« ナンバー・ポータビリティ、11月末 | Main | 企業活動の5段階説…? »

December 10, 2006

そろそろはんこ万能主義はやめにしないか

関連業界の方には大反対を受けそうなんだが、やっぱり思うので書いてみる。

もうそろそろやめた方がいいんじゃないか。なんでも「はんこを押せばいい」っていう考え方は。

要するに、日常生活のいろいろなところで、「はんこを押す」という行為を求められるわけだが、あれって本当に意味あるのか?ということだ。歴史的な意味はおいといて、「今」の時代に合ってあるのか、ということ。

そもそも、法的にいうと、あれは必ずしも必要、というものでもないように思うのだがまちがっているだろうか。民事訴訟法にこんな規定がある。これが直接の根拠規定ということになると思っているのだが。

(文書の成立)
第二百二十八条  文書は、その成立が真正であることを証明しなければならない。
2  文書は、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認めるべきときは、真正に成立した公文書と推定する。
3  公文書の成立の真否について疑いがあるときは、裁判所は、職権で、当該官庁又は公署に照会をすることができる。
4  私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する
5  第二項及び第三項の規定は、外国の官庁又は公署の作成に係るものと認めるべき文書について準用する。

第283条第4号で、「署名又は押印」が求められている。「及び」ではなく「又は」だ。要するに「署名」、つまり自分の名前を自筆で書けば、はんこはいらないということになるように読める。

よくわからないが、この考え方の源流は、明治31年の非訟事件手続法あたりに現れているのではないかと想像する。こんな規定がある。

第九条
 申立ニハ左ノ事項ヲ記載シ申立人又ハ代理人之ニ署名捺印スベシ但署名捺印ニ代ヘテ記名捺印スルコトヲ得
一 申立人ノ氏名、住所
二 代理人ニ依リテ申立ヲ為ストキハ其氏名、住所
三 申立ノ趣旨及ヒ其原因タル事実
四 年月日
五 裁判所ノ表示
○2証拠書類アルトキハ其原本又ハ謄本ヲ添附スヘシ

これだと、原則「署名捺印」で、但書で「記名押印」、つまり本人の署名でなくても(他人でも、機械の印刷でも)名前が書いてあって、そこに本人のはんこがあればいい、というわけだ。はんこの存在が本人証明になる、という考え方だろう。ならば、今の民訴法のように「署名捺印」でなく「署名」になってるところも理解できる。署名は捺印よりはるかに偽造が難しいからだ。

ちなみにだが、外国人の場合は昔から捺印を免れていた。明治32年の「外国人ノ署名捺印及無資力証明ニ関スル法律」にこんな規定がある。

第一条
 法令ノ規定ニ依リ署名、捺印スヘキ場合ニ於テハ外国人ハ署名スルヲ以テ足ル
○2捺印ノミヲ為スヘキ場合ニ於テハ外国人ハ署名ヲ以テ捺印ニ代フルコトヲ得

私の主張は、つきつめると、(1)「署名があればはんこなしでもいいじゃん」、(2)そもそもはんこをやめて署名に一本化したらどうか、の2段階に分かれる。(1)のほうは、民訴法の規定通りなんだが、これが日常生活では通らないことが多い。けっこう、多い。署名してるのに、「印鑑を」っていわれちゃうわけだ。署名したんだからいいじゃん、といってもだめ。「印鑑をください」という。じゃあっていうんで、よくやるように、手書きで名前を書いて○で囲んだりしてみたりする。役所はたいていこれでOKなんだが、企業とか学校とかだとこれでもだめ。「とにかく印鑑を」と迫ってくる。いったいなんで、なんて聞いても「規則ですから」の一点張り。

まあ確かに規則にはっきり「捺印」て書いてある場合はしかたないんだろうが、そもそも法律にも書いてないことを規則にするなよ、といいたいね私は。だってああいうときによく使う三文判って、そこらで売ってる大量生産品じゃん。何の証明にもならないじゃん。ぜんぜん意味ないじゃん。最近だと、パソコンで文書作って印刷すると、そこだけ赤いインクで印影が印刷されるものもある。これなんか、本末転倒以外の何だというのか。こんなものが一定の信用力をもってしまう状態なんて、無益というよりむしろ有害ではないか。

