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August 12, 2006

今夜は大前節を肴に

いわゆる「靖国問題」というか「A級戦犯問題」というか、とにかくその問題については、各界の論客がこぞっていろいろなことを言っている。だからいまさら私ごときが何か書いて足しになるとも思わないが、別に「参戦」する意図とかはまったくなく、大前研一の「A級戦犯問題を『論理思考』で考察する」が面白かったので、それについて書いてみる。

大前研一の主張はいつもながら明快。このテーマについては、「心情」とか「信条」とかを語る人は多いが論理で語る人はあまりいないから、その「異色」感は特にきわだっている。かなりタッチィなテーマだが、この人くらいになるともうこわいものなしなんだろう。

どのくらいこわいものなしかというと、後半にポイントのまとめがある。まず大前の認識による「事実」はこう。

1.明治憲法下で統帥権をもつ昭和天皇の戦争責任は明白である
2.戦後その責任が問われることはなく、占領統治に有利な新しい役割が与えられた
3.戦争の全責任は占領下の東京裁判においてA級認定された者に帰属する、とされた
4.戦後しばらくは天皇も政治家も靖国に参拝していた
5.1978年にA級戦犯が合祀されてからは天皇は靖国参拝をやめた
6.A級戦犯に大戦の責任を取らせ、両国民は犠牲者、という理解で日中友好が推進された
7.A級戦犯を合祀する靖国に首相が参拝するなら戦争の責任議論をぶり返す、と中国
8.戦争犠牲者の冥福を祈るのは自由だ、外国の干渉は受けない、が小泉首相の言い分
9.多くの国民は裕仁天皇の第二番目の役割に満足、感謝、尊敬。そして1989年崩御
10.富田メモ、および90年の回顧録で、裕仁天皇は自分でも二番目の役割のみ認識

しょっぱなの点から「直球勝負」で、つっこみたい向きは多かろうが、それは本文を読んでからにしていただければ。で、しかしここには隠れた「アジェンダ」が3つある、と大前はいう。

1.昭和天皇が東京裁判で免訴されたことを忘れ、いつの間にか自分も戦争の犠牲者だ、と考えA級戦犯から距離を置こうとしたこと
2.田中派と中国の為政者たちが戦後処理に関して自分たちに都合のよい解釈をし、A級戦犯に全責任を押し付けてODAなどの利権をほしいままにしたが、国民にはその前提を開示していない
3.田中派利権つぶしに奔走した小泉首相が道路、郵政、中国、などの利権の雷管を踏みまくっている間に靖国問題でやぶへびとなり、予想外のジレンマに陥った(行っても騒動、行かなくても騒動)

ここまで言い切るか、と絶句しそうになるが、少なくとも論理は明快。で、いろいろあって、こうすべきという結論はこうなる。「いろいろ」の部分はややはしょりぎみのようにも見えるが、一応説明してあるから、ともあれぜひ本文をご参照。

(1)公人は千鳥ケ淵にのみ参拝
(2)靖国は国民の統合の象徴(天皇)、および選ばれた代表(首相など)は参拝しない
(3)靖国神社は自分たちの好きなようにすればよい

「事実」として挙げられた部分や、大前の分析による「隠れたアジェンダ」についても、つっこみたい方は多いだろう。特にこの問題をよく論じておられる方々は、どうしてそんなことまで知ってるの他にやることないのと思うくらい詳しく過去の経緯を調べていらっしゃる。大前が挙げた「事実」について、いくつも「事実とちがう」ポイントを指摘するだろう。

私も、大前の挙げた「事実」には、実際のところかなり「解釈」とか「評価」とかに近い部分があって、必ずしも「客観的」ではないと思う。思うのだが、少なくとも大前が原則論として掲げた、「事実は徹底的に調べて公開し、それを論理で語ろう」という姿勢には共感する。「御心」とかいって情報の公開自体が問題だったみたいにいう人がいるが、それはちょっとちがうと思う。昭和天皇はもはや「歴史上の人物」であって、まごうことなき「公人」だから、何をしたか、何をしなかったかのほとんどは客観的な情報として共有されるべきだ。政治利用は好ましくないが、政治の立場から論じること自体をタブーと考える立場では戦前の「神聖ニシテ侵スヘカラス」と同類になってしまう。天皇が公的存在である以上、天皇論が完全に政治から離れることはそもそもできないはずだ。周辺情報を含め、可能な限り明らかにして、歴史的評価にゆだねよう。その際重要なのは、感情論ではなく論理で議論することだと思う。感情論では、意見のちがう者同士の折り合う余地がない。この問題はもちろん個人の思想信条の自由の問題でもあるが、同時に国の政教分離の問題であり、戦争指導者の「歴史的責任」の問題でもあるから、なんらかのかたちで国民全体としての「最大公約数」をさぐる必要がある。

それから、もうひとつ思うのだが、死者の追悼なり顕彰なりは、死者のためというよりむしろ「遺された者」のためにあるのではないか。故人の心情やらを重視したくなるのはもちろんわかるが、いつまでもそこにとどまっているのはどうかと思う。よく故人の意図やら心情やらを調査したり推し量ったりして、その結果を持って語ろうとする人がいるが、歴史上の事実の追求ならともかく、政治的な方針決定を目的とする議論のためには、あまり意味がないような気がする。現在の世の中、今生きている人々にとっての「最善」(とか「次善」とか)を考えていくほうが健全ではないだろうか。その意味で、昭和天皇が誰それの合祀に不満をもっていたから首相は靖国神社に行くべきではないと主張するのも、いや昭和天皇は東京裁判による「戦犯」なるものを認めていなかったから首相も靖国神社に行くべきであると主張するのも、的はずれだと思う。別に歴史的事実を軽んじたり昭和天皇を貶めたりするとかいうことではなく、私たちの代表者が私たちを代表して死者に接する際のやり方は、「彼ら」ではなく私たちが決めるべきではないか、ということだ。

私自身がこの問題についてどう考えるかは、ここでは本題ではないと思うので書かない。以前何度か(これとかこれとかこれとか)とりあげたことがあるが、今も考えは変わっていない。まあそういうことだ。こうしてみると、私は毎年この時期にこの関連の問題をとりあげていることがわかった。やはり「季節ネタ」なんだな。

ともあれ、大前は「別の追悼施設」派ということになる。本文中にあるが、もとは分祀論者であったのが、今回のいわゆる「富田メモ」の発見により、変わった由。上記のとおり、私は過去の経緯を将来の意思決定の基準とすることには消極的なので、このような論拠にはあまり賛同できないのだが、いつもの「大前節」はやはり読んでいて楽しめる。というわけで、ところどころ突っ込みを入れつつ、今夜は大前節を肴に一杯、という次第。

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