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June 01, 2006

新聞記者はえらい、という話

目からウロコの落ちる瞬間、というのはうれしいものだ。今日もまた新しい「大発見」をして、ちょっと興奮ぎみなので、あまり時間はないが手短に書いてみる。たぶん、皆さんには先刻ご承知のことなんだろうが、私には新しい、そして大きな発見だった。

新聞記者はなぜえらいのか、についてだ。

新聞記者がえらい、という点について、疑問をもつ方はそう多くないのではないかと思う。新聞記者はえらい。えらくなければ旗を立てた黒塗りの車でどこへでも乗り付けたりできるわけないし、記者会見という公の場で人をつるし上げ、なんて大それたこともできようはずがない。もちろん全員がそういう人ではないのは重々承知した上で書いているのだが、「この人はえらい」と考えるしか納得のしようがない人、というのは確実に、それもけっこうたくさんいるように思われる。

私がわからなかったのは、それがなぜか、ということだ。なんでこんなにえらそうにふるまえるんだろう、と。その長年のなぞが今日、一気に氷解したのだ。こんなうれしいことはめったにない。

なぞを解いてくれたのは、某大手新聞社の現役役員の方。私はその方に、「新聞記者というのはなぜ予断をもって記事を書こうとするんでしょうか」と質問したのだった。個人的に新聞記者の方に取材らしきものをされたことが何回かあって、そのうち全部ではないが一部の方がそうだったような記憶がある。新聞記者は取材テーマについて必ずしも専門家であるとは限らない。むしろ専門家ではないからこそ取材に来るわけだが、それでも、書こうとする記事について、あらかじめ結論までの明確なイメージをもってやってくることがある。そういうケースを念頭において、なぜなんでしょうかと聞いたわけだ。

役員氏の答えは明快だった。記者というのはそういうものだと。あらかじめ何を書きたいかは決まっていて、それに添わなければあなたが何時間しゃべろうとも記事には反映されないのだ、と。

あまりのあっけなさに、一瞬ぽかんと口をあけてしまったのだが、考え直して、そうかそうだったんだ!と納得した。いやそうかそんなに簡単なことだったのか。

つまりだ。私は、とんでもない思い違いをしていたのだった。

私は、新聞記者というのは取材によって事実を集めて、それをもとに記事を書くのだとばかり思っていた。それが大きなまちがいだったわけだ。役員氏のいうところを斟酌すれば、新聞記者が書くのは事実ではなく、解釈された事実でもなく、その記者自身の主張なのだ。書かれるべき内容の主要部分は取材対象にではなく、記者自身の脳内にある。記者が取材に行くのは、事実を積み重ねるためではなく、自己の主張に沿った情報をネタとして仕入れるためだったのだ。

これで、新聞記者がなぜえらいかがわかってくる。新聞記者の仕事というのは、事実を伝えるルポライターの仕事とも、事実を解釈する学者の仕事ともちがう。より近いのは、小説家だ。新聞記者がある事件について記事を書くということは、いってみれば、司馬遼太郎が桶狭間の戦いについて生き生きと描写するのと同種の仕事、ということだ。

つまり、「先生」なのだ、彼らは。アーティストなのだ、その意味で。だからえらいのだ。

この理屈なら、なぜ新聞で署名記事が尊ばれるかもわかる。署名のない記事を書いている記者は、つまりはゴーストライターのような立場なのだ。早く自分の名前の入った記事を書きたい。そう記者の皆さんが思うのも当然だろう。小説家なら、自分の名の入った作品を残さずしてなんとする。めざせ論説委員!というわけだ。

そういえば、同じ場で、新聞社の元役員だった別の方が、「メディアとは『真ん中』。取材対象と読者との間に立って情報を伝えるのが役割」と説明していたっけ。その定義からすると、新聞はメディアではないということになるんだが、まあそんな細かいことはどうでもいいや。なにせえらいんだから。メディアであるかどうかなんてことより、自らの「作品」を残すことのほうがはるかに大事なことのはずだ。

日本新聞協会のサイトにある「新聞倫理綱領」というのをみると「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない。」なんて書いてあるが、まあ問題ないんだろう。なにせえらいんだから。たとえ100%記者の脳内から生まれたとしても、それは個人の立場や信条に左右されているのではなく、客観的な論述になっている、はずだ。

いやほんと、わかるってのは気持ちがいい。

…あれ?じゃあいったいなんで取材なんてものをするんだ?取材って本当に必要なのか?

※2006/6/26追記
諸行無常。「秘策がある」と聞いた記憶があるが、秘策もお蔵入りなんだろうか。

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Comments

はじめてコメントさせていただきます。
以前からちょくちょくと覗かせてもらってはいました。難しい内容を平易に書いてくださっているので、私のようなおバカにはとても助かります。最初は英語がイッパイで敬遠しようと思ったのですけど...。

今回の記事は、私にもよくわかりました。そして気持ちいいです。コメント差し上げたのは、難しいことはうまく書けませんけど「気持ちよかった」ってことを伝えたいと、ただそれだけです。
失礼しました。

Posted by: 愚樵 | June 01, 2006 06:03 AM

> じゃあいったいなんで取材なんてものをするんだ?取材って本当に必要なのか?