しかし、(2)のほうが影響が大きいかもしれない。例の実印ていうやつだ。法律とか登記とかの関連書類なんかだと、あれのチェックにえらい手間をかける。ぴらぴらめくって同じかどうか確かめる、あれだ。あれも一生懸命やってるのはわかるんだが、実印ったってモノなんだから、精巧に偽造しようと思ったらできるだろう。少なくとも、署名よりも偽造が簡単だろうということは誰が考えたってわかる。本物の実印を第三者が持ち出すことだってありうるんだし。署名するんだったら、いいじゃん実印とかなくたって。同じことは、銀行預金の引き出しなんかでもいえる。通帳と銀行印持ってる人を準占有者とするのは、その昔は技術的、コスト的な制約でそうせざるを得なかったんだろうが、今も同じでいい理由はないと思う。暗証番号とか指紋認証とか、別の本人確認手段ができたんだし。

別に、印鑑業界の方のビジネスを奪えといっているわけではない。もし残したいならもう少し時代に合わせて高度化してくれ、といいたいだけだ。印鑑の目的が本人確認にあるなら、印鑑にも今の技術を使ったより高度な本人確認システムを組み込んでもらいたい。たとえばどんなっていわれても困るが、本人の指紋を認識しないと押せない印鑑とか、インクの中にパスワードを埋め込んで本人が押したことが確認できる印鑑とか、いろいろ考えられるだろう。うろ覚えだが、事務機器の会社なんかが、文書の電子化対策で、電子印鑑みたいなものを販売していたのではないかと思う。そういう高度な機能のものなら、今でも使う意味がある。そうでないなら、署名で充分ではないか。

それに、印鑑には別の使い道だってある。趣味としての印鑑だ。落款みたいなものを、もっといろいろな場所で使っていけばいい。たとえば和服も、かつてはそのほとんどが実用服だった。それが時代の変化とともに、晴れ着が大半を占めるようになったわけだ。それを和服の衰退と呼ぶ人もいるだろうが、文化としての和服が消えたわけではない。それと同様に考えることはできないだろうか。

趣味の印なら自分で作りたい、という方はこちらなど。私も蔵書印とか作れないかといろいろトライしているのだが、まだまだ修行が足りなくて。

※2006/12/10追記
うろ覚えでものを書くといかんといういい例。根拠法についていくつか書いたが、「商法中署名スヘキ場合ニ関スル法律」というのもあって、そこに「商法中署名スヘキ場合ニ於テハ記名捺印ヲ以テ署名ニ代フルコトヲ得」という規定があったらしい。あった、というのは、この法律が2006年5月1日の会社法施行により廃止されたから。本文の趣旨に影響はない。
404 Blog Not Found:「世界最後のハンコロジスト

|

« ナンバー・ポータビリティ、11月末 | Main | 企業活動の5段階説…? »

Comments

私文書はともかく、一部の公文書に見られる「御名御璽」という文言は、かなりの足かせになるのでは、と思いますが如何でしょうか?
 個人的には、ハンコ万能でなくても良いと考えていますが、商慣習のイナーシャが大きい原因の根幹が「御名御璽」に象徴されているような気がするのですが・・・・

Posted by: roi_danton | December 10, 2006 02:37 AM

外国人の署名って、サインのデザインを専門家に頼むことも有るそうなので、日本で言うならば「花押(かおう)」とか「書判(かきはん)」といわれる物に相当するんではないのでしょうか?

本人確認なら、DNA採取用に「つば」付けておけば、いいのじゃないかな?

Posted by: muwmuw | December 10, 2006 01:01 PM

 記名捺印の手法がないと、大企業が作成する膨大な契約書や請求書が作成できないんじゃないかと思います。

Posted by: 通りすがりですが | December 10, 2006 06:08 PM

コメントありがとうございます。

roi_dantonさん
私はあの方々のやっていることが影響しているとはあまり思いません。今の「署名または記名押印」という原則は、あの一族がもっとずっと力をもっている時代に作られたわけで、私たちの日常習慣にはあまり関係していないのではないかと思いますので。

muwmuwさん
サインを専門家に頼むのは「その種」の人々であって、普通の人はそんなことしません。花押が一般人のものでなかったのと似ていますね。唾液というのは斬新なお考えでなるほどと思いますが、一方で本人確認のしくみというのは、販売の現場の担当者や管理者が見てもある程度の判定はつく必要があるので、唾液鑑定機が普及でもしない限り、あまり実用的ではないと思います。

