「光と影」の呪縛
試験で学生に小論文のようなものを書かせることがよくあるのだが、その中でひとつ、多くに共通する特徴があることに気づいた。
名づけて、「『光と影』の呪縛」。
なんじゃそりゃ、と思うかもしれないが、見れば「あるある」という人も少なくないにちがいない。こんな感じだ。
テーマは何でもいい。「○○について論ぜよ」とか、「○○について△△の観点から説明せよ」とか、まあそういう類のやや漠たる問題を与えるとする。たとえば、「アマゾンのビジネスモデルを説明せよ」みたいなのだとしよう。そうすると、やれネット販売で手軽に買えるとかロングテールでどうとかアフィリエイトでどうとか、一般的な説明を書いてくる。いやそういう答えを求めている問題なのでそれでいいのだが、その後なぜか判で押したように、「ネット販売はかくかくしかじかの悪いところがあって」と続く。で、最後に「便利だが危険性もあるので、気をつけて活用していきたい」という決意表明で締めくくられる。
この論旨が、何を聞いても繰り返される。iTMSでもSNSでも、参加型ジャーナリズムでも携帯コンテンツでも。要するに、何を論じても「光と影」を指摘して「気をつけよう」といわないと気がすまない、ということだ。もちろん全部の答案がそうだというわけではないのだが、この類が実に多い。本当に、多い。
もちろん、悪いところがあるという指摘自体はかまわない。どんなものにも長所と短所はある。それを意識していくことは重要だし、注意すべきなのもわかる。とはいえ、何を書かせても「光と影」でこられたら、なんだか空恐ろしいような不思議な感じになるし、だいいち聞いてもいないのに別に決意表明をしてもらってもありがたくない。そういう問題ではない。何が彼らの思考回路をこんなふうに「呪縛」しているのだろうか。
3秒も考えれば答えは想像がつく。マスメディアと学校だ。
「光と影」は、マスメディアの大好きなキーワードだ。景気回復、ゼロ金利解除、規制緩和、ブログ、男女共同参画社会、「愛ルケ」ブーム、…。何を報じても、このキーワードはさかんに登場する。で、そういうときは必ず、力点が「影」のほうにあるのだ。「○○だけど××」といえば、「要するに『××』といいたいのだな」と皆があうんの呼吸で受け取ってくれる。
学校もおそらく、それに一役買っている。上記の文章運びは、作文コンクールなんかでよくみられる典型的なものではないか。もちろん、自分がよくわかっていて、考えなくても書けるようなテーマだったら、ふつうに自分のことばで書くのだろう。しかしそうでない場合、自信のないテーマについて書くことを強いられると、とたんに過去の経験が記憶から呼び出されるのだ。きっと小学校のころから、作文というと「○○。だけど××という悪いところもある。私たちは両方に気をつけて活用していきたい」みたいに書くよう、繰り返し訓練を受けているはず。何かを書かなければとあせると、自動的に手がそう書き始めるのだ、たぶん。
まあ、これはきわめて狭い領域での話だから、あてはまらない場合も少なくないだろうとは思う。思うが、それもまた想像するのみで、自信はない。他の大学の方は、どんなふうに感じておられるんだろうか。
※2006/8/4追記
一応念のため書いておくが、上記は私が常勤で勤めている大学に限った話ではない。
※2006/9/17追記
これ面白い!「日本語で上手な文章を書くには:10の『べからず』」
1. 何について述べている文章なのかは最後まで明らかにしてはいけない
2. わかりやすい構成の文章を書いてはいけない
3. 結論を冒頭に述べてはいけない
4. 結論を最後に述べてもいけない
5. ひとつひとつの文章はできるだけ長く曖昧なものとしなければいけない
6. 主張は断言せず、曖昧に述べなくてはいけない
7. 主張の根拠を明示してはいけない
8. 客観的な記述は控えなくてはならない
9. 他人の主張を批評してはいけない
10. どうしても他人の主張を批評する必要がある場合は、主張そのものではなく、その人の生い立ちや人となりについて述べなくてはならない
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Comments
んー、でもそういうレトリックがクセになっている1人の人の裏には、そういうレトリックすらもこなせず何も書けない100人がいるんじゃないかな。
「光と影」な人も100人見ると閉口したくなるかもしれないけど、それを土台に次の刺激的なレトリックや思想に到達する人が1人生まれる気がする。
そんだけの話であって、別に悲観することじゃないんじゃない?
