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September 25, 2006

教育改革は急務である、という話

近日中に成立するであろう安倍新政権では、教育改革をひとつの目玉にするらしい。「美しい日本」を実現するために最も大切なもの、ということなんだろう。なるほど。「美しい日本」は「美しい日本人」がいて初めて成立する。教育はその要だ。考えてみれば、これまでの教育など、なきに等しかった。今こそ徹底的な教育を施して、一から叩き直さなければ。

誰をって?決まってるじゃない。大人を、だ。

学校の教員たちは認めたがらないだろうが、そろそろはっきり認めておいたほうがいいように思う。いっちゃなんだが、教育において、学校やその教員のできることなど、本当に限られている。少なくとも、知識以外の教育についてはそうだ。確かに世の中には、夜回り先生やらヤンキー先生やらといった、非常に立派な先生方がいらっしゃって、そういう人は多くの迷える子供たちを絶望の淵から救い、希望の種を植え付け、その後の人生を大きく変えてしまうような、大きな影響力を持っている。しかしそういう人たちが注目されるのは、当然ながらその人たちが例外的に優れた能力と情熱を持っているからであって、大半の教員はそうではない。

いうまでもないが、これをもって教育を憂うのはまちがいだ。どの世界でも、特別に優れた人材はごく少数なのであって、大半は普通の人だ。スーパーセールスマンばかり集まった会社や、強打者ばかり集まった野球チームなどが現実にはありえないのと同じ。まあこれは本題からはずれるのでこのへんにして。

もちろん、そうした優れた先生でなくても、教員は子供たちに大きな影響を与える。その人の考え方やものごとに対する態度、ほめられたりしかられたりした思い出、いろいろなことが子供たちに影響を与えていく。だからこそ学校教育は重要であるわけだ。それは否定しようもない。ないが、全体としてみれば、その影響力がかなり限定的であるのも事実だ。教科書に何と書いてあろうと、教員が何と教えようと、その大半は「枝葉」でしかない。子供たちの「幹」を作り上げるものの多くが由来するのは、学校教育ではない。子供たちが最も多くのことを学ぶのは、学校ではない。

家庭だ。

なにをいまさら、という人も多いだろうが、この点は何度強調しても強調しすぎということはないと思う。基本的な生活習慣、社会との協調、善悪の区別。どれをとっても、家庭の影響力は決定的といっていい。早い話、いくら学校で教員が「手を上げて横断歩道を渡りましょう」と言ったところで、家庭でそれを実践しなければ、絶対に身につかない。親が宿題をやったかどうか気にしなければ、子も気にしなくなるのは不自然ではない。家庭が協力して初めて、学校教育は効果を持つ。何言ってんの親が子供のことを思うのは当然じゃんという人もいるかもしれないが、意外とそうでもないケースは身近にいくらでもある。具体的なデータをもとにしているわけではないし、すべてを家庭のせいにする気もないが、問題のある子の家庭になんらかの意味で問題があるケースは実に多いらしいのだ。子供たちの教育に関する学校の責任を軽くみようというものではまったくない。むしろ逆だ。そうであるがゆえにこそ、学校教育の限界を意識しておく必要がある。

だから、教育改革を「学校における子供の教育」の改革、と限定してしまうことには、問題点がある。1つは、上記の通り、家庭から改革していかない限り学校でいろいろやっても効果が限定的であろうということ。それからもう1つは、子供の教育を改革したとして、「美しい日本人」の登場までには10年以上かかる、ということだ。そんなに待っていていいのか。子供たちは、次世代の日本を担う。今の日本を担うのは、大人たちだ。もし今の日本を憂うなら、むしろ大人こそ、まっさきに教育すべきではないのか。そしてそれこそが、次世代の日本を「美しく」するための最良の方法ではないのか。

というわけで、新内閣において教育基本法改正を論じたいなら、子供の教育より先に、大人の教育強化について徹底的に議論していただきたい。特に「心の教育」みたいなものを強化したいなら、明らかに大人のほうが順番として先だろう。もっとも、現在の教育基本法でも、最初のいくつかの条文を見る限り、大人の教育を排除しているふうには見えないんだが。