とくに主張部分で,記者が「○○は△△なのである!」と言っても何の説得力もないですよね。でも,「『○○は△△』とポコペン氏は指摘する」と書くと,客観性を保ちつつ,権威付けも得られる。デスクによく言われました。「取材とは“アリバイ”作りのためにやるんだ!」

Posted by: 元・記者 | June 01, 2006 09:57 AM

こんにちは。

警察の誤認逮捕と新聞の誤報は同じロジックで出来ているのかも・・・・

最初にストーリーを書き、それが真実であると言う検証だけをしていく・・・・。

Posted by: 渡邉 | June 01, 2006 11:39 AM

あーこれ、間違いないです。メディアに就職すると、そうやって教えられますよ。
彼らに言わせれば、インタビューイは単なる客寄せパンダなんです。数が取れない人にはわざわざ聞きに行かないし。高尚な話を10時間しようが、メディアからすれば写真と数行のテキストさえ出せればいいんです。
そういう人間ばっかりで、いま腐っているんですよね。

Posted by: うんこ | June 01, 2006 03:01 PM

なにをいまさらの話を。
記者が取材するのは、言い訳のためでしょ。
誰のためにする言い訳かは色々あるが。
記者に取材を受けたら、必ず録音か録画を。
場合によっては、それをサイトで公開する。
こういう対抗手段が、簡単にできる時代なんだから、
やれることはやっておく。
署名記事より、無署名記事の方が、
デスク等の脚色等が入って、あさっての方向へ、
行きやすいと思う。

Posted by: ann | June 01, 2006 03:09 PM

作家と記者は同じ仕事をしています。
小説家と記者の違いは、小説家は物事を控えめに表現することでしょうか。
そう書く方が作品に現実味が出るからです。

私の好きな作家の言葉ですが上記の記事と同じ意味でしょうか。最初読んだ時は記者に対する見解に少し違和感を感じましたが、
上記の記事を読み返して、なるほどと納得しました。

Posted by: 布引洋 | June 01, 2006 03:31 PM

山口浩さん、こんにちは、

ちょうど「国家の罠」(ISBN:4104752010)という本を読んでいます。記事を読ませていただいて、ますますなるほどなぁ、という感じがします。

Posted by: ひでき | June 01, 2006 03:34 PM

トラックバックが重なってしまい、失礼いたしました。説得力のあるお話だと感じました。だから一般企業と同じ扱いでは権威に傷がつくので『特殊指定』されて当然だということなんでしょうか。

Posted by: 大西宏 | June 01, 2006 04:26 PM

「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」
でも、新聞記者はストーリーを作り出す。

じゃあ、「正確かつ公正」な情報は誰が発信するんでしょうね?
それを求める人が少ないから、新聞も変わっていったんでしょうね。。

Posted by: sega | June 01, 2006 11:25 PM

学者も、自分の主張(仮説)に沿った事実(実験データ)を集めますし、沿わないデータは破棄したりしますよね。

#別にそれを批判するつもりないです。

てか、わりと色んな世界で一流と呼ばれる人々にはその傾向があるような気がします。

新聞だと、事実だけを膨大にあつめていれば、そこから「記事」が自然発生することなんてありえないわけですし。

Posted by: T | June 02, 2006 01:58 AM

コメントありがとうございます。

愚樵さん
ありがとうございます。「わかりやすい」のは目標とするところなので、たいへんうれしいです。今後ともよろしくお願いいたします。

元・記者さん
そういうことなんだろう、というのはもちろんわかっています。こんなにえらいんですから、取材などしなくてもいいのではありませんか?というのが主旨です。

渡邉さん
警察もえらいんですかね。なるほど。

うんこさん
そうなんですか腐ってるんですか。昔はどうだったんでしょうか。腐ってなかったんでしょうか。

annさん
「なにをいまさら」というのは、冒頭に書いたとおりです。何せ私、世間知らずなものですから。

布引洋さん
そういうことを言った作家の方がいたんですか。なるほどねぇ。「小説家のほうが控え目」はちょっと笑えますね。

ひできさん
それって「ラスプーチン」さんの本ですよね。各所で話題になってますね。時間を作って私も読みたいんですけど。

大西宏さん
特殊指定の件、とうとう押し切りましたね。ブログの記事も読ませていただきました。なるほどえらい人たちがいるから会社もえらいんですね。だから「特殊指定」も当然だということですか。なんか妙に説得力のある理屈ですねぇ。

segaさん
きっと、えらい新聞記者さんの書く記事は正確で公正なんだと思います。それほどでなくてもいい情報というのが世の中にはたくさんあって、だからメディアとしてのネットがこれほど普及したのではないかな、と。

Tさん
ええと、アカデミックの世界でそれは基本的にタブーです。というか、データの取捨選択をした場合、何を捨てたかも含めて情報は共有されているのが前提でして。もともとプロしかいない世界ですからね。一般の人に向かって語るときには当然その情報は伝えられないわけですが、そこで何を捨てるかは「専門家」として判断してるわけです。新聞記者が同様の取捨選択ができる専門家なら、取材など必要ないのではないか、と思ったわけで。

Posted by: 山口 浩 | June 02, 2006 02:36 AM

はじめまして
トラックバック、何度も送ってしまいました
ごめんなさい。重複分を、削除お願いします。

新聞記者って、人並み以上に強い正義感を持っている人や、人並み以上に思い込みが強い性格の人がなる職業なんだと、よく思います。

まあ、自分が信じる正義を世間に広めたい!という思い入れの強い人順に、厳しい新聞社の就職試験を突破するのでしょう。実際、読売新聞記者に就職した大学の同級生は、そういう性格でした。

また、あそびにきます。

Posted by: 気まぐれBlog | June 03, 2006 12:42 PM

これ1%のエリート新聞記者の話で、99%の記者には該当しないと思います。
役員さんも1%の範疇の人だと思います。で、社説とか論説書く人も1%の人であると。事実集める人は下っ端ということでしょう。
で、記者の主張なるものは、ケインズの美人投票のようなもので、自分に主張があるわけでなく、世間は誰が美人と思うかという相場を「主張」の形で出しているわけで。
それから、署名記事というのは事実上名義だけですね。署名記事がないと信用できないという世論に配慮しているだけで、実質エロい人たちが談合して個人名を名乗らせて書かせられているだけです。

Posted by: 佐藤秀 | June 03, 2006 11:56 PM

コメントありがとうございます。

気まぐれBlogさん
そうですね。私が知っている新聞記者の方からも、正義感はよく伝わってきます。正義感がどこへ向かうか、が問題なんですよね。

佐藤秀さん
何%の記者が、というのは調べたわけではないので知りませんが、けっこういるかも、という印象をもっているのは、コメント欄とかを見てても、どうも私だけではないようですね。
「美人投票論」についてもよくわかりませんが、少なくとも専門家のコメントをつまみ食いして自分の書きたいことを書くというのは、世論の「相場」の話とは関係ないように思えます。
署名記事が「名義だけ」というのは貴重なご指摘ですね。ゴーストライターがいるんですか?

