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November 21, 2006

議論すべきかどうかを議論するっていうのは議論することではないのか?

最近、「議論すべきかどうか」についてさかんに議論している人たちがいるわけだが、これがどうもよくわからない。

議論すべきかどうかを議論してるってことは、すでに議論しちゃってるってことなんじゃないだろうか?議論すべきかどうかを議論することは、議論することとはどうちがうんだろうか?

議論すべきかどうかを議論するためには、それがなぜ議論されるべきかされないべきかを議論するわけで、そのことはつまりそれが議論すべき重要なことかどうかとか、それがどのくらい現実的かどうかとか、それがどんな影響を周囲に及ぼすかとか、そういうことの議論にならざるを得ないではないか。

となると、「議論すべきでない」という立場の人からみれば、議論すべきかどうかを議論すること自体が問題なわけで、となると議論すべきかどうかを議論していいのかどうかを議論しなくちゃいけない。しかしそれをやってしまうと、結果的に議論していることになってしまうのではないかという危惧が出てくるので、議論すべきかどうかを議論していいのかどうかを議論することは果たして適切なのかという議論が出てくる。…以下省略。いや困ったね。

結局、全員が黙っているか、議論するかしかないわけだ。で、問題は「全員を黙らせる」ことができるのか、ということになる。仮にも民主国家を名乗る国で、そういうことを許していいのか、ということだ。もし全員を黙らせることができないなら、議論するしかないではないか。現にもう議論しちゃってるわけだし。

誰それは議論していいが誰それはだめ、というのもなんだかちょっと。そりゃ確かに立場上まずいっていう人はいるだろうが、その範囲をあまり広くとらえないほうがいいように思う。それより多様な意見を集めるほうが重要なのではないだろうか。

議論すべきだと言っている人の中にも、そのもの自体に対してYESの人とNOの人がいる。議論をすべき=YESとは限らないのは、現状をみれば明らか。論調からみて、NOの人のほうが多そうなあたりもまあだいたいわかる。議論すべきでないという人は、NOの人を信用できない、ということなんだろうか。議論を押し込めて、裏で動かれるほうがよっぽどこわい、なんて思わないのだろうか。

そういえば昔、こんな本を読んだな。

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Comments

トラックバックしようとしたらスパムではじかれましたのでこちらへ.
直接"議論すべきかどうかを議論する"例はちょっと見た事ないのですが,"あるテーマについて議論すべきかどうか議論する"のは僕もよくやります.
本エントリがテーマにしているのは前者でしょうか.それとも混同しているのでしょうか.(『「議論すべきかどうか」についてさかんに議論している人たち』へのポインタがあるとうれしかったです)

Posted by: K.Tsuchiya | November 21, 2006 06:17 PM

>議論をすべき=YESとは限らないのは、現状をみれば明らか。論調からみて、NOの人のほうが多そうなあたりもまあだいたいわかる。

このへん難しいところです。もちろん「議論」がタブーであってはいけないのは当然ですが、今回「議論」をすべきと言い出した人の多くがどうやらYESの意見を持っていそうだからNO側の人はそれを警戒して予防線張ってるという構図なんじゃないでしょうか?あと、現状ではNOが多くても、この国の世論が「議論」の前と後(=正確には政策レベルで決まった後)とでは賛否が逆転する現象を何度も見てきましたから、「議論の結果がどうなりがちか?」ということを考えるのは決して取り越し苦労でもないかと思います。昔と違い今は「裏で動く」といったやり方ではむしろ「世論」の反発を招くだけかと思いますし。逆に世論のお墨付きが与えられれば何でもありですし。

Posted by: すなふきん | November 21, 2006 07:00 PM

コメントありがとうございます。

K.Tsuchiyaさん
あ、すいません。スパムがきたIPは見境なく禁止にしてしまいますので、近隣にそういうサイトがあった場合にはご迷惑をおかけすることになってしまいますね。IPがおわかりでしたらメールででもお知らせいただければ、解除します。
議論すべきかどうかを議論している人についての報道というと、たくさんあると思いますがたとえばこんなの。産経新聞。抹消されると困るので引用しときます。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20061026-00000005-san-pol


