公約を守らせるしくみってないのか
公約、具体的には政治家が選挙の際等に掲げる公約というと、一般庶民の目からすれば、信用できないことばの代表格とみられているといっても過言ではないと思う。新聞の折込チラシの内容にまちがいがあればうるさくいう人も、政治家の公約が守られなかったとしたら「やっぱり」とあきらめてしまう場合が多いのではないだろうか。
大人げないといわれそうだが、私はどうも納得がいかない。というわけでいつもの妄想と思いつき。
間接民主制というものについてどう考えるかは人によってちがうだろうが、私は、政治家個人に対する信頼によってよりも、掲げた政策やら公約やらに対する支持をもって投票するタイプだ。これも意見が分かれるだろうが、政治家になりたい人、政治家としての能力を持つ人は、けっこうたくさんいる。余人を持って代えがたい人というのも中にはいるんだろうが(不勉強にして私は知らないが)、たいていの場合は、公約が果たせないとなったら、別の人に代わってもらってもいっこうにかまわないのではないかと思う。
そういう考え方からすれば、政治家が公約として掲げたものを簡単に反故にしてしまうというのは、なんとも納得がいかない。特に重要なものであればあるほど。何かいい方法はないだろうか。
10秒ほど考えて、思いついた。たいていの問題は、他の分野にも似たものがある。それを応用するというのは、古今東西ほとんどのイノベーションで使われた定番の手法だ。今回参考にしたのは、自分にとって多少ともなじみのある分野。
政治というのは、いってみれば、信頼を交換する契約だ。単純な交換ではなく、時点のずれた交換。選挙の際に有権者が与えた信頼に、政治家が応える。政治家は、それによって次の選挙の際にまた信頼を受けることを期待しているわけだ。これに似たことが、別の分野でも行われている。
金融だ。
資金を投資なり融資なりするという行為は、資金の出し手にとっては、信頼を与えるということだ。その信頼に借り手が応え、業績を向上させたり資金を返済したりするのは、時間がたった後。それによって、次の機会にも信頼を受け、資金を出してもらったりすることを期待しているわけだ。これって、政治とよく似ていないだろうか。
とすると、公約を守らせるしくみなんて、簡単に作ることができることがわかる。
担保をとればいいのだ。
公約を破ったときに奪われる担保。考えてみれば、選挙のときには供託金を払う。あれも一種の担保といえなくもないから、さほど荒唐無稽な応用とはいえないはずだ。担保物は、現金でも土地建物でもいいだろう。あるいは「党の役職」とか「議員バッジ」ということだってありうるかもしれない。うろ覚えだが、リーダーが目的達成のために大事なものを供するという行為は、昔からあったように思う。歴史的にも「正統」な手法というわけだ。制度を裏打ちするためには、公約の「登記制度」みたいなものが必要だろう。せっかくだから、法務局にでもやってもらったらいいのではないか。供託とも似てるわけだし。
これで公約破りに対するペナルティができた、よって公約を破る政治家は少なくなるのではないか、というのがとりあえず期待される効果だが、実は、このようなしくみの真価は、たぶんその点ではない。真価は、「公約」に関する情報の非対称性を減少させることができるという点だ。私たちは、政治家がなんらかの公約を口にするとき、それがいったいどれほどの決意をもって語られているのか、実際にはよくわからない。たとえ声を枯らして訴えていようとも、土下座して懇願したとしても、それが本心からのものかはわからない。そのときは本心でも、後で考えが変わることだってよくある。いずれにせよ、公約はあっさり破られる。情報の非対称性があるのだ。
公約に担保を付するということは、公約を掲げた者が、その公約の「価値」を評価し、公表するということに他ならない。守れない可能性が高い公約に対して高価な担保をつける政治家は少ないだろう。これによって、政治家にとってのその公約の主観的価値が明らかになる。だから有権者は、これをある程度信頼して投票先を決めればいいわけだ。もう1つ、公約を立てる際、基準をより厳密にしなければならなくなるという効果も期待できるだろう。登記制度のように、公約の達成状況を外部が判断するとなれば、判断に困るようなあいまいな公約では担保を設定することができないはずだ。担保が設定されているかどうかで、その公約が明確なのか、それともあいまいなことばでごまかしているのかもわかるようになる。
政党も、マニフェストに対しては担保を設定するといい。担保物は、当然ながら政党助成金だ。マニフェストは一般的な公約より明確性を重視するから、こうした制度にはなじみやすいのではないか。
ま、思いつきにすぎないわけで、こんな制度が簡単にできるとは正直思えない(政治家にとっては絶対いやだろうし)が、「もし」「仮に」公約を大事に考える政治家がいるなら、これに近いことを「自主的に」行ってもおかしくない、とは思う。さて、できる人はいるだろうか、と挑発っぽく締めくくってみる。
あ、この考えからすれば、政治資金の調達におけるプロジェクト・ファイナンス的手法とかデリバティブの導入とか、いろいろ発展させて考える余地がありそうだが、それはまた機会を改めて。
The comments to this entry are closed.