Posted by: 山口 浩 | June 04, 2006 09:55 AM

>つまみ食いして自分の書きたいことを書く

いや、逆に自分の書きたいことがあったなら必死に取材して、つまみ食いなどするわけないと思います。むしろ、その時々の最大公約数的「世間相場」に合わせてこの人のコメントは適合するかどうかで判断しているのだと思います。
ゴーストライターというより、社論に合わせて書く時点で自分というものがないし、どんな偉い記者でもさらに上からチェック入るので敢えて言えば、新聞社が記者のゴーストライターかも。
それから、常識かもしれませんが、特派員記事ってなぜか国内記事と違って署名入りですけど、体裁の場合が多いですね。特に突発的なニュースだと外国通信社とかのメディアが流した記事の無難な部分を借用して日本の本社で記事を作り、名義だけ特派員記事というのはザラにあると思います。一応現地特派員が送ってきたという形にして他者に負けてないという見栄をはる、それだけの意味ですね。

Posted by: 佐藤秀 | June 04, 2006 02:50 PM

佐藤秀さん
よくわかりませんが、えらいのは新聞記者でなくて新聞社、ということなんですかね。ともあれ、結論を大きく変更する必要はなさそうですな。
私は現場の記者の方についてもこの種の経験がありますので、「1%」という数字は主観的には小さすぎるように思っています。
ともあれ、コメントありがとうございました。

Posted by: 山口 浩 | June 04, 2006 07:14 PM

えらいのは新聞記者でも新聞社でもないと思います。特定の新聞社に対し,ワクをもっている人だと思います。うちの企業ではこんな新製品を出したから記事にしてくれとか,うちの研究室ではこんな研究しているから記事にしていくれとか,群衆をこういった方向に導きたいから,デスクの権限で,特定の記事を取り上げてくれとか,そういった影響力を持った人たち。そういった影響力を持った人たちに素直なデスクさんは,記者さんが書いてきた記事のなかから意図に沿ったものだけを取り上げる。デスクさんに取り上げてくれる記事を記者さんも書こうとする。自ずと書かなければ行けない記事は決まってきて,取材してみたら全く違うことを学者が言ったりしようものならば没になる,と思います。

Posted by: メディアを信じない人 | June 12, 2006 05:09 PM

メディアを信じない人さん、コメントありがとうございます。
「ワクを持っている人」というのがいるんですか。新聞の記事をすべて牛耳るような?へぇ。それはまったく知りませんでした。書かれ方からして、それは企業、ということなんですか?自社の悪口は書くなという介入ならなんとなくわかるんですが、記事をすべてねぇ。ふぅん。
いや勉強になりました。

Posted by: 山口 浩 | June 12, 2006 11:46 PM

誤解があるようなので,補足です。記事全部を牛耳るような権力を持っている人はいないと思います。県や農協とかでも,ワクを持っているというのは常識らしく,定期的に毎年,県の特産物や行事や取り組みを紹介していただく関係があると言うことです。ジャガイモを特産品にしようと思ったら,毎年新じゃががとれましたよ,と言うニュースをメディアでも流してもらう。不作ならば不作と流してもらう。ピーマンがたくさんとれてもとれなくてもニュースにはならない。タマネギもたくさん作っているのになぜじゃがだけ取り上げるのか,と言ったレベルの話。

Posted by: メディアを信じない人 | June 13, 2006 06:41 PM

メディアを信じない人さん
あ、そうなんですか。それならわかります。ちょうちん記事はどこでもあることですから。本文で書いたのはそういうことではないです。念のため。

Posted by: 山口 浩 | June 14, 2006 12:00 AM

初めまして。突然お邪魔します。
華氏451度さんのブログ経由でやってまいりました。
"新聞記者がえらい、という点について、疑問をもつ方はそう多くないのではないかと思う。"というのは体がエライという意味でしょうか。
世間で言う「偉い」とは私は思っていません。
確かに昔は古谷綱正氏や入江徳郎氏という方がいらして見識をお持ちで偉かったのだろうと思いますが、現在の記者の方はどうなんでしょうか。松本サリン事件や昨年のJR西日本の事件での取材態度。全員がそういう人ではないにせよ、警察や官庁の発表したものをそのまま記事にするだけであったり。
田中宇氏のような真相を穿つような記事を書いてこそ新聞記者はえらいと言えるのではないでしょうか。
余談ながら私はテクニカル・ライティングというマニュアルなどの技術文書作成の世界に身を置くものですが、新聞記事の文は悪文の見本として部下などに教えていました。主語と述語が離れている、修飾と被修飾の関係があいまい、などの理由で誤解を招きやすく、ユーザーフレンドリーではない文章だからです。

Posted by: 寒北斗 | June 16, 2006 03:29 AM

寒北斗さん、コメントありがとうございます。
念のため申し上げますが、このサイトに書かれている文章の少なからぬ部分には隠喩やら反語表現やらほめ殺しやら冗談やらことば遊びやらといったさまざまな要素が含まれており、テクニカルライティングの観点からすればまさに悪文の典型だと思います。そういう前提でお読みいただけますと助かります。

Posted by: 山口 浩 | June 16, 2006 05:14 AM

「某大手新聞社の現役役員の方」って、具体的にどこの新聞社の誰のこと?

