問題の本質は、金利とか生保とかではないと思う
消費者金融について、グレーゾーン金利がどうだとか、生命保険がどうだとか、いろいろな話題になっている。もう誰かが言っていると思うのだが、大事だと思うので、自分でも書いておこうと思った。
問題の本質は、金利とか生保とかではないと思う。
いわゆるグレーゾーン金利が「グレー」である理由、つまり出資法と利息制限法の齟齬については、確かにおかしいと思う。こういう部分の整合性は先になんとかしておくのがわが国の優秀なる官僚の役割ではなかったのか。ずっと昔から知られていたのに、今までなぜ放置していたのか。なんてことは今ごろわめいてもしかたがない。どんなかたちにせよ、グレーではなく、白か黒かにはっきりすることにはもとより賛成。
ここをまず出発点として。
報道なんかを見てると、どうも金利の水準を問題にする向きが多い。調整措置で一定期間29%が認められるのはおかしいと侃侃諤諤やって、結果25.5%で決着したらしい。で、その後はそれが消費者信用団体生命保険に飛び火した。「命を担保」にするとは何事かと。で、厳しい取立てで自殺してしまった人が何人とか、そういう話になる。厳しい状況に追い込まれた方はたいへんお気の毒だと思う。言いたいこともわからなくもない。ないんだが、やはり問題の本質をとらえていないと思う。
まず解決すべき「問題」とは何かを整理しておく。消費者金融の金利が高いことや儲かっていることは、苦々しく思う人も多いだろうが、それ自体が解決すべき問題なのではない。解決すべきなのは、彼らがもうかっていることとかではなく、困っている人たち、苦しんでいる人たちがいるということだ。言い換える。消費者金融の問題とは、少なくない数の人々が、消費者金融からの借入れを返済できず苦境に陥っていること、及び、消費者金融会社が度を越した取立てを行い、そのために債務者の生活基盤が破壊されたり、債務者が自殺に至ってしまったりといった状況が生じていることだ。
では、この問題の本質とは何か。それを見極めるためには、「それをなんとかすれば問題は解決するのか」を考えればいい。たとえば金利を29.2%から20%に下げたら、消費者金融の多重債務者問題はなくなるのか?ありえない。問題になっているのは、「金利を返済できなくなった者」ではなく、「元本と金利の合計を返済できなくなるまで借りてしまった者」だ。もちろん全員とはいわないが、問題になるような借り方をする人は、金利が下がれば、けっこう高い確率で、よけいに借りる方向へ動くだろう。消費者金融から借りられなくなれば、地下金融に向かう可能性もある。いずれにせよこれ以上借りられなくなるところまで借りてしまうのは同じことだ。その意味で金利水準は、問題の本質ではない。
金利は、ごくあらっぽく分解すればリスクプレミアムと事務費、それに利潤の和だ。前二者は、これもごくあらっぽくいえば、それぞれ売上原価と販管費に相当する。手数料と利潤の話はちょっとおいといて、当面はリスクプレミアムに焦点を当てる。少なくとも消費者金融の場合、金利の主要部分はリスクプレミアムだろうからだ。リスクプレミアムは、借り手が将来返済できなくなるリスクに応じて変わる。だから金利もリスクの内容や程度に応じて変わる。要するに「ものがちがえば値段がちがうのは当然」というだけのことで、それはりんごとみかんの値段が違うのとまったく同じ理屈だ。焦げ付きのリスクが高ければ、金利が20%になっても30%になっても、原理上はおかしくないし、必要ならむしろそうなるべきだ。もちろん、世の中には価格やその上限を政府が決めたりするものも少なくはないし、金利規制一般を否定するわけではない。しかし、今取りざたされている消費者金融問題は、上記の意味で、金利をどうこうすれば解決する類の問題ではないと思う。
生保の問題にしてもそうだ。消費者信用団体生命保険を禁止したら問題は解決するのか?ありえない。この種の保険は、別に消費者金融だけに限った話ではなく、住宅ローンだって借りるときには団体信用生命保険の加入を義務付けられる(あっちは債務者が保険料を払うのだったと思う)。消費者金融の金利は、生保によるリスクのカバーを前提として計算されている。それを封じられたとしても、借り手の負担が減るわけでもない(おそらく増える)。生保業界は今後は借り手の同意確認を徹底して、なんて言ってるようだが、借りたい人は求められれば同意するに決まっているから何の助けにもならない。廃止なんてしたら、相続人に問題が引き継がれることになるわけで、かえって問題が深刻化するではないか(相続放棄すればいい、なんていう人がいるかもしれないが、そんな知恵があるならそもそもこんな問題は発生しない)。その意味で生保も問題の本質ではない。
では問題の本質は何か。
問題をまっすぐに見れば、そんなに難しいことではない。なぜその債務者がそれだけ借りてしまったのかと、どうして自殺みたいな悲惨な事態になってしまったのか、の2点だ。
