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August 23, 2006

「愛国者」の3つの責務

「愛国者」ということばがある。「自分の所属する国を愛する者」というぐらいの意味になるだろうか。「愛」とは「何事にもまして、大切にしたいと思う気持ち」だから、基本的には「心の問題」のはずだが、どうも実際の「行動」を伴わないとそうは思われない傾向があるようだ。

というわけで、「愛国者」にふさわしい行動とは何かについて、ちょっとだけ考えてみたら、3つぐらい重要な責務があるんじゃないか、と思い至った。

ま、「3つ」というのは、例の「『3つある』原則」に基づいたものなので、あまり生真面目に考えられても困る。困るのだが、この3つは、けっこういい線いっているのではないかと自分では思う。

ではここから。

(1)社会に支えられるのではなく、社会を支える側に回る
私たちの国は、私たち国民が支えている。私たちの生活は、私たちが働き、私たちが税金を納め、私たちが消費し、私たちが貯蓄し、私たちが慈善活動をし、私たちがその他いろいろなところで社会に参加することによって成り立っている。もし私たちが国を愛するなら、その国を支えたいと思うのは自然だろう。もちろん誰しもある部分では支え、別のある部分では支えられているわけだし、国に支えられていることは必ずしも恥ずべきことではないが、少なくとも国を愛するなら、より多くの部分で支える側にいたいと思うはずだ。そのために自分ができることをしたいと思うはずだ。

ならばどうするか。

わが国を支えるために最も役に立つのは、はっきりいうが「働いて税金を払うこと」だ。道路を作るにも、国を守るにも、お年寄りを介護するのにも、金がかかる。それを皆で支えるのが国というものの主要な機能だ。ならば、そのしくみに参加しようと考えるのは、「愛国者」なら当然のはず。実際のところ、現状でわが国の最大の「敵」は政府の負債ではないかと思う。今は景気回復の方向に進んではいるが、まだまだ金は足りない。充分な道路を作れないのも、充分な国防力を持てないのも、充分な介護サービスが提供できないのも、その最大の原因は財政難にある。「今そこにある危機」なのだ。

もちろん、中には心身の具合が芳しくなくて思うように働けない人もいるだろうし、働きたくても働く機会に恵まれないという人もいるだろう。別に支払う税金の額でその人の価値が左右されるわけではない。しかし、自分ができる範囲で努力することは、誰にだってできる。雇用機会だって、職種や場所を選ばなければ、実はけっこうあるのだ。ほとんどの職業は実際に国にとってなんらかの意味で有益だし、少なくとも自分に対して政府がかけるお金が減るだけでも大きな貢献になる。もし国のためになりたいと思うなら、仕事が少々きつかろうが職種が多少自分の希望とずれていようがさして問題にはならないではないか。最近の日本では1世帯あたりの平均所得が約580万円、平均人数が約2.4人だ。めちゃめちゃ乱暴な計算だが、独身ならとりあえず年間所得300万円以上、夫婦なら500万円稼ぐことを目標としてはどうか。人によっては必ずしも容易な目標ではないかもしれないが、かなりの数の人にとって、一生懸命働けば実現できない数字ではないとも思う。もっと稼げるならなお結構。どんどん稼いでどんどん税金を納めよう。それでこそ税金の使い道に対してより真剣になれる。

税金を納めたところで政府が無駄遣いをするからいやだ、というのは言い訳にすぎない。無駄遣いされている額は有用に使われている額に比べればほんのわずかだし、無駄遣いの解消は働いて税金を納めるかどうかとは切り離して考えるべき問題だからだ。どうしても政府に税金を支払うのがいやならボランティアで働けばいい。慈善団体に寄付、という手だってある。もっといいのは、自分が公務員になることだ。試験はあるが、試験勉強も国のためと思えば、寝食を惜しむのも苦しくはないだろう。晴れて公務員になったら、精一杯国に尽くせばいい。もし上司が悪事をしていれば、告発すればいい。自らが職を失う危険を負っても、それが国のためなら納得できるはずだ。

