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January 31, 2007

教育再生会議から学んだこと

東大大学院の本田由紀助教授が、2007年1月29日付朝日新聞の「時流自論」欄で、教育再生会議を批判している。賛否どちらにせよ、この問題に関心はあるが細かいことはよくわからないという方にとっては、いろいろ学ぶことが多いと思う。

私も学んだ。本題とまったく関係ないことなんだが。

この人の基本的な立場は、次の一節に集約される。

教育についての科学的な検証に従事している者をひとりも含まないメンバーから成る教育再生会議が、インパクト重視でまとめた報告書。その提言が、将来この社会を担うすべての子どもたちの毎日の生活を大きく左右しかねないことに対して、計り知れない危機感を感じる。

読んでそのまんま。「教育についての科学的な検証に従事している」同氏の「危機感」は、将来の子どもたちへの危機感でもあると同時に、自身の「社会的役割」に対する危機感でもあろう。本来なら、委員として入っていてもおかしくなかった人なんだろうし。メンバーをみると、学校関係者ということでいえば、陰山英男氏(立命館大学大学教育開発・支援センター教授、立命館小学校副校長)、 川勝平太氏(国際日本文化研究センター教授)、小宮山宏氏(東京大学総長)、 白石真澄氏(東洋大学経済学部教授)、中嶋嶺雄氏(国際教養大学理事長・学長)、野依良治氏(独立行政法人理化学研究所理事長)、義家弘介氏(横浜市教育委員会教育委員、東北福祉大学特任講師)なんていう人たちがいるわけだが、いずれも教育学の方ではない。

専門外なので評価はできないが、素人として読む限り、本田氏の批判はいずれも根拠のある、的を射たものであるように思われる。要約するとこんな感じ。

・国際比較を行った結果、授業時間数と成績との間に関連は認められない。学力向上のために授業時間数増加を持ち出す必然性はない。
・学力を調査したところ03年度調査結果は01年度調査結果より上昇しており、学力低下が直線的に生じているわけではなく、国際的にも高い水準を維持している。
・ただし、OECD調査をみると、成績上位層は低下していないが、下位層の比率と点数低下傾向が増大しており、「底抜け」が生じている。
・また、勉強好きの子どもの比率が国際的にみてきわだって低い。
・子どもが教育内容に生活や将来との関連性や意義を見出し得ていないのが問題なのだ。
・この傾向は近年のことではなく数十年来続いてきた。
・今必要な対策は以下の2つ。
 ①教育の「量」ではなく教育内容の質的な改善である。具体的には教育内容において実生活や仕事との関連性を強化し明示すること。
 ②履修主義から習得主義に転換するなど、「底抜け」防止の制度的しくみを導入すること。
・「愛」「規律」「奉仕活動」を押し付けても子どもは内面的な離反を強めるだけだ。

ふむ。なるほど。基本的認識のレベルからちがう、というわけだ。教育再生会議において交わされたであろう、日常感覚やら個人的な現場経験やらに基づいた議論だけではだめ、というのはまあ一般論として理解できる理屈ではある。ただ、これに関して異議を申し立てるものではないのだが、おそらく、こうした「専門家」がこれまで、世間を納得させる充分な説明や、具体的な結果を出してこれなかったからこうなったという側面は否定できないだろう。今回の朝日新聞の短い文章では詳細がわからないという点もあるが、高校での授業内容が減った結果大学側で補習をしなければならなくなった事例はどう考えるのかとか、底抜け現象は塾に行ける者と行けない者との差に関係はないのかとか、いろいろ補足してもらいたいこともある。じゃあ提唱される対策をすれば解決するのかという点も、これだけではよくわからない。そもそも、現在の状況はベストなのか、そうでないとすれば専門家たちがいたにもかかわらず現在の状況が生じたのはなぜか、ということもあるわけだし。

私の、あくまで素人としての考え方は、「子どもを鍛えなおしたいと思うその同じ内容でまず大人、特に親を教育すべき」という半ば暴論だが、それはおいといて。時節柄そこはかとなく「地雷の予感」がするので、小心者かつ卑怯者の私は、今回の本田氏の主張に対するコメントを差し控える。私が学んだのは、本田氏の主張そのものとはまったく関係なく、教育再生会議において現在進行中である「その分野の専門家を含まない『識者』の委員会による提言を法案にして無理やり実行させるモデル」の可能性だ。

これまで、ある政策課題について検討するというと、審議会とか研究会みたいなものが作られて、そこに専門家が集められ、官僚のサポートだか誘導だかを受けて結論が導かれ、それを受けて法案やら何やらにつながっていくという経緯をたどるのがふつうだった。これだとまあ安心してみていられる反面、面白味のない結論になりがちだ。これに対して、前の政権がやったのは、政治主導でごく少数のブレーンが主導して政策の骨格を練り上げ、身内に対立軸を作りだして世論をあおり、強引に主張を通すやり方。破壊力はあったが、軋轢も大きかった。今の政権がやっているのは、これらのミックスとでもいおうか。政治主導でありながら、「識者」の意見を集約する。しかしこれまでのような「ドンピシャ!」の専門家ではなく、そこからやや離れていて、これまでその意見が直接反映しにくかった人たちだ。「ドンピシャ!」の専門家たちの考えに対して、おそらくはそれぞれの立場から不満なり考えなりを持っていただろう人たち。その分野については「部外者」だから一般庶民の考えもそこそこ反映している。しかも、これまでとちがって考えが一致してないから、議論がけっこう紛糾したりする。