通りすがりですがさん
では印鑑を用いる習慣のない国(世界ではそちらのほうが主流ですね)の大企業はどうしてるんでしょうか?今日本の大企業が膨大な契約書や請求書で使っている「印鑑」の大半は、実際にはカラー印刷に過ぎません。私たちはものを考えるときに、今ある状態を前提としがちなわけですが、それは必ずしも動かせないものではない場合がよくある、ということを頭に入れておいたほうがいいと思います。

Posted by: 山口 浩 | December 11, 2006 09:51 AM

 諸外国の事例については、疑問を提示なされているブログ作成者が当然確認していると思っていました。

 なお、記名捺印制度については商法第32条もまだ生きていますよね。

Posted by: 通りすがりですが | December 11, 2006 02:08 PM

 諸外国の事例については、疑問を提示なされているブログ作成者が当然確認していると思っていました。

 なお、記名捺印制度については商法第32条もまだ生きていますよね。

Posted by: 通りすがりですが | December 11, 2006 02:10 PM

お邪魔します。

印房によれば、印鑑には印鑑の歴史と占い的出世の秘訣がある縁起物だそうです。

「メクラバン」を押すなとお怒りになったある社長様がお支払いを滞らせてしまう事例はいかがでしょう?
または、ダイアル式銀行印なんて無用の長物を礼賛する記事にビックリする預金簒奪者とか?

印鑑であれサインであれ、同一であることは勿論でしょうけど、識別するほどに見てもなかったら、結果は同じではないでしょうか。
お役所の御機嫌取りに印鑑を押すだけですから。

場合によっては現代でも血判を押せという人もいます。

それと聞いた話、デザイン・サインですが、電話営業があるそうです。一件3万円くらいから作ってくれるようです。これまた縁起担ぎで色々講釈が付くと値段も跳ね上がるのだとか。

失礼しました。

Posted by: katute | December 11, 2006 02:17 PM

コメントありがとうございます。

通りすがりですがさん
商法第32条もありましたね。本文の論旨には影響ありません。署名が原則で記名押印はその代用であるともはっきり書かれていますし。だいたい法律を根拠にしてこうすべきという文章でないことは一読いただければわかりますよね。

katuteさん
そういえばそういうのもありましたねぇ「開運印鑑」みたいなの。使いたい人がいるならぜひ今後ともお使いいただければいいと思います。3万円で運が開けるなら、あるいは開けると信じられるなら、安いもんじゃありませんか。
事務効率については、工夫の余地があると思います。本人の意思を確かめる必要があるのなら、いかに時間がかかっても確実に確かめられる方法を使うのが当然でしょう。代理で勝手に印鑑を押せるしくみがあるなら、その人に決裁権限を渡すのがスジだと思います。何のために印鑑を押すのか、それはその目的に照らして充分な機能を持っているのか、そのコストは何か、代替的な手法はないのか、といった一連の検証をやったほうがいいのではないか、もう新しい手段を導入したほうがいいのではないか、というのが本文の主旨です。

Posted by: 山口 浩 | December 11, 2006 04:03 PM

 「法人代表者名+印」の請求書ってどれくらいの割合で発行されていますか?僕の実感として大多数は「法人名+会社印(印刷も含む)」ですよ。だから請求書に関してはおそらく役所以外はなし崩しに「法で定められた用件を満たす請求書は発行されていない」が正解だと思います。

 で、契約書ですが、海外がどうなっているか知りませんか?

 なお、追記ですが、商法第32条は「商法中署名スベキ場合ニ関スル法律」が廃止され商法中に当該条項が生じたと記憶しています。また、旧会社編については、改めて「記名捺印でもいいよ」と会社法内の条文に記載されています。

 やはり、わが国における判子に対する重みは大きいようで・・・。

Posted by: 通りすがりですが | December 12, 2006 11:00 AM

通りすがりですがさん
法人名+会社印は「記名押印」に該当すると思うのですがちがいますか?海外の例を私はごく一部しか知りませんが、知る範囲でいえば、印鑑のないところでは基本的に権限者の署名だろうと思います。いずれにせよ、私がいいたいのは、本文に書いたとおり、法律にどう書いてあるかではなくて、証明力の低い印鑑というしくみに頼るのはやめたほうがいいのではないかということ、そして何より署名に押印を求めるのはやめてくれということです。