なぜ借りてしまったのか。借り手が悪いという議論になりがちだし、実際その面は大きいと思うが、ここはちがう考え方をしよう。どうしても借りたかったんだろうし、借りた結果どうなるか想像がつかなかったんだろう。借りざるを得ない状況が本当に存在したのかもしれないし、借りたときは想像もつかなかった状況がその後発生することだってある。借り手は金融リテラシーに問題がある「金融弱者」だ、という前提で考えなければならない。とすれば、問題は貸し手の責任だ。なぜそういう借り手にそんなに貸してしまったのか。プロとして融資実行時の審査がずさんだったのではないか、融資の管理が不充分だったのではないかという、貸し手としての責任を問う余地がある。自殺のような悲惨な結果については、それ自体が、貸し手として非人間的な取立てをしたのではないかと推定する合理的な根拠といえる。
ここが、問題への対処の最大のポイントだ。要するに、広い意味での貸し手責任をより厳しくとらえるために、どんな対策が必要かを考えるべきだと思う。具体的には、融資実行時の審査、融資の管理、そして回収のプロセスにおいて、貸し手である消費者金融会社が、その責任を果たしたか。債務者が返済できるかどうか、どのように審査して融資を決定したのか、契約条件について充分に説明したのか、債務者の財産状況を常にチェックして返済不能にならないよう必要な措置をとっていたのか、そして最後に、非人間的な取立てをしなかったか、といった一連の流れがすべて貸し手の責任になる。その責任を果たしていなければ返済を求められないとなれば、問題の大半は解決するのではないか。
もう少し具体的にいく。融資実行時の審査や融資管理ということでいえば、重要なのは金利水準ではなく、所得と借入額のバランスだ。それは「金利が高いから返せない」というより、「借金が多すぎて返せない」要素のほうが強いからだ。その意味で、「すべての」貸金業者や金融機関を通じた融資の総額を把握したかどうかが、ポイントになると思う。自殺してしまった人の内心はわからないが、かなりの確信をもって言える。借金の金利水準に絶望して死ぬ人はいない。金額に絶望して死ぬのだ。だから金利の上限を決めるくらいなら、借りられる総額の上限を決めるほうがずっと効果的であるはずだ。ここで重要なのが、貸し手企業間の情報の共有だろう。借金を借金で返すような悪循環をいち早く断ち切る必要がある。すでに消費者金融業界、銀行業界とも債務者データベースを持っているが、たしか統合されていなかったと思う。「情報」こそが競争力の源泉だからだろうが、ここは法律の出番だ。
しかし、一連のプロセスの中でも最大のキモになるのは、やはり取立てだと思う。融資時の審査とか融資管理なんかは、具体的に何をどこまですれば充分なのかが一概には決めにくいからだ。しかし取り立てはちがう。取立ての際にやっていいこと、いけないことは、かなり具体的に決められる。1ヶ月延滞したらハガキ、2ヶ月なら電話、3ヶ月なら内容証明とか。文言だってあらかじめ決めておけばいい。それ以外のことを言った、書いたらアウト、みたいな制約をつければ、問題の状況はがらりと変わるはずだ。
逆に、取立て時にやるべきことを義務付けることもできるだろう。貸し手が守るべき取立ての方法に関する説明。借り手の権利の説明。借り手の側に立つ弁護士の紹介。それから、場合によっては自己破産を勧めることを貸し手に義務づける、という発想もある。実際、報道でよく取り上げられる悲惨なケースやら何やらを見ていると、「なぜ自己破産しなかったのか」という思いでいっぱいになる。抵抗感があるのもわかるが、自殺や一家離散よりはるかにましではないか。借り手になんとか気づいてもらいたいが、それがかなわないとなれば、これも貸し手責任に含めるしかない。借り手に甘すぎるではないかという人もいるかもしれないが、すでに社会問題になっているという前提での話だ。
自己破産までいかなくとも、弁護士を入れて債務整理を行うことは、多くの場合充分可能なはずだ。はんぱな数ではない大企業や中小企業が、はんぱでない額の債務を免除されたのが、ほんの数年前であることを私たちはちゃんと覚えている。それなら個人だって同じような恩恵をこうむっていいはずだ。債務の整理は、必ずしも恥ずかしいことではない。今だってそれなりの制度はあるわけだが、もし使いにくいなら、さらに法律でいろいろ決めたらいい。こういうところにこそ政治の出番がある。グレーゾーン金利の経過措置なんかで攻防やってる場合じゃない。政務官が辞めりゃすむ問題でもない。彼らにとっては、金利水準と経過措置でお茶を濁すほうがずっと簡単でダメージも少ないだろうが、それでは困るのだ。問題は解決しないのだ。
最後に。どんな方法にせよ、貸し手を縛れば、貸し手は融資に消極的になる。各社の儲けが減るとか業界が縮小するとかで溜飲を下げてる場合ではない。それは、融資を受ける機会が奪われる人が出てくるということを意味する。このことは、はっきりと認識しておきたい。もちろん、よしあしはある。借りるべきでない人が借りられるのはよくない、というのはむしろ合理的な考え方だ。ただし、情報の非対称性が完全には解消しない以上、本来なら借りてもいい人も、とばっちりを受ける。つまり、どんな対策をとるにせよ、メリットと同時にデメリットがあるということだ。
