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December 20, 2006

たまには「賢くない消費者」になったほうがいいのではないか

「賢い消費者」になろう、という話がよくある。広告にだまされず、自分の目でよく確かめて、自分が本当に欲しいもの、必要なものだけを買おうと。テレビのCMに踊らされてものを買うなんて愚の骨頂だと。

それはまあそうなんだが、そんなに思いつめなくてもいいんじゃないかと思う、というなにをいまさら話。

「賢い消費者」論は、典型的には消費者団体の方なんかがお得意の領域なんだろうか。確かにCMの看板に偽りあり、というケースはよくある。JAROにいいつけてやる!みたいな感じの露骨な欺瞞もあるし、もっとわかりにくかったり微妙だったりするケースもある。だまされないように、後悔しないですむように、賢くならねば、というのはまあ道理。

それから最近では、ネットの発達で従来のマスメディアの広告価値が下がってきている、という議論もある。広告をベースとした既存マスメディアのビジネスモデルは遠からず崩壊する、みたいな。こういう人の中には、実はマスメディアの「支配」に対してかねてから憤っていて、それゆえに今みたいなネット口コミビジネスの流行に喝采を叫んでいたりする人が少なからずいるように思う。別にテレビでなくネットの情報で買い物をしたからって「賢い消費者」になるわけではないが、少なくとも彼らの支援勢力にはなりうる。いわば「反大企業、反既存マスメディア」路線みたいな感じ。

いうまでもないが、今のメディアコンテンツ産業のかなりの部分は、広告をベースとしたビジネスモデルになっている。魅力あるコンテンツを提供することによって消費者の関心を集め、そこで広告を見せ、消費者がやがて購入に至ってくれることを期待する。だからスポンサーは自社の商品の顧客になりやすい層の消費者が楽しみそうなコンテンツを作ることを要求し、作る側は数々の技法を用いてその「相関関係」を見つけたり、それを「因果関係」に見せようとしたりと躍起になるわけだ。

そんなのもはや幻想だ、とみるのはある意味正しいのだろう。もちろん昔からテレビのCMはトイレタイムだったし、録画を見るときにはCMスキップが当然だったが、それでもCMに少なからぬ販売促進効果があることは、数々の調査研究結果からみても、数々のヒット事例や消費者的な実感からみても、合理的な根拠のある認識といってよかったわけだ。しかしいまや、そもそもテレビや新聞といったオールドメディアに触れている時間自体がだんだん減少し始めている。ネット広告費がラジオ広告費を抜いて雑誌広告費に迫る勢いなのもそのあらわれだ。テレビ広告費は今のところまだ安泰のようだが、いつまでもつかわかりゃしない。

しかし、だ。

これまたいうまでもないが、面白いテレビ番組を無料で見られるのも、西武が優勝するとバーゲンセールになるのも、すべて、とまではいわないが大半はこの幻想のおかげだ。もし、このビジネスモデルが「完全に」崩壊してしまったらどうなるか。

私たちの娯楽は、メディアが多様化した今でも依然として、オールドメディアである新聞社やテレビ局が作ったものがその中心になっている。どうがんばったって、ネットに流れている情報その他のコンテンツの大半は既存マスメディア発だ。少なくとも今のところは。そしてこれらのコンテンツの制作資金は、そこに集まってくる消費者に広告を見せたい一心のスポンサー企業からの広告費が主体となっている。このメディアに広告を出せば売上が増えるにちがいない、増えてほしい、頼む増えてくれ、という企業の「幻想」が、今のコンテンツ市場の多くの部分を支えているわけだ。

もちろん、仮に既存マスメディアが崩壊したとしても、中長期的には他のかたちでコンテンツが作られ、消費されるしくみができてくるだろう。しかしそれは今すぐではない。少なくともネットの中のメディアで、広告ベースのマスメディアからのコンテンツに頼らず、かつ完全に自前の広告モデルだけでコンテンツビジネスが成り立っているケースはないようだし、広告費収入が消えてすべての制作費を消費者から直接徴収しなければならなくなったら、当面どのくらいの市場が「残る」だろうか。

だったら、少なくとも当面の間、少しは彼らの敷いたレールに乗って「あげて」、この幻想がまだ生きているのだと信じさせてあげるのも悪くないかもしれない。CMの影響力がまだあるのだと思えば、彼らも自分たちの努力が足りない、もっとがんばればもっと広告がとれると信じて、面白いコンテンツをいろいろ作ってくれるだろう。たまには「賢くない消費者」になってあげて、CMに乗せられて買い物をしてみるのもいいではないか。たまには、でいいと思うんだが。

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Comments

広告を載せるビジネスモデルが崩壊すれば、各民間放送局も自ら受信料を徴収しなければならなくなるでしょうね。余談ですが有料のケーブルテレビ番組にはCMはないと思っていたら、実際見たらCMだらけで興ざめでした。ただで見れるというのがいかにすごいことかを実感するわけでして・・・。

Posted by: すなふきん | December 23, 2006 08:06 AM

すなふきんさん、コメントありがとうございます。
現在無料で見られるものが無料でなくなったとしたら、たとえ月100円でも払う人はどれくらいいるのか、ちょっと考えたりします。他では月1000円くらい平気で払ってたりするんですけどね。

Posted by: 山口 浩 | December 23, 2006 02:48 PM

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