ご不満な人も多いだろうが、こういう手法自体は、ひょっとしたら、もっと活用の余地があるかもしれない、と思った。何かの方針を決めるための議論で、専門家だけの議論は、意見が対立した場合どちらも絶対に下りないから収拾がつかない。だからあらかじめ人選段階で一定の方向性をもたせる必要があるわけだが、あらかじめ方向性の決まった出来レースみたいになってしまってはつまらないし、やる意味がない。それに、専門家は既に既存の政策決定になんらかのかたちで関与している可能性が高いので、改革をしようという場合にはそこそこ高い確率で抵抗勢力になりうる。意見が対立して議論が紛糾するのだって、ライブ感があるし、真剣に議論しているのがわかって悪くないではないか。なんなら「朝まで生会議」だってやってもらったらいい。専門的知見の価値はもちろん認めるが、少なくとも大きな政治的課題でテーマが国民生活に密着したものであれば、ポピュリズムとか世論誘導とかさまざま考えられる弊害に注意しつつ、「一般人の常識」を生かす余地を探る努力というのを、少しは払ってもいいように思う。

今回の教育再生会議が、そういう意味で成功したのかどうかは、よくわからない。前政権の時代にも、道路公団民営化の議論で作家の猪瀬直樹氏が「活躍」したわけだから、この種のやり方として初ということでもないだろう。ただ、例が積み重なっていくと、どんな場合に使えるかとか何に気をつけるべきかとか、多少なりとも経験が貯まっていって、1つの手法として定着していく可能性もあるのではないか。

個人的には、これは政治・行政分野でけっこう幅広く使える余地があると思う。もちろん、テクニカルな要素が強くて「素人議論」の出る幕がない分野というのもたくさんある。しかし一方で必ずしもそうとはいえない分野もたくさんあるはずだ。特に、「その世界」の常識が一般庶民の常識と著しくかけ離れている領域で、こういう手法はぜひ活用していただきたい。たとえば、国会の議員定数不均衡問題とか、政治資金の取り扱いの問題とか、公務員制度の問題とか、いろいろあるだろう。たとえば、教育再生会議の第1回会合で、委員の海老名香葉子氏はこんなことを言ってる。

学校教育以前に親が一生懸命になって、親孝行の子どもをこれからはつくらなくてはいけないだろうと思います。

この考え自体に対しては賛否があるかもしれないが、こういった「一般常識」感覚が政策形成に生かされるのであれば、場合によってはけっこう面白いではないか。教育よりむしろ政治のほうが対象として向いている。海老名氏にはぜひ「(仮称)政治再生会議」委員になってもらって、この調子で「あなた方これでお天道様に顔向けできるんですかッ!」とか、政治家諸氏を一喝していただきたいものだ。

まあ、教育再生会議の議論が政策にどう生かされるのか、帰趨はまだわからない。最近出た第一次報告はまだ読んでいないが、新聞報道で見聞する範囲内ではちょっとどうよという感じもしなくもない。それに、実は「いろいろ威勢のいいことを次々とぶちあげるのはいいがどれも途中でしりつぼみになって結局やらないほうがましだったモデル」のもう1つの例にすぎなかった、というおそれもなしとしない。そうでないことを祈る。日本と日本国民のために、祈る。のだが。

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Comments

>「子どもを鍛えなおしたいと思うその同じ内容でまず大人、特に親を教育すべき」

まったく同感です。
まず、教育再生会議のメンバーを鍛えなおすべきです。
現実を知らんか、欲に走っているやつばかり。

Posted by: spring | January 31, 2007 11:31 AM

springさん、コメントありがとうございます。
再生会議にもいろいろなお立場の方がいますね。ひとことで「現場」といってもいろいろだし、マスメディア情報に依存した印象論みたいな人もいますし。ただ、少なくとも、皆なんとかしたいと思っているのは確かだろうと思います。なかなか難しいですね。

Posted by: 山口 浩 | February 01, 2007 11:40 AM

当意即妙だとおもいます。

ただ、やっぱり教育再生会議に専門家が一人もいないのはどうかと思います。

専門家だけの議論はつまらなくなるけれども、専門家が一人もいない会議は、現状や認識の誤解が誤解を生み続ける可能性が多分にあります。

Posted by: たにも | April 02, 2007 01:09 AM

たにもさん、コメントありがとうございます。
まあ、あの人選自体が政治的思惑の産物という要素があるんでしょうし、私もどうよとか思います。
一部に専門家が入って議論が崩壊した例としては、道路公団の改革のときの例がありますね。要するに話し合って折り合う余地など最初からない、というケースです。
それでも、対立の構図が明らかになったり、固定化した構造を大きく揺さぶるというメリットはあったのかもしれません。
今回の教育再生会議も、せっかくやったからには成果をうまく活かしたいものです。私は、変えること自体に一定の効用があると考えるタイプなので。

Posted by: 山口 浩 | April 02, 2007 09:33 AM

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