「要英語力」の求人広告を出すと、このレベルの人達が「英語を日常的に使って○○の分野で○○年ビジネスを行ってきました」などと言って恥じも外聞もなく応募してくるのですから開いた口が塞がりません。外資系企業の多くは社員募集に際して求める英語力として「Fluent」と明記しています。英語を流暢に話すことができて初めて戦力とみなしてもらえるのです。このレベルにない人は私が言うところの「英語を日常的に使っているビジネスマン」ではありません。
(2)「落伍者」は言い過ぎか?
TOEIC730点・英検準1級はネイティブの就学前のレベルです。このレベルにすら英語教員の9割超は到達できていないのです。また、初歩的な英会話すら満足にこなせない、これで英語教員を名乗るのであれば落伍者でなくて何と言えましょうか?現在一緒に働いている、また過去に一緒にビジネスを行っていたネイティブからも英語教員の英語力は頗る不評です。「幼稚園児に英語を教わっていたのでは英語オンチが量産されるのは当り前だ」、「明らかにミスマッチなんだから日本語に堪能なネイティブと総入れ替えすべきだ」などなど、歯に衣着せぬ物言いで厳しいことをズバズバ言います。前者は全くその通り、後者は一理あります。要するに「落伍者だ」と言われているのです。
数学・理科教員について。理工系の大学に進学してメーカーの開発エンジニアになる場合、修士課程終了は絶対条件です。これはもう十数年前からの常識です。研究機関の研究者になるのであれば、修士号は最低、博士号を求めるところも少なくありません。学卒では多少なりとも専門性を要求される職種・企業等へ就職することはできません。彼等・彼女等の多くは技術営業などへ進みますが、これは文系出身者でも社内研修などで専門知識を身に付けた後理工系出身者と遜色なく成果を挙げているケースが多いです。また、修士課程終了、昔ならば学卒で民間のエンジニアや研究者になっても、入社後に論文を沢山発表することにより、課程博士ではなく論文博士へと成長している人が大勢います。そのくらい理工系を専門とする人にとって、博士号は高い学力の証明と言うよりはむしろ持っていて当り前の卒業証書のようなものなのです。翻って教員の学力はどうでしょうか?学卒で博士号を持たない人が圧倒的多数でしょう。数学・物理・化学なら19世紀までに確立した学問を教えていればよいのですから、エンジニアや研究者のように日進月歩・最先端の学問を常に追いかけていなければならないこともないのです。これではエンジニア・研究者との学力差はどんどん拡大されて行くでしょう。レベル的には塾や予備校の講師、上位大学の学生と変わらないか下手をすればそれ以下でしょう。そんな体たらくならば学問の「落伍者」と言われても仕方がありません。
(3)民間からの人材調達について。
私は学校へ競争原理・成果報酬型給与制度を導入して、(優秀者も落ちこぼれもいる)民間人の中から優秀な人材を選んで獲得せよと提言しております。民間人=優秀者などとは誰も述べておりません。競争原理・成果主義ですから落ちこぼれは自ずと淘汰されます。民間企業の落ちこぼれは採用の段階で弾かれますし、間違って拾ったとしても成果が出なければ直ぐにクビですから落ちこぼれ集団が長期間居座る心配はありません。
優れた給与制度は優秀な人材獲得のための一因であり勿論全てではありません。しかしながら、現状のシステムはできの悪い=成果の出せない人間を淘汰する機能がなく、かといってパフォーマンスの高い人材にプレミアムを付ける機能もない、基本は年功序列型でできる人材ほど損をする、これで優秀な人材を調達できたらおかしいです。競争原理・成果報酬型給与制度は優秀な人材を獲得するための必要条件です。

Posted by: CFO | June 28, 2006 11:11 PM

CFOさん
長々とありがとうございました。よく読んで勉強させていただきます。記事の内容とは少しずれてきているようですので、機会があればまたそのうちとりあげたいと思います。

Posted by: 山口 浩 | June 28, 2006 11:58 PM

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