Posted by: 山口 浩 | December 12, 2006 10:21 PM

どんどんずれていくようなので書き込まないほうがよいかも知れませんが、海外の契約書では法人・個人を問わず、

>知る範囲でいえば、印鑑のないところでは基本的に権限者の署名だろうと思います。

権限者の署名ですね。私の言う”海外”は北米とヨーロッパですが。私はjuristではなく、契約書など日常的に訳するただの翻訳者です。

ちなみにロンドンの日系銀行で従業員による大型詐欺が発覚したのですが、驚いたころにこの銀行では日本人にも非日本人にも印鑑を作らせており、日常業務で使わせております。というわけで”盲判”バンバンです。私が働いていた合衆国東部にある日系銀行では印鑑は使っていなかったのですビックリしました。

が、この詐欺を行った従業員は印鑑を偽造していました。ちなみに漢字カタカナではなくアルファベットの印鑑です。

ご参考までに。

Posted by: 名乗れませんが | December 13, 2006 10:06 PM

失礼しました、山口様。
私は随分と眠いことを書いてしまいました。
せっかく狼煙が上がったので薪をくべてみたいと思ったのですが、とんだ醜態を曝してしまったようです。

恥の上塗りで、小噺を。
思えば、取引先で唯一請求書の書式が決められていて月末の請求書発行にひと手間を要求し、受付けるのに記入方法の十分の説明がないために7度も差し戻され、宛名も担当者ではない、部署名だ、区長名だと変転した面妖な経験も、唯一でありました。終いには事業者氏名(フルネーム)の入った印鑑捺印のことと、登録業者しか受発注できないのに何を今更なのですが。。。
小額事業取引範疇でも、この煩雑さを考慮すると取引は差し控えるべきなのでしょう。地元のよしみと思ったのに大したご挨拶でした。
そして、それを行政サービスとして改善しようとせず、当然と要求するのは税金の使われ方として疑問ですが、誰も意見しないからなのでしょう。そうなってる、の一点張りでした。

Posted by: katute | December 14, 2006 11:52 AM

コメントありがとうございます。

名乗れませんがさん
情報ありがとうございます。カタカナの印鑑ってなんだか間の抜けた印象ですよね。わざわざ現法のローカルスタッフにも作らせるんですか。仕事のやり方上そうなるんでしょうけど、なんだかなぁ、という感じですね。

katuteさん
事務手続きに決まりがあってそれを守ること自体はしかたないんでしょうが、それが無駄なら決まり自体を直そうとしていかないとねぇ。そのあたり、意欲のある人とない人でえらいちがうわけで、これまたなんだかなぁ、です。

Posted by: 山口 浩 | December 15, 2006 05:52 PM

>アルファベットの印鑑

マヌケです。でも私は個人的には見たことはありません。

実は偽造アルファベット印鑑もかなりカンタンに偽造だと見破られるお粗末さだったのですが、事態が表面化するまで誰も気がつかなかったそうです。

Posted by: 名乗れませんが | December 16, 2006 06:14 AM

名乗れませんがさん
誰も見てすらいないってことを見抜いていたんでしょうね。よく考えると実に危ういシステムですよね。

Posted by: 山口 浩 | December 17, 2006 02:09 AM

ダイアルを回さないと正しい印影にならない印鑑とかセキュリティ強化したものもあるので、そういう業界の努力も知らないで批判するのはどうかと思います。
自分はサインだけの仕組みでは怖いです。
書類を偽造するにしてもサインだけを偽造するのとサイン+印鑑も偽造しなければならないのとでは抑止力も違うでしょうし。
割印に代わるものも無いと思いますし、手間がかかる分守られているところはありますよ。
開運だのなんだのは眉唾だと思いますが。

Posted by: 通りすがり | June 01, 2013 03:16 PM

The comments to this entry are closed.

TrackBack


Listed below are links to weblogs that reference そろそろはんこ万能主義はやめにしないか:

» 世界最後のハンコロジスト [404 Blog Not Found]
なんと私、小飼弾は、前回借りようとした部屋の大家から、店子になることを拒否されてしまった。 ハンコロジー事始め 新関欽哉 理由は、「契約書に認印を押さないから」である。 前回取り上げた株式会社リプラスおよびピタットハウスの株式会社スターツの両....... [Read More]

Tracked on December 10, 2006 02:33 AM

« ナンバー・ポータビリティ、11月末 | Main | 企業活動の5段階説…? »