Comments
野党の場合は公約達成できない場合が多いと思うんですが、どうするんでしょうか?
野党ばかりが担保を没収されたり、議員辞職したりしてますます政権が取れなくなりそうな気がします。
Posted by: ( ゚Д゚)⊃旦 | November 26, 2006 05:31 PM
( ゚Д゚)⊃旦さん(これは何と読むんでしょう?)、コメントありがとうございます。
お気づきいただいてうれしいです。つまり野党は、できもしない公約を乱発してきたということですね。それっておかしくないですか?と私なぞは思うわけです。少なくとも、政権がとれたらやること、政権がとれなくてもやることを分けるぐらいのところから始めていただきたいと。もちろん与党も同じです。約束していいことと悪いこととをきちんと分けてください、といいたいです。
Posted by: 山口 浩 | November 27, 2006 11:38 AM
マニフェストって、政権公約ですよね?
政権を与えないでおいて、「野党は口だけ」などということを言う人がいる一方で、与党の公約不履行は「現実は厳しいから…」などと見逃す風潮があるのがそもそもの問題でしょう。
政権を取れなくてもやることを分けて書くっていうのは、一見いいアイディアに思えますが、実際は、与党の賛成無しにできることなんて、「やってみること」「できるだけ抵抗すること」くらいしかないのではないかと思います。
Posted by: blackdragon | November 27, 2006 02:44 PM
blackdragonさん、コメントありがとうございます。
与党も野党も、できることとできないこと、努力目標と絶対やることを区別して主張していただきたい、というのが本文の趣旨です。
野党ができることは限られているでしょうが、それは野党ですからしかたないのでは?何もすべてに首をかけろというものでもないでしょうし。むしろ与党のほうが困るかもしれませんね。何せたいていのことはできちゃう議席ですから。
いずれにせよ、これは与党、野党のどちらかを利するとかそういうものではないと思います。
Posted by: 山口 浩 | November 27, 2006 02:52 PM
与党と野党でハンデ付けたらいんじゃね?
もともと持ってる情報量が桁違いなわけだしな。与党の担保は倍とか。
つかもともとその担保は選挙なわけだが、政権交代がないので機能してないんだな。
Posted by: 塩 | November 28, 2006 04:54 PM
「公約を守る」ことより、国民生活を向上させることが政治家のより大事なことだと思います。
「公約を守ったけど国民の生活レベルダウン」より「公約を破ったけど国民の生活レベルアップ」のほうがより「まし」な政治家と思います。
Posted by: 電車の中ではいつも寝てます | November 28, 2006 05:09 PM
塩さん、コメントありがとうございます。
ハンデをつけるかどうかは、基本的に政治家の皆さんにお任せするのがよいのではないかと。無理に同じにする必要もないし、有権者はそのあたりの差はわかってくれるのでは?しくみより、まず意欲ですね。
Posted by: 山口 浩 | November 28, 2006 05:11 PM
電車の中ではいつも寝てますさん、コメントありがとうございます。
>「公約を守ったけど国民の生活レベルダウン」より「公約を破ったけど国民の生活レベルアップ」のほうがより「まし」な政治家と思います。
そりゃそうかもしれませんね。ところで、そんな人いるんですか?私は不勉強でよく知りませんけど。
それはともかく、国民の生活レベルが上がれば何でもいいとは、私はあまり思いません。何を公約にするかの時点で、よく考えて出していただきたいというのが私の考えです。
Posted by: 山口 浩 | November 28, 2006 10:47 PM