(2)「品格」や「美しさ」は、国ではなくまず自分に課する
国を愛する者なら、自分の国が誇りのもてる存在であって欲しいと願うだろう。折しも「国家の品格」とか「美しい日本」とか、そういった本がベストセラーになっている。きっと愛国心にあふれた方々が買っているのだろう。私は不勉強でまだそれらを読んでないので、それらの本に書いてあるかどうかは知らずに書くが(きっと書いてあるんだろう)、「国」が「人」の集まりであることはいくら強調しても足りないくらいだと思う。「人」とは誰か?あなたや私、1人1人の人間だ。つまり「品格のある国」、「美しい国」というのは、「品格のある人」、「美しい人」がたくさんいる国、ということだ。

では「品格」や「美しさ」をもった国家の実現に向けて愛国者がすべきことは何か。それは国家や政府に対するより先に、他人に対するより先に、まず自分自身が「品格」や「美しさ」を身につけるよう自らに課することだ。他人を従わせることは難しい。国や政府を動かすことはもっと難しい。でも自分を自分の考えに従わせることは簡単だ。自分がそう考えているのなら。自分が「品格」を持ち、「美しい」ふるまいのできる人間であって初めて、他人に対してそれらを求めることができる。当然のことながら、人に言われたからやるとか、法律で決められたからやるなんてのは言語道断。決めてもらわないと誰もやらない人ばかりの国に品格などあろうはずがない。

もちろん、何が「品格」や「美しさ」を備えたふるまいかについては、議論の余地があるかもしれない。ただ、身近なところでも、電車の中で立っているお年寄りを見ないふりとかしていないか、歩きタバコをして吸殻をぽいと捨てていないか、深夜コンビ二の前にたむろして大騒ぎしていないか、街中で人の迷惑かえりみずに大音響を流したりしていないか、陰に隠れて人の悪口を言っていないか、できる努力をしないで他人に頼っていないかなど、比較的合意しやすいものがいろいろあるだろう。まずはこういう部分から始めるべきなのではないかと思う。身近なあたりでしっかりできない人が大言壮語しても、説得力はない。

(3)仲間内ではなく、自分と意見のちがう人と接する
「品格」も「美しさ」も、最終的には第三者が判断するものだ。だから「品格」やら「美しさ」やらを高めるためには、より多くの人にそう思ってもらわないといけない。自分には「品格」があるなどと自分でいうのはあまり「品格」のある振る舞いと思わないが、少なくとも、いわれなき中傷やら非難やらに対しては、きちんと自分たちのことを説明したほうがいいだろう。もしわが国のことを「品格」がない、「美しさ」がないと思っている人たちがいるなら、そういう人たちにこそ、事実を語りかけていくべきだと思う。

その観点からすれば、意見が一致している人たちだけで固まって盛り上がっているのは、あまり有益な行動ではないかもしれない。意見のちがう人と接していくべきだ。といっても、よく国内でちがう考え方の人同士が口汚く言い争っているのを見かけるが、あれは「品格」の点で問題があるだけでなく、あまり効果的でもないと思う。意見はちがっても、わが国を愛している人は多い。その点でいえば彼らはむしろ「身内」ではないか。問題は国外だ。自説を主張するだけではだめで、礼節を保ちつつ、粘り強く事実を冷静に伝えていく努力をすべきだろう。できるだけその国のことばで語るのがいいだろうが、それが無理でも、英語という手がある。どうしてもというなら日本語でもしかたない(日本語を解する外国人もたくさんいる)が、少なくとも「外」に向かって語りかけよう。

外に向けて発信していくためには、外の事情をよく知らなければならない。「敵を知り己を知れば百戦危うからず」というわけだ。それもメディアを通してだけではなく、できるだけ自分の目で見ておこう。そして自分の口で語り合ってみたらいい。現実はたいていの場合、メディアで伝えられるイメージよりもはるかに複雑で示唆に富んでいる。そのことを目の当たりにすれば、安易に極論に走ったり暴言を吐いたりすることがどんなに国を害する行為であるかがわかるはずだ。それに、自分から「私には品格がある」と語るよりも、相手と接する中で相手に自然と「品格がある」「美しい態度だ」と感じてもらうほうがよほど効果的ではないか。

