社会科学系の「擬似科学」対策
富山大学人文学部中国言語文化コースの大野圭介助教授のブログ「朴斎雑志」の最近の記事「『トンデモ原論』――人文系の「ニセ科学」対策」に注目。
このブログについては以前にもとりあげたことがある。この人は以前からご専門の中国古典文学に関する「トンデモ研究」をとりあげたサイトを運営しておられる。上記の記事は、学習院大学理学部物理学科の田崎晴明教授が作られた「『水からの伝言』を信じないでください」というページを引いて、人文科学の場合はどうだろう、と論じているものだ。
大野助教授が書いておられる通り、自然科学分野と比べて、人文科学の分野では、トンデモ研究への対応がより難しくなる。論証において実験を必要とせず、再実験による検証を求めるのが難しいからだが、代わりに「基礎知識の欠如から来る誤解を突く方法」と「論理の矛盾を突く方法」を推奨しておられる。それから、「自らトンデモ説を発表してしまった人や、それに心酔している取り巻き」ではなく、「信じかかっている人や半信半疑の人」に対して、「理を尽くしながら平易に」説く、ということも。
自然科学、人文科学とくれば、あとは社会科学ということになるわけだ。私にはその任は重いので、少し思うところを書くにとどめる。
社会科学分野における「トンデモ」研究への対応は、おそらく、自然科学よりも、人文科学よりも、さらに難しい場合があるのではないかと思う。というのも、社会科学には、たとえば経済学におけるサンスポット均衡みたいな自己実現的な現象があったりするので、たとえトンデモであっても、一定数の人々がそれを信じれば、それが実際に起きてしまうからだ。さらに、それでなまじお金をもうけてしまったりすると、もう手の出しようがない。もうかる理論は、正しい理論なのだ。それで失敗するまでは。
ということもあって、私のやっていることは、大野助教授の挙げられたポイントの中では、「その4 熱くなりすぎない」に近いだろうか。たとえばこんなあたりとかこんなあたりとか。力不足で申し訳ないんだが。
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Comments
トラックバックありがとうございます。
私がこのページで書いたことは、どちらかといえば自分自身の方針の整理と確認、そして自戒のためのものであって、これで絶対大丈夫という完成版ではもちろんありません。もっといい方法や理念を持っている方も恐らくおられることだろうと思いますし、まずは各人がそれぞれできることをやれば十分と思います。
社会科学系のトンデモと言われてもすぐにはピンときませんでしたが、なるほど未来予測というのがありましたね。細木某のようなのは論外としても、エコノミストの予測でもきっちりした方法論に基づいていなければトンデモ扱いされるわけですね。勉強になりました。
Posted by: 朴斎 | November 28, 2006 11:49 PM
朴斎さん、コメントありがとうございます。
いつもブログを拝見しております。社会科学は「流派」による見解のちがいがかなり大きいので、「トンデモ」論議をやると、つい流派間の争いになってしまいがちです。私としては、そのあたりにはあまり巻き込まれたくないので、「それ以前」のやつを取り上げていきたいな、と。
Posted by: 山口 浩 | November 29, 2006 09:09 AM
物理系の擬似科学(ニセ科学批判)を
見てると批判してる人に
トンデモにはまる人とそうでない人を
分ける傾向にあるのが気になります。
トンデモにはまる人=科学がわからない人
といった風
トンデモにひっかかるまたは
トンデモを広める側になる可能性は
人間なら誰でもありえると思うのですけどね。
Posted by: とりばち | December 14, 2006 11:01 AM
とりばちさん、コメントありがとうございます。
確かに、自分がすべての分野について詳しくなるというのは難しいですから、詳しく知らない分野についてはトンデモにひっかかってしまうリスクがありますね。以前、会計学の某教授に真顔で「地磁気って消滅するの?」と聞かれたことを思い出します。私だってトンデモ心理学なんかにはいつひっかかってもおかしくないですし。ただ、まちがいがわかったときに修正できる柔軟性があれば、大きなダメージは避けられるのではないかと思います。トンデモでいろいろ言われる人って、自分の考えを絶対に曲げない傾向がありますよね。そこがポイントなのではないかな、と。
Posted by: 山口 浩 | December 15, 2006 05:58 PM
簡単なまとめを(老婆心ながら)書いておきます。私の主旨は
例えば、具体的には
オノ・ヨーコからのクリスマス・メッセージ
http://www.dreampower-jp.com/peace/xmas_messege.html
については「科学にはなりようもないものを科学として紹介している」という点では明らかに批判されて然るべきでしょう。
しかし、必ずしも『考えることを放棄するように勧めている』と読める文章でなく、そのような批判は当たらないと私は強く思います。ですから、そこまで踏み込んで批判しているかのような印象を与える書き方は避けた方がいい、という主旨です。
つまり、『水伝について肯定的に書いていれば(…略…)である』と断定的に主張したり、考えたりすべきではないのではなかろうか、と私は思う訳です。豊富なご経験に基づいて「水伝について肯定的に書いていれば、(…略…)である場合が多い」という確率的な推察を否定するのものではありませんが…。
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1171275645#CID1172140829
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>「ニセ科学」と呼ぶのは、文脈によっては「疑似科学」という言葉が褒め言葉になるからである。
>具体的にはSF小説やファンタジー小説の批評などで”よくできた疑似科学的説明”などという
>表現が使われる。「疑似」という言葉には価値判断が含まれないということであろう。「ニセ」と
>いう言葉は否定的な意味合いを強く含む
同じ非科学の中で、ニセ科学(真っ黒)と疑似科学(真っ白)の間には、
『グレーゾーン』が広がっている、ということも、もっと強調されていい
ように思っています
http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/weblog/index.php?UID=1137495527#CID1172144165
Posted by: こぴこぴ | February 24, 2007 12:25 AM
こぴこぴさん、コメントありがとうございます。
いくつかあります。
(1)科学というのは単なる主張ではなく、検証によって積み重ねていくものです。そのルールに従っているのであれば、一見とっぴな主張でも、それなりに生き残ることができると思います。
(2)社会科学でも自然科学でも、学問というのは、長い間の蓄積でできています。たとえば「AはBである」というときは、そこに至るまでに数々の研究者たちの成果をふまえて言っているわけですので、それらをふまえずに一足飛びに結論に飛びつくのは単なる独断です。
(3)「グレーゾーン」があるのは確かですが、それが何なのかを主張したければ、まず黒と白についてこれまでに知られていることをふまえるべきです。
(4)科学者を名乗る人間なら、きちんとした根拠のある主張には耳を傾けます。自分が誤りであったという証拠をみれば考えを改めます。「科学者が誤っている可能性」を論じる前に、「自分が誤っている可能性」について真剣に考えてみてください。
(5)私は、エッセイとして「水伝」みたいなものがあるのは悪くないと思います。根拠のない占いでも、人を幸せにできるのなら価値があるのと同じです。ただ、科学的でないものを科学的であるかのように装って主張するのは反対です。
Posted by: 山口 浩 | February 24, 2007 01:14 AM