第一条 (教育の目的)
教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない。
第二条 (教育の方針)
教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によつて、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。
第三条 (教育の機会均等)
すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育を受ける機会を与えられなければならないものであつて、人種、信条、性別、社会的身分、経済的地位又は門地によつて、教育上差別されない。
○2  国及び地方公共団体は、能力があるにもかかわらず、経済的理由によつて修学困難な者に対して、奨学の方法を講じなければならない。

「すべて国民は」教育を受ける権利があるのだ。大人を排除すべき理由はない。むしろ、今は大人こそが教育を受けなければならないと思う。そして、大人に教育を施すことが必要なら、政府の責務としてこれを行わなければならない。大人は仕事があるから教育を受ける時間などない?それはまさに第3条第2項にいう「経済的理由によつて修学困難な者」ではないか。国及び地方公共団体は、こうした者に対して、奨学の方法を講ずる義務があるというべきだ。あなたも私も、「経済的理由によつて修学困難」なのだから、政府に対して「教育を受けさせろ。私の曲がった根性を一から叩き直してくれ」と要求しよう。この文章の本旨からははずれるが、定年退職して再雇用されるベテランビジネスピープルの皆さんも、いい機会だ。新たな出発に先立って、ぜひ新入社員といっしょに「地獄の特訓」みたいなやつを受けていただくといい。

当然ながら、言いだしっぺも例外ではない。こういうことを言っている人たちがいるようだが、この方々も含め、議員の皆さんも、一から叩き直してもらうのは当然のことだ。「大学入学前に奉仕活動、ボランティア活動を必修化」「農業に就かせる『徴農』でニート解決」なども、まずは彼らが率先してやるべきだろう。たとえば後者を主張される稲田朋美衆院議員も、きっと「豊富な農業経験」があるんだろうが、議員さんたちは誰でも、数年に1回機会を作ることができる。選挙で当選したら、任期が始まるまでの間に奉仕活動やボランティア活動、農業就労など(自衛隊入隊も適任かと思う)を義務付けることに対して、支障はまったく存在しないものと思う。選挙で落選した「浪人」の皆さんなどはまさに適任だ。雌伏のときは、鍬を手に。いやとは言わせないよ。

大人が率先してやって初めて、子供たちにも義務付けることができる。たとえば、上記記事で下村博文衆院議員が主張する「ジェンダーフリー教育の撤廃」についても、それがまずいというなら、まず大人に対してそれがまちがいだと教えるべきだ。私はジェンダーフリー教育に関して今のところ特段賛成でも反対でもないが、どちらの意見にせよ、それが大人を説得できない理屈なら、子供に教えるのはまだ早い。議論の余地があるうちに、その片方だけを子供に教えるのはおかしい。

暴論ぽく見えるかもしれないが、私はむしろ正論に近いのではないかと思う。もちろん現実的かという問題はあるが、もし教育を本当に重要と考えるなら、「家庭での教育者たち」をどう改革するかを避けて通るべきではない。重要、なんだよね?だよね?勝手な想像だが、大人の中で、自分は「美しい日本」にふさわしい「美しい日本人」であるという自信のある人は、そう多くないのではないかと思う。少なくとも私は自信がない。だから、教育改革するつもりなら、まず大人から。心の教育をやりたいなら、まず私を含む大人を先に鍛えなおしてもらいたい。議員さんたちもぜひご一緒に。そこんとこよろしく。

ここでは「大人」の中でも、主に「親」について書いてみたが、教育すべき大人たちは他にもいると思う。それについてはまた別の機会に。

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Comments

まったくの正論です。学校だけの問題じゃないですね。

Posted by: 大西宏 | September 25, 2006 10:13 AM

初めまして。
こんなにあっちを向いている議員さんたちを誰が教育できるのでしょうか。
愛国心が服を着てそこら中に歩いているような国になってしまったら、この国から逃げ出したくなるだろうな。今でも1万人ぐらいはそういう人がおられるのではないでしょうか?エリートではないかも知れないですけど。