もちろん、意見がまったくちがう相手と理解しあうのは実際にはなかなか難しい。そういう場合の定石は、第三者を味方につけることだ。要するに、わが国に対して比較的友好的な国々の人々。そうした第三者にたくさん接しているなかで、周りの多くが私たちを支持してくれるようになれば、意見が対立する相手も、「自分たちの考えはまちがっているかもしれない」と思うようになるかもしれない。それでも理解しないのなら、無視すればいい。全体の「流れ」はすでにこちらにあるからだ。

いずれの場合でも、相手に「品格」や「美しさ」を感じさせるのは、相手に迎合することでもなければ、声高な主張で相手を論破することでもない。「品格」とは「見る人が自然に尊敬したくなるような気高さ、おごそかさ」だ。国の「品格」やら「美しさ」は、その国の「人」にあらわれる。目の前に日本人が1人いれば、その場ではその人が全「日本人」を代表するのだ。挑発に乗らない。相手が礼を失するふるまいをしても、こちらからはしない。それは自虐でも売国でもない。むしろ逆だ。そして淡々とやるべきことをやり、いうべきことは礼節を保ちつつしっかりいう。「品格」や「美しさ」を身につけた人なら、自然にそうしたふるまいができるはずだ。そうしたふるまいは、やがてきっと周囲から評価される。この日本人は「品格」がある、「美しい」ふるまいをする、と。国家の「品格」や「美しさ」は、そうしたことの集積によって初めて成立するのだと思う。

以上。

最後に、なんでこんなことを考えたかについて補足。「愛国者」ということばは、しばしば政治的な色彩を帯び、それゆえその人の立場によって大きく意見が食いちがったりするように思う。いわゆる右・左、親米・嫌米、親中・嫌中、その他にもいろいろ考え方のちがう立場があれば、その数だけ別の意味があるかもしれない。

私がやろうとしたのは、そういった立場のちがいを超えて、最大公約数的に合意できそうな、あるいは少なくともしやすそうな、「愛国者」の負うべき責務というのはありうるか、という一種の思考実験だ。成功したかどうかはわからないが、少なくとも私の目には、ここに挙げた3つの責務は、立場のちがいを超えて共有しうるのではないか、と思える。

実際に全部をきちんとやるのはけっこう難しいと思う。私もとてもそこまではいかない。それでも、こちらの方向だと思えば、それなりに努力することはできるだろう。少なくとも「愛国者」を自認する人なら、こうした方向に向けて、自分の最大限の努力をするのが当然ではないかと思う。そういう人が多数を占めるようになって初めて、わが国は「品格」やら「美しさ」やらを備えた国家、と誰もが認めるようになるだろう。

というわけで、品格に自信のない「ヘタレ愛国者」である私はまず自分の研究室の掃除あたりから始めるとしよう。真の「愛国者」を自認する皆さんなら、もっと高いレベルからスタートできるはずだ。

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Comments

改憲したり靖国参拝したりするまえに愛国者がすべきことはたくさんありますな。

Posted by: cyberbob:-) | August 23, 2006 10:53 AM

読ませていただいて、愛国者を自認する私としては、税金に対して文句を言うのはできるだけ控え、使い道に文句をいうようにしたいと思いました。

私も身の回りの清掃から始めます。

Posted by: ひでき | August 23, 2006 11:35 AM

(1),(2)はKennedy?
Ask not what your country can do for you -- ask what you can do for your country.

(3)はMartin Luther King, Jr.?

Posted by: Tocotonist | August 23, 2006 07:26 PM

日本が財政難だと言うのは真っ赤嘘ですよ。国債の半分以上は公的部門が保有しており、純債務で見れば他の先進国とそれほど差はありません。政府の負債が敵だというのは違います。デフレ不況が続いていた日本で政府債務が増えないようにしていれば、ますます景気が悪くなり失業倒産が増えています。これは橋本内閣小泉内閣でも実証済みのことです。各個人がいくらがんばろうが国が総需要を伸ばすような政策(積極財政金融緩和)をしないと税収は伸びません。カネ(預金)と言うのは誰かが金を借りないと増えません。返済する人ばかりでは減っていきます。民間が借りなくなっているとき政府まで借りないようにすると、ますます金が減りデフレが激化します。早急な財政再建・利上げによって今の経済苦境が引き起こされているのに、国民がもっと働かないから税収が伸びず財政難になるかのように言うのは責任転嫁ではないでしょうか。