---- 引用ここから ----
核保有論議が活発化

 北朝鮮の核実験を受け、日本の核保有をめぐる論議が活発化している。(中略)
 麻生氏は衆院外務委員会で、非核三原則堅持の政府方針を説明した上、「どうして持たないことになったのか議論することを含め、論議することまで止めるのは言論封殺といわれる」と述べた。さらに「北朝鮮の核保有を前提にすれば、極東アジアの状況は一変した。そういう国が隣に出てきて日本は今のままでいいのか」とも語った。
 一方、久間氏は日本外国特派員協会で講演し、「核兵器が抑止力になり、他国が核兵器を持つことをやめればいいが、逆に核競争になることだってある。将来的には核兵器を持っている各国も廃絶してもらいたい」と述べた。外国人記者から核の傘の下で核廃絶を訴える「矛盾」を突かれると、「非常に矛盾しているところがあるが、日本の周りに核兵器を持った国が存在しているときにわが国は核兵器を持たない。万一攻撃されたときの抑止は米国に頼らざるを得ない」と応じた。(後略)
(産経新聞) - 10月26日8時0分更新
---- 引用ここまで ----

ここに出ている麻生氏と久間氏の主張は、いずれも核保有論議に関する論議というより、核保有論議そのものです。見出し自体「核保有論議」ですしね。
ついでにもう1つ。琉球新報。

---- 引用ここから ----
核保有論議・日本の立場を危うくする
掲載日時 2006-11-12 9:40:00 | トピック: 社説
(前略)安倍首相は非核三原則を堅持する姿勢を再三強調した。中川、麻生両氏も首相と同じ立場で、決して核保有を主張しているわけではない。非核三原則は大前提であり、変える必要もないということだろう。であれば、核保有の議論はまったく無意味だ。むしろ日本に不利益をもたらすものであり、立場を危うくするものだ。
 連立与党を組む公明党の太田昭宏代表が「北朝鮮の核実験への対抗との考えはよくない。論理矛盾だ」と指摘し、中川氏を批判したのもうなずける。
---- 引用ここまで ----

これも見出しは「核保有論議についての論議」ではなく「核保有論議」ですね。まあこれはいいとして、議論は不要・危険だからすべきでないという点を主張するためには、なぜ議論が不要・危険かを論証する必要があります。それが「非核三原則は変えるべきでないと皆考えている」なわけですが、それは核保有論議そのものです。それに、論議そのものが危険なのではなく、論議が実際の核保有に結びつくという懸念があるから危険なわけですから、論議がなぜ危険かを議論することも、核保有論議そのものです。

議論すべきかどうかを、その対象とは切り離して議論することは、論理的には可能でしょうが、厳密にいえばかなり困難ですし、実際にもそういう流れにはなっていません。私は、押し隠すよりも、オープンな場に引っ張り出して威勢のいい夢物語を叩き潰したほうがいいと思います。

議論をすべきと言っている人の中にはYESの人もけっこういるようですが、実際にできると思っている人はそれほど多くないのではないかと思います。ただポーズをとりたい人たちなのではないかと。それに、実情をよく知っている人ほどNOでもあるようですしね。すなふきんさんは日本人を信用しておられないようですが、少なくともこの点に関しては、私はけっこう信用できるのではないかと思っています。なんせこれ、郵政民営化とか内閣支持率とかみたいな「ちっこい」話じゃありませんので。

Posted by: 山口 浩 | November 22, 2006 10:36 AM

具体例ありがとうございます.
さっそくこの例をネタにひとつエントリを書いてみました.

http://fridge-shell.blogspot.com/2006/11/blog-post_22.html

フィルタリングされるIPはpingを送信するサーバのアドレスでしょうか.
だとしたらHaloScanを利用しているので仕方ないかもしれません(鬱)

Posted by: K.Tsuchiya | November 22, 2006 11:37 PM

K. Tsuchiyaさん
サイト見せていただきました。面白いですねぇ。あれも記述の1つの方法なわけですね。いや勉強になりました。といっても、プログラムのところはあんまりわかってなかったりしますけど。

Posted by: 山口 浩 | November 23, 2006 03:51 AM

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Tracked on November 21, 2006 04:38 PM

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