Posted by: はっきりさせてほしい | June 27, 2006 08:26 AM

はっきりさせてほしいさん、コメントありがとうございます。
申し訳ありませんが、ご質問にはっきりとお答えするのは控えさせていただきたいと思います。特定の方をあげつらうのが目的ではありませんし、そもそもその方の発言はあくまで私の「気づき」のきっかけになっただけですので、はっきりいえば話の本筋ですらありません。
いろいろと記事周辺をお調べいただければわかる程度の情報は含まれていると思いますが、あえてそうされることに私は特段の価値を見出しておりませんので、お勧めしません。
おわかりいただけると思いますが、話の本筋は、マスメディアとしての新聞が情報を「伝える」より「作り出す」ほうに傾いてはいないか、そのことはメディア企業としてどうなのか、といったことです。

Posted by: 山口 浩 | June 27, 2006 09:27 AM

マイナー誌元記者の高橋と申します。

>書こうとする記事について、あらかじめ結論までの明確なイメージをもってやってくることがある

記者は普通、そうだと思います。学者もまず自分で仮説を立てて、それを証明しようとする方向に向かって研究するのではないですか?ここを掘ったら遺跡が出て来ると信じて掘るのではないですか? 研究の途中で仮説に反するようなものが見つかった場合、そこで「あれ、おかしいぞ」と方向転換できる学者と、そうでない学者がいるだけのことです。自分の思い込みが絶対の、2ちゃんねるの厨房のような御用学者も稀に存在します。

>書かれるべき内容の主要部分は取材対象にではなく、記者自身の脳内にある

「主要部分」を「結論」と解釈するなら、普通はそうです。「結論」が記者の「仮説」や「意見」を意味するなら、当然そうです。脳外にはありません。もちろん「主要部分」を「事実」と解釈するならば、話は別です。

>「メディアとは『真ん中』。取材対象と読者との間に立って情報を伝えるのが役割」と説明していたっけ。その定義からすると、新聞はメディアではないということになるんだが

「メディア」とは「媒体」の意味なのですが・・・。読者は事件の現場に行かないので、記者が行って新聞に書き、駅などで買うと読者は現場の情報を知ることができます。『真ん中』の意味は、「取材対象と読者との間に立つ」ということで、媒体で合っています。『真ん中』を「不偏不党」の意味に取り違えてないでしょうか。

>新聞記者が書くのは事実ではなく、解釈された事実でもなく、その記者自身の主張なのだ。

報道と論説の区別くらいつけた方がいいと思います。報道は事実を客観的に述べたものであり、論説はその記者の意見です。一般に社説は3面にあり、枠で囲ってあることが多いですが、これは「枠の内側は意見ですよ」という合図です。事実の報道と意見の論説を同じ枠でやるようなことは、通常ありません。ブログ等ではこのルールは無視されていることが多いようですが。

>報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない

それゆえ、ここでは「報道は」と言っています。「論説・社説は」とは言っていません。「報道」は事実を正確に述べる、当然です。論説は、記者個人の信条そのものです。

>新聞記者の仕事というのは、事実を伝えるルポライターの仕事とも、事実を解釈する学者の仕事ともちがう。より近いのは、小説家だ。

報道するのに最も近い仕事はルポライターで、論説を書くのに最も近い仕事は選挙演説といったところでしょうか。

Posted by: 高橋 | July 29, 2006 12:26 AM

高橋さん、コメントありがとうございます。

>学者もまず自分で仮説を立てて、それを証明しようとする方向に向かって研究するのではないですか?

その通りです。で、仮説とちがった場合には仮説を修正するわけですが、事実のほうを曲げてしまう人もいる、というご指摘もその通りです。ただ、学者が研究対象に対して何か意見を公表するときは、それについてかなり詳しく学んだうえでそうする、というのがルールです(そうでないとそもそも発言できない)。私の驚きは、記者の中に、自分は対象についてほとんど知らない(だから専門家のところに聞きにきている)にもかかわらず、その専門家の意見よりも自分の予見にしたがって事実を曲げていく人がいる、ということでした。

>「主要部分」を「結論」と解釈するなら、普通はそうです。

ならば取材は必要ないではないか、というのが私の意見です。ねじ曲げて書かれるために取材を受ける人の身になってみてください。しかもこの文章での「主要部分」には、基礎的な事実の解釈なんかに関する部分も含まれます。

>「メディア」とは「媒体」の意味なのですが・・・。

わざわざご指摘ありがとうございます。
私も一般的にはその意味で使われているということは知っていますが、「真ん中」という言い方は、その(件の方とは別の)元新聞社役員の方がおっしゃったことです。念のためですが、mediaの単数形mediumに「真ん中」みたいな意味があることはご存知ですよね?その元役員の方は、そうした原義を意識してそう表現されたのだと解釈しました。私がいいたかったのは、取材源からの情報を抑えて自分の主張を書くのは「間に立つ」姿勢ではない、ということです。いうまでもありませんが「不偏不党」とかとは何の関係もありません。

>報道は事実を客観的に述べたものであり、論説はその記者の意見です。

本文をお読みいただければわかると思いますが、私は、「報道」が「記者の意見」であったことに驚いたのです。専門家に取材して聞いてきた内容に基づいてある事実に関する見方を提示しているのは「論説」ではなく「報道」ですよね?