Posted by: 日本の財政危機は嘘 | August 23, 2006 09:51 PM

コメントありがとうございます。

cyberbob:-)さん
参拝やらなにやらもいいんですが、それだけじゃないですよね、ということはいえるかと思います。

ひできさん
お立場からすれば、ぜひともがんがん稼いでいただければ。「いい仕事」をすれば、それが国のためにもなるのでは?

Tocotonistさん
ケネディのほうは知ってましたが、キング牧師のは不勉強にして知りません。そうなんですか。勉強になりました。いずれにせよ、まねをしたつもりはありません。

日本の財政危機は嘘さん
日本が財政危機であるかどうかという点は、この文章の本筋ではないので、一般的な認識に従った、とだけ申し上げます。財政は私の専門ではありませんので、ご指摘の点については、財務省のサイトに「ご意見」欄がありますから、そちらでご専門の方々とお話されるのがよいのではないでしょうか。
https://www2.mof.go.jp/enquete/questionnaire_jp.html

Posted by: 山口 浩 | August 24, 2006 02:13 AM

ひできさん

書き忘れました。ぜひ、雇用増にもお力を発揮してください。雇用機会に恵まれずやむなくフリーターとなった人たちの中には、昨今の雇用情勢の改善の流れに乗り切れていないケースが多くみられるように聞いています。こういう人こそ「再チャレンジ」の機会が必要だと思います。いろいろ難しい問題があるとは思いますが、なんとか、少しでも。よろしくお願いいたします。

Posted by: 山口 浩 | August 24, 2006 02:28 AM

やまぐちさん、

雇用増は、協力したいのですが、信じられないことにいま市場に人がいません。みーんな、大手さんが持っていってしまったような感じです。

いわゆる3K,肉体労働系でも人で不足が私のところに伝えられています。高齢化もいきすぎてしまって、退職の方が就職よりおおげです。

いやぁー、ほんとにフリーターの方でも来て頂きたいくらいです、まじに。多分、この分だとガテン系の総合的な賃金=職の価値が、ホワイトカラー、サービス系を上回る時期が来るでしょう。

Posted by: ひでき | August 24, 2006 06:36 PM

ひできさん
そうなんですか!それはある意味、日本にとって喜ばしいことではありませんか。職が欲しい皆さん!ひできさんの会社にご連絡を!

「ガテン系の総合的な賃金=職の価値が、ホワイトカラー、サービス系を上回る」状態というのは、けっこう自然なのではないかと思いますがいかがですか?でもそうなると、外国人労働者受け入れ論議が活発になるでしょうね。これは、日本国民にとって重要な岐路だと思います。幅広い層の人々の論議が必要なテーマじゃないでしょうか。

Posted by: 山口 浩 | August 24, 2006 09:09 PM

国と国家をチャンポンにしているような気がします。
税金を納めるのは国家のためには重要でしょうが、必ずしも国のためになるとは限りません。

日本という国は好きですが、日本国という国家はそうでもない人間の戯れ言ですが…。

Posted by: tripod | August 25, 2006 02:39 AM

tripodさん、コメントありがとうございます。
国=共同体、国家=統治機構、という区分けでしょうか。「チャンポン」はfinalvent氏にも類似の指摘を受けましたが、確信犯です。共同体→①、統治機構→②とすると、①を愛するという人が②を愛するとは限りませんが、②を愛するという人はたいてい①も愛する、という傾向がありますので。
税金に関していうと、税金を納めるのは「国家」にとっても「国」にとっても重要です。「国」とその国民が享受しているサービスはほとんどすべて税金でまかなわれていますので(将来の税金、も含めて)。無駄があるからといって誰も納めなければ、国も国民も、もちろん国家も滅びます。

Posted by: 山口 浩 | August 26, 2006 12:20 AM

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