「フラットな社会」は「平等な社会」ではない
長く書こうと思えばいくらでも長く書ける話なんだろうが、当たり前だと思う人も多いだろうから、かいつまんで要点だけ。
なんか、世の中には「フラットな社会」を「結果平等な社会」と思っている人たちがけっこういるらしい。
まあもちろん、ことばの定義によってどうとでも変わる話なんだが、一般的な意味合いでいくと、この2つはたぶん、似て非なるものだ。「フラット」のほうは、例の「フラット化する社会」でいうような意味を念頭におく。インドでのアウトソーシングみたいな国際的なフラット化だけでなく、国内でも、プロとアマの境界がなくなってくる等、同様の現象はみられる。それまであった階層間の差、業態間の差みたいなものが次第にぼやけていくといったあたり。
今特定のサイトを挙げることはできない(忘れちゃった)のであくまで印象レベルだが、いろいろなところで、「でも格差は残ってるじゃん、ヒエラルヒーがあるじゃん、フラットじゃないじゃん」みたいなことを言う人がいるように思う。そんな奴いねぇよ、ということなら、以下はただの妄想なので無視していただきたく。ただ、記憶にちがいなければ、複数のサイトでこうした論調が見られた。そういえば、「エリート」とか「エスタブリッシュメント」とかいう表現を使う人もいたと思うが、まあこれも仲間だな。
「フラット化」ということばで表現されているのは、それまで越えられなかった差、崩せなかった壁が崩壊しつつあるさまだ。ハイテク製品は先進国でしか作れないという技術差、情報流通におけるマスメディアの独占、そういったものが、昨今の技術進歩や社会の変化にともなって、崩れかけているというわけだ。身近なあたりでいえば、大企業に入社しなければいい暮らしができない時代ではなくなったり、個人のブログが大新聞と伍して情報を発信したり。
しかしそれは、ベンチャー企業がみんな成功したり、個人のブログがみんな大量のアクセスを稼いだりするということを意味しない。平たい言い方でいえば、「チャンスの平等」があっても「結果の平等」が確保されるとは限らない、ということになろうか。結果の差は、さまざまな原因で発生するが、「過去にあった差」が原因となる部分が少なくなった、というのがフラット化ということだ。いってみれば、「目の位置」が同じ高さになったのではなく、立っている床の高さが平らになった、ということに相当するだろう。もともとあった身長の差があらわれるのはいたしかたないではないか。
もちろん、社会が完全にフラットになったわけではない。いたるところに、でこぼこなところがある。正社員と非正規雇用の人たちとの差もその1つの例。それが年齢層の差と結びついている傾向もあるから、さらに話はやっかいだ。ただそれでも、過去に比べてよりフラットになる方向に社会が進んでいるという見方は、それほどはずれていないように思う。だからといって「みんな一緒」になるとは限らない点を不満に思う向きもあるかもしれないが、そんな状況はたぶん、永久にこない。乱暴に言い切ると、それが人間の性(さが)のようなものだからだ。
というわけで、フラットな社会であっても、社会の中での格差はなくならないし、誰もが平等になるわけでもない。つらい世の中かもしれないが、それはフラット化「にもかかわらず」差が残っているからではなく、フラット化ゆえに差を「構造」のせいにできないから、ではないだろうか。
以上、どこまでいっても、そういうふうにことばを定義したんだからそうなるのは当然だよねという話なので、このあたりにしておく。
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Comments
最後は、脳や遺伝子の「構造」のせいにする人が現れたりするかもしれませんね。そこまでのフラット化は非現実的なのでしょうか…
Posted by: A | September 23, 2006 at 04:00 PM
Aさん、コメントありがとうございます。
「そこまでのフラット化」は「非現実的」というより「非人間的」だと思います。個性を否定することになるので。無理に同じにしようとするより、ちがいを認め合うほうが健全だろうな、と思います。
Posted by: 山口 浩 | September 24, 2006 at 01:38 AM
そもそもフラット化という言葉がヘタレているような。本の言うところの「フラット化」が始まったのは大航海時代に遡り、大航海時代は「The World is spherical」から始まったのだから矛盾してさえいる。
Posted by: 佐藤秀 | September 24, 2006 at 11:43 PM
佐藤秀さん、コメントありがとうございます。
ええと、私は記憶力が悪いんですが、あの本に「大航海時代にさかのぼる」と書いてあったんでしたっけ?だとすると、ちょっとちがう感じがしますね。フラット化の反対は階層化ですから、帝国主義の勃興とか産業革命とかあたり以前を考えてもあまり意味がなさそうですからね。もしグローバル化の流れをもってフラット化と解するなら、アフリカで生まれた人類の祖先が世界に拡散していく過程こそフラット化だし、国際貿易の発達をもってフラット化というなら、旧石器時代あたりを始めにしないといけません。どっちもあまり「フラット化」ということばの意味合いとはちがいますよねぇ。
Posted by: 山口 浩 | September 25, 2006 at 12:11 AM
あなたの言っていることは正しいと思います。私はアメリカの会社で働いているので英語で読んでみて、
日本人の書評には、全然違っているものや的のはずれているものが多く、これは翻訳のせいか、或いはこの本が出る前に既に組織のフラット化という言葉があって、それと間違われていることが多いように思われます。これをポストしてくれてありがとうございました。
Posted by: Mayumi Balfour | January 03, 2008 at 03:46 AM
Mayumi Balfourさん、コメントありがとうございます。
日本人の場合、そのちょっと前から格差論が流行ってたことがあるので、フラット化がそれと相反するものとしてとらえられたのではないかと思います。
Posted by: 山口 浩 | January 04, 2008 at 12:52 AM