>「報道」は事実を正確に述べる、当然です。論説は、記者個人の信条そのものです。

ですよね。その「当然」が当然でなかったと知ったときの私の驚きが、この文章の原点です。

>報道するのに最も近い仕事はルポライターで、論説を書くのに最も近い仕事は選挙演説といったところでしょうか。

そう思いますよねふつう。ただ、私が受けた取材はそれとはちがう強烈な違和感を残していて、本文中でご紹介した問答を経てそれが「報道に最も近いのは『歴史小説』だった」、という「発見」につながったということです。

「記者」と十把ひとからげにしてしまったことについては、ちょっと反省しております。真摯に仕事に取り組んでおられる記者の方が大多数であろうということは、私にもよくわかりますし、あれこれ言われていても、新聞というものに対する社会的な信頼がきわめて高いということは昔も今も変わっていないでしょう。

ただ、どうも「上から見る目線」であるとか「主張を押し付ける態度」といったような色合いを感じ取ることがあるのは、私だけではないように思えます。この文章については、ここにいただいたコメント以外にも各所から反響をいただきました。正確な割合はわかりませんが、「そうだ!」という人のほうが「ちがう!」という人より多かったようです。だからというわけではありませんが、一般的な認識(の加重平均みたいなもの)とそれほどずれてはいないのだろうな、という感じはします。実際どうかもさることながら、そういう認識をされているということのほうが、ひょっとしたら深刻な問題かもしれませんね。少なくとも長期的には。

ともあれ、ご意見とご指摘ありがとうございました。今後ともよろしくお願いいたします。

Posted by: 山口 浩 | July 29, 2006 01:37 AM

>その「当然」が当然でなかったと知ったときの私の驚きが、この文章の原点です。
>ねじ曲げて書かれるために取材を受ける人の身になってみてください

要するに、質の悪い記者に当たってしまったということですね。大変お気の毒だと思います。世の中には「アインシュタインの予言」や、アムステルダム市長サンティン(※実在しないことが確認されている)の談話などを捏造する名越二荒之助のような質の悪い学者もいるようですが、私はたいていの学者は信用しています。
http://www.geocities.jp/ponnitisuki/copipe.html 参照

>(自分の思うがままに事実を捏造できるほど)新聞記者はえらい(のかよ)
(※括弧内は高橋の補足です)
>えらくなければ旗を立てた黒塗りの車でどこへでも乗り付け
>つまり、「先生」なのだ、彼らは

かなりお怒りのようですが、国民の特定層を煽るものであり品位を欠いた表現です。新聞ではこのような表現はあり得ません。
数年前、2ちゃんねるにロイター通信を装ったガセ記事が出ました。
http://yy31.kakiko.com/test/read.cgi/x51pace/1145445496/750-849
ほとんど全文が「意見」であって「報道」としての実体がなく、かつ内容が煽りです。大手通信社ではあり得ないことです。
とある窃盗事件で私が犯人の声を聞いたので、警察の取調べを受けたのですが、担当者は私の証言を真剣に聞かず、自分の推理する方向に私を誘導しようとしました。推理と私の証言が食い違うので、露骨に私を犯人扱いする始末で、私は腹を立てていますが、だからといって新聞に「自分の思うがままに事実を捏造できるほど警察はえらいのかよ」などと皮相な記事を書いたりはしません。もしこのような原稿を書いても、編集部の校閲で削除されることになります。ブログは校閲がないので別ですが。

>専門家に取材して聞いてきた内容に基づいてある事実に関する見方を提示しているのは「論説」ではなく「報道」ですよね?

それは「解説」だと思います。解説は取材元もしくは記者の意見です。
国会で与党と野党が「郵政民営化したらこうなる」という未来像について、楽観論と悲観論の両方を提示しましたが、未来は予見できないので、これは事実ではなく意見です。
ある新聞には事実の報道だけがあって解説がないので、私が社長に「どうしてこの新聞には社説・解説がないのですか」と尋ねたところ、「情報を提示することが大切です。個人の意見なんか読んでもしょうがないでしょう」ということでした。したがってこの新聞の読者は、郵政民営化した未来像を知ることはできません。それよりは、解説のある新聞の方が商品価値は高いはずです。新聞は主観が入りすぎだという批判をときどき聞きますが、報道だけで解説のない新聞では読者の知る能力に限界があるのではないでしょうか。それよりは、会社・記者の私的見解だと承知して解説を読む方が、読者の利益になります。

>「上から見る目線」

学者に対して「上から見る目線」というのは、非常に考えにくいのですが・・・

>「主張を押し付ける態度」

新聞社や記者の主張など、私的見解として割り切って読むのがよいと思います。いったいどうしてここまで過剰に新聞に敵意を抱くのか、書いてある文面だけでは理解できません。
世に出回っているブログを読むと、マスコミを「マスゴミ」などと罵って過剰な敵意を抱いている人がいますが、博士の山口先生も同類なのでしょうか?
富田メモについて学者は本物だと鑑定し、大手マスコミ、産経ですら本物と認めていますが、ネット上では相変わらず疑問の声が上がっています。曰く、「メモが本物だとは証明されていない」そうですが、古文書は真贋を「鑑定」するものであって「証明」するものではありません。信長の手紙らしきものが発見されたとき、材質が当時のものかどうか、花押は本人のものか、記述が他の文献と矛盾がないかを調査して、問題なければ本物と「鑑定」します。絶対偽者だとは言えても、絶対本物だと「証明」はできません。したがって「メモが本物だとは証明されていない」と、いつまでも疑い続けることが可能です。2ちゃんねるではかつて、イラクの人質が証明されることなく自作自演だと誹謗されましたが(有罪の証拠がなければ無罪とするのは、刑法上の常識)。

「鑑定」と「証明」の区別もつかない、「考証」と「証明」の区別もつかない、「報道」と「論説」の区別もつかない人が、安直にマスコミを非難していないでしょうか?
「専門家の意見よりも自分の予見にしたがって事実を曲げていく」
「あらかじめ何を書きたいかは決まっていて、それに添わなければ記事には反映されない」
「書くのは事実ではなく、解釈された事実でもなく、その記者自身の主張」
「書かれるべき内容の主要部分は取材対象にではなく、記者自身の脳内にある」
「取材に行くのは、事実を積み重ねるためではなく、自己の主張に沿った情報をネタとして仕入れるため」
これらはブログにこそ該当するのではないですか? 富田メモは藤尾元文相の発言だ、などという「仮説」をしたり顔で言うのは、上記の指摘そのものです。
山口先生はなぜ新聞を批判し、ブログを批判しないのでしょうか?
なぜこのページに多くのブロガーが賛意を表明するのでしょうか? 彼らのブログでは「事実」と「仮説」、「報道」と「論説」の区別はついているのですか?
批判する対称を間違えていませんか?

