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「百姓から見た戦国大名」

黒田基樹著「百姓から見た戦国大名」、ちくま新書、2006年。

これ、すごい。

いわゆる「網野史観」というのがある。2004年に亡くなった歴史学者網野善彦氏らが提唱した、権力者よりむしろ民衆に注目する歴史のとらえ方、とでもいえばいいだろうか。歴史学者の間ではいろいろな見方があるらしいが、現存するさまざまな資料と整合的なところがたくさんあるし、少なくとも素人である私の目から見れば、「えらい人々」の歴史よりよほど面白く説得力がある。

この本は、網野史観にも似た「民衆からの視点」をもって戦国時代を見たもの、といえる。戦国時代というと、私たち素人はつい、合従連衡とか下克上とか、天下統一へ向けた武将たちのドラマとかロマンとかみたいなものばかり思い浮かべてしまう。その「陰」で民衆は泣いていたのでは、なんて想像する人も多いだろう。戦乱の世にあって、家族との平和な日々を夢見ながらも横暴で権勢欲旺盛な君主に駆り出され泣く泣く戦場へ、なんて今ふうに考えてしまいがちだが、とんでもない。そんな甘っちょろい見方は180度ひっくり返る。

過去帳の分析によって浮かび上がる、戦国時代の食糧事情。戦国時代はまさに「生き残りをかけた戦い」の日々であったわけだが、通常イメージされるような、武器を使った戦闘での「生き残り」ではない。引用すると、こうだ。

いわば中世というのは、毎年毎年、端境期に飢餓が訪れ、それによって多くの人々が命を落としていく、民衆にとっては生存すら必ずしも保証されていない、過酷な社会であった。こうした中世の状況は、江戸時代後半でいう飢饉の状態が日常そのものであったということであり、これを慢性的な飢饉状況と認識することができる。

そして、この状況こそが、全国で繰り返された戦いの原因であり結果であったこと。そんな中では、他国を侵略し、物品や人間を略奪することこそが生存の手段であった。民衆は生存のために村を作って団結し、近隣の村と互いに侵略し合い、生活を豊かにしてくれる強い領主を文字通り「選んだ」。村を出て侵略の戦いに参加すれば、まず村の食い扶持が減らせる。しかも勝てば戦利品(奴隷も)で豊かになれる。そうなればトラブルも減る。ロマンもへったくれもあったものじゃない。歴史に残る数々の戦国武将たちの戦いも、個人的な野望とか夢とかよりもまず、自らの生き残りのために領民を「食わせる」必要があったからだったのだ。甲斐の武田氏について、こう説明されている。

武田軍に従軍した足軽たちは、討ち取った敵兵から、刀以下の武器・武具類を奪い、それを身にまとって良い格好になり、さらに馬や女性などを略奪して、財産を殖やした。そうして本国甲斐だけでなく、支配下の国々の領民まで、みんなが豊かになった。しかもそれによって領国内は平穏が保たれていたという。

「収益源」である領民を満足させる。これが戦国大名というものの「ビジネスモデル」というわけだ。事実上、彼らに選択の余地などない。著者は、全国を統一した秀吉がすぐさま朝鮮半島へ向かったのもこの延長線上でとらえることができる、と指摘している。「決して秀吉の個人的な政治観や感情によるものではなかったに違いない」と。この本の視点からいえば、武将たちに与える論功行賞の土地を求めてというより、日本を統一「してしまった」以上、日本人全員を「食わせる」ためには海外に出るしかなかった、ということだろう。そもそも戦国時代の戦いとは「飢餓」を国内で押し付けあう争いだったのだから。なんとなく、帝国主義の原初的形態なのではないかという感想が浮かんでくる。そうなると、その後とられた「鎖国」という意思決定の意味合いがずいぶんちがってくるように思うのだが、歴史は専門でないので、コメントは控える。

さらに、戦国時代の武士と領主の関係についても興味深い話が。戦国時代は、それ以降江戸時代まで続く領主と家来たち(「家中」という)との主従関係の形式がかたちづくられた時期なのだそうだが、戦国時代と江戸時代では決定的な差がひとつあったという。もう1箇所だけ原文を引用する。

…こういうと江戸時代における武士道のようなものを思い浮かべてしまうかもしれないが、あくまでも両者の主従関係は、ギブ・アンド・テイクの双務契約関係であった。すなわちそれは、主家が家中に対し、存立の保証をしている限りでのことであった。そのため充分な保護を受けられなければ、家中の構成者は容易に主家を見限った。とくに一門・宿老など有能なものは、他の戦国大名などから引く手数多の状態で、再就職先には事欠かなかった。「葉隠」に代表される、滅私奉公のような武士道が生まれるのは、社会が平和になり、さらに大名の改易が少なくなって、再就職が難しくなった状況からであった。…