Posted by: kkyamasita | September 25, 2006 04:52 PM

コメントありがとうございます。

大西宏さん
ありがとうございます。教育は子供だけの問題ではありません。大人も学校に通ったらいいと思ったりします。

kkyamasitaさん
議員さんたちを誰が教えるかは問題ですね。農業とかそういうあたりでは、「現場の方々」がびしびしやっていただければいいんでしょう。人格教育については、この方あたりはどうでしょうか。
http://totsuka-yacht.com/
それはともかく、自分が受けたくない教育を子供たちに与えようというならちょっといかがなものかと思います。そういう視点で議論していただきたいですね。

Posted by: 山口 浩 | September 26, 2006 12:46 AM

>それはともかく、自分が受けたくない教育を子供>たちに与えようというならちょっといかがなもの>かと思います。そういう視点で議論していただき>たいですね。

教育で解決しようという考え方は、まさしく大人の逃げだと思っています。
精神教育と言ったものを学校などの集団教育で養うことは、宗教と何ら変わらないというのが、私の考えです。
教育の改革は必要だとは思いますが、それは、今の時代に沿った改革でいいのではないでしょうか。

Posted by: kkyamasita | September 26, 2006 05:34 AM

kkyamasitaさん
今行われている子供向けの教育に問題がないとは思いません。改善のための努力が必要だとは思いますが、問題は、どう改善したらいいかについて大人同士の間に齟齬があるのにそれが無視されていることと、自分はもう教育を受けないと思っている人たちが無責任な議論を展開していることだと思います。というわけで、まず自分が受けてみては、という話を書いてみました。
でも、実際のところ、心の教育みたいなものについては、子供向けの学校教育をどうこうするより、親向けの教育プログラムを充実させたほうが効果が高いのではないか、と思います。親の影響力はそれだけ大きいわけですし。

Posted by: 山口 浩 | September 26, 2006 10:13 AM

山口さん何度もコメントありがとうございます。
基本的には、山口先生と考えは同じなのですが、
大人を教育するというのは非常に難しいのでは、
と思ってしまいます。
私は、教育者ではないので、詳しいことはわかりませんが、会社に勤めていると共通の目的がしっかりしていないと大人は動かないと思っています。つまり、利己的に動いてしまう。
普通の家庭であれば、子育てをどのようにしていくべきなのかを伝えるプログラムがあればいいのかも知れませんが、例えば、家庭内部に問題がある、親自体に問題があるといったケースでは、それぞれ個々の対応が必要になってくるのではないかと思ってしまうのです。
子どもが問題なのではなく、親が問題だという指摘はその通りだと思っています。そして、大人がその方向性をちゃんと議論して決めていないのも事実です。
繰り返しになりますが、大人を教育するというのは難しいのではないでしょうか?
よく行く飲み屋のおやじに言わせると徴兵制度を復活させないと駄目だそうです。私はそこまではしたくないけど・・・

Posted by: kkyamasita | September 26, 2006 03:26 PM

kkyamasitaさん
大人を説得するのは難しい、というのはご指摘の通りです。ただ私が言いたいのは、大人を説得できない理屈を子供に押し付けるべきではない、ということです。自分には関係ないと思っている人が決めると、どうしても地に足がついてない話になりがちです。子供向けの教育をどうこうする前にまず大人の側でやるべきことがあるはず、ではないでしょうか。

Posted by: 山口 浩 | September 27, 2006 02:35 AM

山口さん
子供向けの教育をどうこうする前にまず大人の側でやるべきことがあるはず、という主張はまったくその通りです。内閣発足後まず最初に取り組むべきことが違っていると私も感じています。
「美しい日本」という曖昧な言葉で人を引きつけようとするのではなく、現実をちゃんと直視してほしいと願うばかりです。
今後10~20年の間に環境ががらりと変わってくると私は思っています。エネルギー事情、食糧事情、鉱物資源事情など、今までの大量消費型社会のつけが、資源のない日本に押し寄せてくるのはまず間違いありません。その時代を乗り切る知恵を大人が真剣になって考えていくべきだと思っています。
後世の人に残してはいけないのは、国の借金だけではないのです。

Posted by: kkyamasita | September 27, 2006 07:35 AM

kkyamasitaさん
残してほしいもの、ほしくないもの、いろいろあるわけですね。大人の責任は重大です。完璧にとはいかないまでも、できる限りのことはしておきたいものです。

Posted by: 山口 浩 | September 28, 2006 01:12 AM

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