Posted by: 高橋 | July 29, 2006 03:13 PM

高橋さん
またまた長々とありがとうございます。
さかんに学者の話を持ち出してますが、何か意味があるんでしょうか?学者を貶めると記者への批判が薄められる、ということなんでしょうか?この文章は記者について書いたものであって、学者について書いたものではありません。
品位に関しては、私に品位がないことは私自身が一番よく知っております。最低限の品位は保とうと常々気をつけているつもりでしたが、品位のない文章であるという批判は甘んじてお請けいたします。申し訳ありません。
ただ、私の文章を新聞のそれと比較しておられますが、それはハンバーガーと刺身のどちらが優れた料理かを議論するようなもので、あまり意味はないと思います。私は品位やら客観性やらを新聞と競い合うつもりはありません。
私は単に、意見を聞きに行った相手を自分の論調に誘導するのはやめてくれといいたいだけです。それをやりたいなら自分の見解としてその責任で書いてくれと。私が挙げた取材の件の記者は、「大手新聞社の現役役員」の方とは別の新聞社の人です。大手新聞社はそう何社もないわけで、2社で同じような印象を受けたので一般化したかたちで書きました。もちろん一般化しすぎだというご批判はあろうかと思います。
ブログに対して反感をお持ちのようですが、ブログと新聞と比較するのはスジちがいだと思います。中には区別のついていない人もいるのかもしれませんが、私の知る限りでは、多くの人は情報の「信頼性」について、それがどこから来たものかとかどういう表現をしているかとか、さまざまな角度からみて総合的に判断をしているように思われます。
それから、私はマスコミを「マスゴミ」と呼んだことも、富田メモの信憑性について疑念を表明したことも、信長の手紙を鑑定したことも、イラクの人質を自作自演だと断じたことも、アムステルダム市長の発言を捏造したことも、ロイター通信を名乗るガセ記事を書いたことも、ありません。念のため。
私がこのサイトにおいて何を書くかについては、他の方のお指図は受けないことをポリシーとしております。私は私が書きたいと思ったこと、私が重要だと思ったことを書く場としてここを使っています。私は、他の多くのブロガーの方々と同様、ブログを自由な表現の場と考えており、「社会的責任」みたいなものを全く負わないとは思いませんが、それはマスメディアの方々が双肩に担っておられる社会的責任とはおのずとちがったものだと理解しています。ブログにはさまざまな議論がみられます。中には乱暴なもの、つまらないもの、有害なものもあるかもしれません。法に触れる有害なもの、他人の権利を不当に侵害するものは別ですが、そうでなければ、可能な限り表現の自由を守るというのが、この国のあり方です。影響力の強い媒体を握るがゆえに高い公共性と社会的責任を負って文章を書いておられる新聞社の方々といっしょにされるのは、少々荷が重いですし、それで草の根の言論を封じてしまってはかえって弊害が大きいと思います。
ただし、だからといって、ブログの言論が、新聞の言論と比べて価値が低いということもないと思います。ネットの発達によって、世論形成のスタイルは、少数のメディアだけが強い影響力を及ぼすかたちから、より多数のさまざまな「小さな声」の総体として形成されていくかたちに、ゆるやかに変化してきているように思います。質の悪い言論は、たいていの場合情報の海の中に埋没していきます。ネットの言論のひどさを指摘しておられますが、あれが世の中を動かしているとはいえないのではないでしょうか。少なくとも私には、現在の状況が、全体としてかつてより悪くなったというふうにはみえません。
そうしたさまざまな意味で、私は批判する対象をまちがっているとは思いません。マスメディアが批判されるのは、それが強い影響力を依然として保持し、社会から高い信頼を得ていて、社会にとって依然として重要な存在であり、したがってそれについて論じることがより私にとって意味のあることだと私が考えるからです。なんといっても「第四の権力」ですからね。ブログの状況に対して考えることもないではありませんが、私は私が書きたいと思っていることを書いているので、より書きたいと思う方向に関心が向くのはいたしかたありませんし、「これを書け」というリクエストにはお応えできかねます。「事実」と「仮説」、「報道」と「論説」の区別がついているかどうかは、私はついているつもりでいますが、書いたものからご判断ください。
最近では、新聞社の方がブログを書くケースも増えていますね。産経新聞はオフィシャルな記者ブログを始めていると聞きました。新聞とブログ、どちらも人と人をつなぐ「メディア」ですが、その性格はちがっていて、それぞれにいいところ、悪いところがあり、一方が他方を代替するではなく互いに補完しあう関係にあるのだと思います。産経社はそのことを理解しているからこうした試みを始めたのでしょう。それら「メディア」の情報を利用する側も、それぞれの特性を理解したうえで活用していくことが求められます。高橋さんも、「ブログ」と「新聞」を区別してお考えになってみてはいかがでしょうか。
ありがとうございました。

Posted by: 山口 浩 | July 29, 2006 04:48 PM

返信ありがとうございました。当方はこれで最後のコメントにしたいと思います。

>ブログと新聞と比較するのはスジちがい

でもブログが新聞を批判するのはよい、というのは意味がわかりません。

>それはマスメディアの方々が双肩に担っておられる社会的責任とはおのずとちがったものだと理解しています
>影響力の強い媒体を握るがゆえに高い公共性と社会的責任を負って文章を書いておられる新聞社の方々といっしょにされるのは、少々荷が重い