さもありなんという話だが、簡単に片付けてしまわないほうがいいように思う。いわゆる「武士」のありように心酔する人は多い。ひるがえって今の日本人は、という議論につなげたがるわけだが、一方で現代人がイメージする「武士道」のあり方は理念形にすぎないといった批判もある。この本から見えるのは、武士のありようが社会状況に依存していたということだ。上記の記述にある滅私奉公の成立など、バブル下では転職がはやり、不況下では転職を当然視する職業観が弱まった現代の状況と変わりないではないか。人を動かす力学の根本は、おそらく過去も今もさして変わっていない。実際のあらわれ方が社会の状況に応じて変わるだけなんだろう。もっとはっきりいえば、最近よくある「今の日本人は根性が曲がっている」みたいな精神論は、少なくとも政治の場においては不毛、ということだ。政治家の皆さんには、人の心に口を出すひまがあるなら、そこらじゅうにある制度の矛盾点とか不備とか、社会の状況のほうをさっさと変えてもらいたい、と。

そのほかにも、目からウロコ、へぇボタン連打のいろいろな話が。戦国時代に興味のあるすべての方にお勧め。現代にしか興味のない方にも、いろいろなインプリケーションがあるので一読をお勧めする。

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Comments

>人を動かす力学の根本は、おそらく過去も今もさして変わっていない。

戦後日本人が掌返しでアメリカマンセーになったのも、ただ社会状況に対応してゆく必要に迫られた結果で、進駐軍を新たな領主として置き換えてみれば妙に納得するところがありますね。戦国当時から日本人の本質はほとんど変わってないとも言えるわけで。人間を動かす原動力というのは至ってシンプルな動機と言えるでしょう。だからインセンティブを考えないで心をいじれば問題が解決するというのは見当外れもいいところだと思います。

Posted by: すなふきん | September 18, 2006 04:41 PM

でも、今の北朝鮮のように領主の陰で領民が泣いている状況ってのも多くあったんじゃないでしょうか?自由を大幅に認める領主なら別ですが。

大事な点は、「領主の選択」と「領民の選択」のどちらの自由度が勝っていたかだと思われます。どちらかといえば、やっぱり「領主の選択」じゃないかな。

武士と領主の関係においても、今と違って武士の個人情報も正確ではないと思われますから、あの頃簡単に転職するってのは難しいんじゃないかなあ(容易ではない)と考えますが。

Posted by: 領主 | September 18, 2006 06:45 PM

こういう学問(?)のことを真正史というそうですよ。

Posted by: ひろ | September 18, 2006 08:27 PM

コメントありがとうございます。

すなふきんさん
心を直接いじろうとするのはちょっと、ですね。特に政治家は。

領主さん
この文章は、私はこの本を読んでこう受け取った、という素人の感想文です。当時の情勢については、私はお答えできる知識もなければそうする立場でもありません。実際に現物をお読みいただいてからご判断ください。ご質問があれば、著者の方に直接されるのがいいと思います。

ひろさん
「真正史」ということばは初めて聞きました。ぐぐったら、ひろさんのブログ以外には見当たらなかったんですが、どうなんでしょうか?

Posted by: 山口 浩 | September 18, 2006 10:20 PM

「戦場の精神史 武士道という幻影」佐伯真一
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4140019980/

という本には「武士道=正々堂々」というのは虚構だということが論じられています.ご参考に.

Posted by: anonymous | September 19, 2006 05:41 PM

知人から聞いたのですが、違うのかなぁ??

Posted by: ひろ | September 19, 2006 08:56 PM

ウィキペディアで調べたら、心性史でした。失礼しました。

Posted by: ひろ | September 19, 2006 08:58 PM

コメントありがとうございます。

anonymousさん
なるほどこういう本があったんですね。無理に美化しなくても、武士のありようはなかなかに魅力的ですよねぇ。この本も面白いですよ。お勧めです。

ひろさん
「心性史」ですか。なるほどそういうのがあるんですね。ただ、たぶんこの本はそうではないと思います。この本がやっているのは、庶民の記録に残されたものなどから分析していますので。中世以降は庶民の間でも膨大な記録が残されていたりするのですが、まだまだ日の目を見ていないものがけっこうあるらしいです。

Posted by: 山口 浩 | September 19, 2006 11:23 PM

http://www.amazon.co.jp/gp/product/4121016297
逃げる百姓、追う大名―江戸の農民獲得合戦
当時の農民の暮らしを知るうえではこの本もお勧めです。百姓があっさりと農地を捨ててとなりの大名のところに逃げてしまうので、それをさせじとさまざまな褒賞でつなぎとめる様に笑えます。ある意味、とんでもなくリアルな動きです。

Posted by: ふくいけいじ | September 28, 2006 02:14 AM

ふくいけいじさん、ご推薦ありがとうございます。
やはり、人間てあまり進歩してないですね。

Posted by: 山口 浩 | September 28, 2006 03:03 AM

「心性史」ですか。なるほどそういうのがあるんですね。ただ、たぶんこの本はそうではないと思います。この本がやっているのは

Posted by: NFA Gun Trust | August 02, 2013 10:39 PM

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Tracked on September 18, 2006 02:59 PM

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