やり残していないか
もう仕事納めも終わったわけで、一息ついている人も多いだろうが、今年やるべきことをやり残している人がいる。何を隠そう私もそうだが、背中に火のついた状態が続いていると、どうも心理的に逃げ場を探したくなるのが人情だ。
というわけで、他にも「やり残した人」がいるのではないかと2秒ぐらい考えたら、思い出した。
もう仕事納めも終わったわけで、一息ついている人も多いだろうが、今年やるべきことをやり残している人がいる。何を隠そう私もそうだが、背中に火のついた状態が続いていると、どうも心理的に逃げ場を探したくなるのが人情だ。
というわけで、他にも「やり残した人」がいるのではないかと2秒ぐらい考えたら、思い出した。
公務員の天下りに関して、Bewaadさんが、「官僚人事の効率化を通じた天下り廃止私案」というのを書いておられる。なるほどと思う事情が多数。メリット、デメリットを並べてあるのもわかりやすい。
で、思うわけだ。民間企業ならどうするだろう?と。
テレビやゲームの暴力シーンが子どもの暴力性やら何やらを助長する、という例の話について、前々から腑に落ちないことがあった。確たる根拠というより、感覚的に「ちがう」と感じていたことだ。
どの大学にもあるのかどうかは知らないが、少なからぬ大学の教員には「地方営業」がある。各地の高校に行って模擬授業とかをやるというものだ。多くの高校では、進路指導の一環として、大学やら専門学校やらといったところから教員やら入試担当職員やらを呼んできて説明会みたいなことをやる。いろいろな大学から集まった教員が控え室で出番を待つあたりはまさに「営業」にふさわしい趣だが、教室での高校生たちに接することができる機会というのもなかなかないので興味深い。
以下は、そういう場で受けた質問に対して答えた内容を思い出しつつ書いてみたもの。
「賢い消費者」になろう、という話がよくある。広告にだまされず、自分の目でよく確かめて、自分が本当に欲しいもの、必要なものだけを買おうと。テレビのCMに踊らされてものを買うなんて愚の骨頂だと。
それはまあそうなんだが、そんなに思いつめなくてもいいんじゃないかと思う、というなにをいまさら話。
天下り論議がまたしても噴出している。何度も出てくるのは何度やっても成果がないからで、何度やっても成果がないのは何を決めても同時に抜け穴が用意されるからで、何を決めても同時に抜け穴が用意されるのは本気でやってないから、というあたりまではもはや公然の「秘密」ですらない常識。
もちろんそのまた裏には、「天下りのしくみは必要だから」というそれなりの「本音」があるわけだ。確かにそれもわからなくもない。人には職業選択の自由があるし、せっかく蓄積したノウハウを生かさねばもったいない、というのも道理。問題はそれを天下りでやろうとするといろいろな弊害がついて回ること。難しいよねぇ、となる。
しかしちょっと待て。私たちは1つ忘れていることがあるように思う。ちょっとした、しかしとても大きなことを。
新米教員である私も、来年度からゼミを持つことになる。先日そのための申し込みと選考を行ったわけだが、その際、応募者全員にブログ向けのエッセイを書いてもらった。テーマは「食」で、食に関することで「読んで楽しい」または「読んでためになる」ものなら何でもよい、と。ゼミでブログを運営する予定なので、そのためのテストを兼ねている。公開することについてはあらかじめ同意をもらっているので、ここで少しずつ公開していくことにする。人の文章をそのまま載せてすましているわけにもいかないので、私も適宜つっこみを入れてみた。よろしければコメントなどしていただければ。
Winnyをめぐって昨日出た判決については、各所からいろいろなコメントが出ている。ネットの「外」ではともかく、ネットでの大勢は「不当である」というもののようだ。批判の主な理由は「自由なソフト開発を阻害する」というもので、そこに「それがいけないならあれもいけないことなるではないか」的な理屈が付け加わる。
私も批判派だが、法律家でもないし、他の人と同じことを書いてもどうかと思うので、少しちがった観点から書いてみることにする。
あくまでもネタ。マズローの欲求5段階説、というものがある。センター入試にも出るほどだそうだからあえて書くまでもないほど有名な「スタンダード」だが、念のためのメモとして書いておくと、人間の欲求には(1)生理的欲求、(2)安全の欲求、(3)親和の欲求、(4)自我の欲求、(5)自己実現の欲求の5段階なるものがあって、ある段階の欲求が満たされると、1つ上の欲求があらわれる、みたいな階層構造になっているというやつだ。
ぼーっとしてたら、企業の事業活動にもそれに似た段階みたいなものがあるんじゃないか、と思いついた。企業活動の5段階説、というわけだ。もちろん理論的根拠などない。他に似たような、あるいはもっとちゃんとした考えをした人がいるかもしれないが、そのへんも特段リサーチとかしていない。しつこいようだがあくまでもネタということで。
関連業界の方には大反対を受けそうなんだが、やっぱり思うので書いてみる。
もうそろそろやめた方がいいんじゃないか。なんでも「はんこを押せばいい」っていう考え方は。
特段主張とかしたいのではないのであらかじめ念のため。ちょっと前にヘルシンキに行く機会があったのだが、街を歩いていると、地元の人によく声をかけられた。東京だとそういうのは完全無視になるわけだが、どうみても怪しげには見えない人たちなんで、ちょっと話を聞いてみた。
小ネタ。仕事でPCを持ち歩くことがよくある。一度でもやったことのある人ならどなたも同じ思いをするだろうが、とにかくPCというのは重い。はんぱでなく、重い。今はB5ノートを使っているが、それでもだめだ。問題は、いわずとしれた電源関連。大きめのバッテリをつけているのは私の勝手にしても、あのACアダプタというやつ。あれはいったいどうにかならんものか。
というわけで、むくむくといつもの妄想が。「足踏みPC」。
Recent Comments