これも、意味がわかりません。ある種のダブルスタンダードにしか聞こえません。
ちなみに私は、ブロガーと議論はしません。こちらは学者のサイトだからコメントしているのです。

>私は私が書きたいと思っていることを書いているので、より書きたいと思う方向に関心が向くのはいたしかたありません

それは新聞もテレビも同じことだと思うのですが。
山口先生はかなりお怒りのようなので、問題の記者は、先生が言っていないことを言ったことにしたり、言ったことと逆のことを書いたりするような悪質な人だったと推察しますが、通常は、自分が書きたいもしくは読者にウケそうなことを書くと、予め決めているでしょうし、それに対する批判は不当である、主観・意見はあって当然、ただし事実と意見は区別して書くべきというのが私の主張です。
結局のところ、悪質な記者に不快な思いをさせられたために「新聞を批判したい」という結論が予め決まっていて、それに沿う情報だけを提示し、ブログの問題点については関心の外である、というようにしか感じられませんでした。
マスコミも人間だから誤りや過度の主観はあるでしょう。“I don’t feel”を“I do feel”に聞き違えることもあります。それら個々の過ちについては批判されても仕方がないのですが、このページはマスコミ・記者の役割そのものや、意見があること自体を貶しているとしか読み取れません。マスコミを叩いて何が楽しいのでしょう。マスコミが信用できないなら、ネット掲示板だけを情報源にするのでしょうか。
マスコミにおける主観・意見について、その意義をもう少し高く評価していただきたいと思います。


前回の私のコメントに、他のブロガーへの批判が山口先生に向けられていると誤解される表現があり、お詫びします。
おつき合いいただきありがとうございました。

Posted by: 高橋 | July 29, 2006 11:06 PM

高橋さん

>返信ありがとうございました。当方はこれで最後のコメントにしたいと思います。

ありがとうございます。

>でもブログが新聞を批判するのはよい、というのは意味がわかりません。

少なくとも新聞は、ブログと「対等」ではありません。新聞は「社会の公器」として特権を与えられた存在です。そしてそれは、そうあることを自ら望んだものです。独禁法やら公選法の規制の外にいることの重みをもう少し自覚すべきですね。

>これも、意味がわかりません。ある種のダブルスタンダードにしか聞こえません。

ちがったものをちがうように扱うのは基本のキです。なぜ混同されるのか、こちらのほうがわかりません。

>ちなみに私は、ブロガーと議論はしません。こちらは学者のサイトだからコメントしているのです。

ブログを書いている者はby definitionでブロガーです。ブロガーには学者もいれば新聞記者もいます。陶芸の先生もタレントもいます。会社の社長もいればアルバイトの人もいます。主婦も子供もいます。学生も無職の人もいます。「ブロガーと議論しない」ならブログにコメントするのは控えられたほうがよろしいかと思います。学者のサイトに(元)マスコミ人としてコメントされるのなら、ぜひ実名でお願いしたいですね。少なくとも私のメールアドレスをコメント欄に入れるのはいかがなものかと思います。

>それは新聞もテレビも同じことだと思うのですが。

いいえちがいます。
新聞は、少なくとも業界レベルでは「新聞は歴史の記録者であり、記者の任務は真実の追究である」という誓いを立てた存在です。だからこそ「報道は正確かつ公正でなければならず、記者個人の立場や信条に左右されてはならない」のであって、「書きたいことを書く」という姿勢はその誓いに反するものです。

ブログを書いている人で自分が「報道」をやっていると考えている人は少数派だろうと思います。新聞の用語でいえば皆がやっているのは「論説」です。ブロガーとてそれなりの「社会的責任」を負って社会に発言している(そう見えない人もいるでしょうが)わけですが、それが新聞とちがったものであるのはその立場上むしろ当然です。質の低い言論を垂れ流すブロガーに新聞を批判する権利はないといわれるのであれば、それは言論に身分の「上下」をつける考え方であり、それこそ「上からみる目線」に他なりません。

ちなみに私が「怒っている」とお思いのようですが、表現上そう見えるほど怒っているわけではありません。すばらしい新聞人がたくさん、というかそういう人が多数派であろうことはよく理解しているつもりです。私の書いたもので事実と意見が分かれていないというのであれば、「よく読んでください」としかいいようがありません。

>ブログの問題点については関心の外である、というようにしか感じられませんでした。

しつこく書きますが、新聞とブログは別のものです。なぜ新聞とブログを「同じもの」としてお考えなのか、理解に苦しみます。カレーライスが好きという文章の中にチューリップがきらいであるかを説明する必要はない、ということです。ブログを書いている人も「社会的責任」みたいなものを考えたほうがいいのではないか、といった文章は、このブログの最初期に書いています。ただしこれはブログがマスメディアと同程度の責任を負うべきということにはならないというのは、当時から一貫した考え方です。

>マスコミを叩いて何が楽しいのでしょう。

これも繰り返しですが、ブログは報道ではありません。ただ、よいマスコミが社会をよくすると信じているからこそです。どうでもいいと思うものを取り上げてもしかたありません。マスコミを叩くというなら、私のサイトより「過激」なものは他にたくさんあります。一部週刊誌などは目を覆うような罵詈雑言を「大マスコミ」に向けています。暴言を容認するものでもありませんが、一般論として批判を受けるのはその「重要性」ゆえです。マスコミが政府を叩くのもその「重要性」ゆえですよね?政府が監視されるべきであるというのと同じ論理で、マスメディアは監視されるべきです。しかしだからといって、「個人メディア」であるブログが同レベルで監視されるべきという議論にはならないと思います。