何か制度を変えるとき、私たちは、社会として何が好ましいかを選択している。だったら、デメリットがあってメリットがあまりない案より、デメリットはあってもそれなりのメリットが期待できる案をとるべきなのは、当然ではないか。少なくとも、金利や生保をうじゃうじゃやってハイこれで一丁上がりとやられたのでは、たまったものじゃない。私はこれ以上「品格」を下げたくないので(もう充分に低い)、ここは一番、ぜんぜん関係ないが河野太郎議員にご登場願って、ぜひここでも例の啖呵を切っていただきたい。
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Comments
はじめまして
>その責任を果たしていなければ返済を
>求められないとなれば、問題の大半は解決する
>のではないか。
つまり、貸倒率が多いか少ないかによって、
消費者金融は評価されるべきだと言う事ですか。
「貸倒率が低い=適切な査定」をしている事に
なり、そうであれば、消費者金融も許容できる
事になるように受け取りましたが。
Posted by: bn2islander | September 21, 2006 09:18 PM
bn2islanderさん、コメントありがとうございます。
わかりにくかったですかね。すいません。「責任」は貸し手責任で、それを果たしていない場合には返済を求められない、としたらどうだろう、という意味です。無理な回収がなければ、自殺等の問題はかなり改善に向かうと考えました。
貸し倒れの率と適切な査定とは直接関係ありません。貸し倒れリスクが金利に適切に反映しているかどうかは問われるべきだと思います。もし暴利をむさぼっているなら、金利規制よりも企業間競争の促進によって解決するのがスジでしょうね。
Posted by: 山口 浩 | September 21, 2006 10:10 PM
結局闇金融に流れてしまうのでは。
暴力団がなくならないように、闇金融をなくすことは出来ない気が。
やはり借り手の教育しか方法はない気がします。
闇金融の定義はしっかりした方がいいと思います。それでも借りてしまう人には、教育で。
Posted by: 1 | September 21, 2006 11:23 PM
>「責任」は貸し手責任で、それを果たしていない場合には
>返済を求められない、としたらどうだろう、という意味です。
>無理な回収がなければ、自殺等の問題はかなり改善に向かうと
>考えました。
それは分かりますが、「無理な回収」と言うのは主観的なものですよね。
対策を立てるためには、数値化する必要があると思います。
「無理な回収」を続けていくと何が起こるのかを考えた場合、自己破産や、
自殺による回収、夜逃げなどが起こります。つまり、「無理な回収」と、
貸倒率は相関関係があるのではないか、と言う考えですが、いかがでしょうか。
もちろん、自殺も含めるべきだとは思いますが、割合としては低いようにも思います。
Posted by: bn2islander | September 21, 2006 11:27 PM
コメントありがとうございます。
1さん
借り手の教育は当然必要ですが、それを最も必要とする人に最も届きにくいという問題があるのは教育業界の人間として痛感していますので、上の文章では含めませんでした。
実効性を考えれば、借り手に「借りるな」というより貸し手をしばったほうが早いと思います。貸金業は登録制なので、「闇金融」を無登録の金融ととらえれば定義は明確です。基準の遵守を登録の条件にすればいいわけです。闇金融に行く前に破産にもっていければ、少なくとも最悪の事態は避けられるのではないかと思います。
bn2islanderさん
回収の基準を客観的に定めるというのは、本文に書いたとおりです。自己破産と、自殺や夜逃げとを同様に考えるのは賛成できません。後者は「解決すべき問題」であり、前者は「そのための手段」です。貸し倒れの率は、誰にどれだけ貸して、どんな回収をするかのすべてに関連しますので、全体としてみれば、無理な回収と直接的な相関関係はないと思います。貸し倒れの率が高まることは必ずしも悪いことではありませんが、無理な回収は禁止すべきです。
自殺による融資の回収は、たとえ少なくても看過すべきではありません。うろ覚えですが、けっこうな数の人がそうした悲惨な結末を迎えているとかで、だからこそ社会問題化しているわけです。自殺しないでもすむしくみが必要だと思います。
Posted by: 山口 浩 | September 22, 2006 01:02 AM
多重債務者は何度も飲酒運転を繰り返す問題ドライバーのように、救済の対象というよりはむしろ治療矯正の対象としてみたほうが解決する面もあると思う。
Posted by: アイフル | September 23, 2006 10:26 AM
アイフルさん、コメントありがとうございます。
全員とはいいませんが、多重債務者の中には、そうした面がある人もいるでしょうね。もっと積極的に禁治産とか後見人とかの制度を活用したほうがいいのかもしれません。
ただ、そういう人ばかりではないようにも思いますし、回収のやり方はいずれにせよなんらか規制を強めたほうがいいとも思います。
Posted by: 山口 浩 | September 24, 2006 01:35 AM