Posted by: Bar | August 04, 2006 06:14 PM
レトリックは所詮レトリックに過ぎなくて、自分の頭を使っていないということが問題なのではないでしょうか。
光と影があるから、気をつけましょう、だと、なんとなくカッコよく見えるけど、実はなにも頭を使ってない。おまけに、そういう文章は、現実世界に、あまり役にたたないと思うのです。
影ができる本質的な原因はこれで、だから影はこのようにしたら回避できるんじゃないかと思う、と書いたら、あぁこいつ、頭使ってるな、という感じがするし、実際、こういう文章は、現実世界を良くする(影をなるべく減らす)ために、役に立つじゃないですか。
全員が、役に立つ文章を書けるとは思わないけれど、役に立たない文章を、レトリックで、カッコ良く見せるのは、あまり良くないんじゃないかと。それくらいなら、カッコ悪いほうが、まだマシなんじゃないか、と思うのです。だって、カッコ悪い文章だなぁと思ったら、次はもっと、本質的な意味で、カッコ良い文章を書こうと思うじゃないですか。
なまいきなことを書いてすみません。
Posted by: なまず | August 04, 2006 09:39 PM
コメントありがとうございます。
Barさん
別に悲観はしていません。ただ判で押したような書きぶりが少々気味悪かっただけです。「呪縛」を受けているのは実は学生ではなくマスメディアと学校ではないかというのが本旨、なんていう言わずもがなの補足をするまでもありませんよね?
なまずさん
そうですね。レトリックは自分で考えていない証拠、というご指摘はその通りだと思います。作文はこうあるべき、と刷り込まれてしまってるのかもしれませんね。自分のことばで書かれた文章は、たとえ自分の意見とちがっても、読んでいて楽しいです。
Posted by: 山口 浩 | August 05, 2006 02:39 AM
批評における「二項対立」という手法ですね。
高校の国語で勉強する批評文の多くがこの形をとっているということではないでしょうか。
それをしってかしらずか身につけてしまっている。
無難なやり方ですが確かに単調です。
大学時代に別の批評方法も身につけてゆくのではないでしょうか。
Posted by: bureemen | August 05, 2006 12:09 PM
bureemenさん、コメントありがとうございます。
「二項対立」っていうんですか。勉強になりました。私は、この手法で書かれた小学生の作文を山ほど読んだことがあります。きっと高校だけではなくて、小学校のころから骨の髄まで叩き込まれているのではないかと。
別に二項対立自体にうらみはないのですが、それを裏打ちする論理が伴ってないと非常にうすっぺらくみえてしまいますよね。
Posted by: 山口 浩 | August 05, 2006 05:28 PM
影の面を書かなければいけないって強迫観念に慣れてしまうと同様の現象に陥ってしまうと思います。私も経験ありますが、感想文・論文を無理に書かせようとしたときに紙面を埋めるための手法として使ってました。
しかしその題材ってのは決まったものしかないのではないでしょうか。インターネット・都会・携帯電話などなど。
逆に、田舎の閉鎖性・マスコミの偏向・会社勤めの問題点・犯罪件数の推移(60年代から減少傾向にある)など、決まりきったパターンと相反する事、自らが経験しないと自覚できない事柄ですとなかなか出てこないのではないでしょうか。
アンチテーゼにも質があって、よくあるパターンに当てはまらないアンチテーゼを提示できる人が、物事に対しての意見を投げかけれらるのではないでしょうか。
P.S 私の正体は山口様の別のblogで「テレビに公共性なんて存在しない」ってコメントした者です。公にできなくてすみません。
Posted by: ガテン系IT`エンジニア | August 06, 2006 11:45 AM
その手の作文って、一人ブレストした結果を書け、論点は洗いざらい、多ければ多いほどよい、ただし適度に整理してという量の追求的なところと、どちらか一方に偏っていないバランス感覚というか、近い将来の方向性におけるジェネラリスト指向(選ぶ側も選ばれる側も)なところの二点が評価軸になってると思われがちかもと思ったり。
試験前に、「一つの論点を、出来る限り深く追求すること」なんて評価基準を挙げとくと、傾向はガラリ変わるかも知れないです。:/
Posted by: ゾフィ | August 06, 2006 01:54 PM
コメントありがとうございます。
ガテン系IT`エンジニアさん
印象としては、何を聞いても、という感じです。二項対立自体はもちろん悪くないですよね。私だって、そういうのを書くことはあります。要するに、それだけじゃなくて、何か考えたというあたりを示してもらえるといいですね。
ゾフィさん
とはいえそれがけっこうむずかしいんです。「アマゾンのビジネスモデルはコスト構造と情報共有の度合いをどのように変えたのか」という問題でも「光と影」を書かれちゃうんですよ?「そんなこと聞いてない!」とぶつぶつ突っ込みながら読んだりします。
Posted by: 山口 浩 | August 07, 2006 12:43 AM