>マスコミが信用できないなら、ネット掲示板だけを情報源にするのでしょうか。

二元論はいいかげんにやめましょう。「どちらか
」ではなく、「どちらも」です。双方とも全体として、社会にとって有益です。私は「ネット掲示板のほうが信用できる」と書いた覚えはありません。どうも私の言論に対してではなく、ご自分の中の「幻想」として作り上げられた「ネット人種」に対して批判をされているようにお見受けします。

>マスコミにおける主観・意見について、その意義をもう少し高く評価していただきたいと思います。

していますとも。しているから批判になるわけです。マスコミに主観はいかんといっているわけでもありません。主観を書きたいなら他人を隠れ蓑に使わないでくれ、無署名の記事で人の名前を使って読み手の印象を誘導する内容の「報道」を流すのはやめてくれ、ということです。

新聞が政府を叩くときに、政府の仕事をもう少し高く評価してくれ、といわれたらどう答えますか?混同するならそのあたりも混同してみるといいかもしれません。

>おつき合いいただきありがとうございました。

こちらこそ、ありがとうございました。

Posted by: 山口 浩 | July 30, 2006 12:38 AM

はじめまして。昨年某ブロック紙に入社した者です。いまは校閲部に所属しています。
偶然目にしましたが文章、その後の議論ともに刺激的で興味深いです。
記者はアーティストである、という山口さんの実感はよくわかります。
僕はまだ取材に出たことはありませんが、記者の都合に合わせた記事は読めばわかります。たとえば幼児虐待の事件記事などで加害者の幼児体験と事件を直接結びつける識者のコメントを見た時など。ほかにも学者が本当にそんな短絡的なコメントをするのか、と思えるものがかなりあります。記者が都合のいい部分だけ切り取って使っているんだと思います。
取材をする上で、仮説をもって質問することは必要だと思います。
その仮説が狭すぎてすでに結論が出来上がってしまっているような場合に記者はアーティスト化してしまうのでしょう。
ただ、そういう狭量な取材の仕方が知りうる事実の幅を狭めてしまっているということは、ある程度の経験を積めばわかってくるはずだと思います。それを反省しようともしないまま何年選手と呼ばれている記者が相当数いるということでしょう。
新聞社が執拗なほど事実確認にこだわるのは、そういう狭量な記者が取材をせずにねつ造記事を書くという最悪の事態が起きないようにするための予防線ともとれます。その予防線は少なくとも僕の所属する社では生きています。他社もそうだと思います。
僕が一番問題だと思うのは、狭量な記者が頭の中で書いた記事はつまらない、ということです。今の読者はきっと見抜いています。読者をばかだと思っている記者がばかで、そういう記事を載せるから新聞は部数を落としているのだと思います。
こういうことをあまり深く考える事なく日常業務をこなしています。それはすごく怖い事だと思いました。ありがとうございました。

Posted by: オオシロ | January 17, 2007 09:46 PM

オオシロさん、コメントありがとうございます。
意地悪な文章を真摯に受け止めていただいて恐縮です。もとより、心ある記者の方(大半がそうだろうと思いますが…というのはいやみですね。でも少なくないだろうとは本気で思います)には先刻ご承知のことだろうというのはわかっています。本文に登場する役員氏にしても、やや露悪趣味的なところがあったのかもしれません。
ただ、何せ「第四の権力」ですから、監視されるべき存在ではあるというのは事実で、読み手の側も、そのあたりの事情を意識しておきたいとは思うわけです。
マスメディアは非常に力がありますので、その力に対して自覚的な記者の方々の存在は心強い限りです。えらそうに見えたら申し訳ありませんが、ぜひ「初心」を忘れずにがんばってください。

Posted by: 山口 浩 | January 18, 2007 10:48 AM

お久しぶりです。
山口先生のところに来られたのは「発掘あるある辞典」じゃないでしょうね?
mixiのコミュで稚内北星学園大学の藤木文彦教授が、

>私にインタビューに来る前に、「結論が決まっているので、それに合わせて発言してくれ」なんて言う、寝ぼけた取材陣。
>白衣を着ていた方が、学者らしく見えるから、白衣を着て出てくれと、本番(生放送)直前に言われたが、私は断った。
>日本に限らないかも知れないけど、テレビ局の作る番組は、あらかじめ台本が決まっていて(それも、非専門家の作った適当なもの)それにそって、番組を作り、適当な現地インタビューをやって、いかにも研究者も認めたように作り、スタジオの芸能人が大げさに驚く。
>これで、番組出来上がり。
>どうなろうと、しったこっちゃないというのが、テレビ局の姿勢。酷すぎる

と書いておられ、山口ブログを思い出しました。
山口先生はmixiやっておられますか? もし興味があるようでしたら、私が招待状送ってもいいですよ。
私は“Fourth Estate『第四の権力』”というコミュニティに入っています。

Posted by: 高橋 | January 30, 2007 11:50 PM

高橋さん、コメントありがとうございます。
私の分野は納豆でも味噌でもないので、「あるある」の取材を受けたことはありません。でもまあ「さもありなん」系の話ですね。新聞だけではない、ということなんでしょう。最近の経験では、某新聞の取材を受けたのですが、記者氏の取材意図に沿わないコメントをしたらしく完全に無視された、ということがありました。
私は白衣萌えなので、着ろといわれたら喜んで着ますが、そう頼んでくる人はいません。分野をまちがえましたね。
mixiについては、考えてみます。ありがとうございます。

Posted by: 山口 浩 | January 31, 2007 02:06 AM

いやー久々にひどいブログを読みましたよ。
ことの本質を全く理解していない。
有害ブログ指定です。
なんとなく真実っぽい気がするような書き方してっから始末に負えない。

Posted by: hiraken | August 10, 2010 09:55 PM

hirakenさん、コメントありがとうございます。
へえそんなひどいブログがあるんですか。それは困りましたね。

Posted by: 山口 浩 | August 21, 2010 11:25 AM

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