学生のエッセイ その9
先日に引き続き、ゼミ選考のために集めた学生のエッセイ第9弾。今回は「食こそ命」な2本。
まずは1つめ。
「食」に関するエッセイ by バナナキャラメルタルト♀
私は食べることが大好きなんです。趣味を友達に聞かれたら、「テニスかピアノ」と答えていたけど、ここだけの話し実際、私の趣味は「食べること」なんだと思います。しかも今のこの季節は秋ですよ!!秋といえば読書の秋やスポーツの秋とかいろいろあるけれど、なんといっても皆さん最後にたどり着くのは、食欲の秋ですよね。食べることは、人間にとって必要不可欠なことです。結局人間はものを食べなければならない運命なのです。おかげで、私は最近着々と体重が増えてきて、なんとなんと5キロも太ってしまったんですよ…。でもこれは、人間の運命ですから!!って思って頑張って自分を励ましてます…。私事を書かせて頂きますが、最近ラーメンにはまっています。ラーメンのうまい店を探すため、こないだ本屋さんに行って、ラーメン図鑑を立ち読みし、熟読しました。熟読した結果、安くておいしそうなラーメン屋を1軒発見いたしました!!さっそく本屋を出てその店に行くと、人がたくさんいましたが、わりと早く食べられることができました。ラーメンが出てくると、ラーメン図鑑にはキムチがのっていたのだけれど、それには乗っていませんでした。なので、私はラーメン屋のおじさんに「これってキムチのってないんですか?」と聞きました。するとおじさんは、「ごめんね~、最近ハクサイの価格が高くってね~。安くなったらまた入荷するからねぇ。」と言いました。キムチがなくても、とても美味しかったけれどグルメな私としては、入れてほしかったぁと思いました。そこは渋谷のあるところにある店なので皆さん探検して探して当ててみて下さい!!渋谷といえば、私のオススメのお店がもう1軒あります。そこはたい焼き屋なんですが、こないだたい焼きの美味しそうな匂いにたまたま遭遇してしまい、たどり着いた店がそこなんです。私は一目見てそこのたい焼き屋を気に入りました。私は感動しましたよ!!ななななんと、それがただの魚の形をしたたい焼きじゃないんですよ。パリッパリでモチモチの生地でしたよ。今このたい焼きの話しを読んで甘いものが無性に食べたくなったアナタ!!そんなアナタのために特別にもう1軒最高のお店を教えましょう。それは渋谷ではなく下北沢にあるクレープ屋です。そのクレープについて語らせて頂きます。まずはなんといっても大きさです。メニューもとくに決まっていなくて、みんな入れてほしい材料を適当に言えばなんでも作ってくれますから。それと忘れてはいけないのがそこのクレープ屋のおばちゃんです。一目見ただけでインパクト大なんです。本当に大きくて最高なクレープなので皆さん一度お試しあれ!!
…一気にまくしたてられた感じ。なんだか最初から最後までえらくハイテンションである。改行ぐらいしろよとか思うのだが、まあ雰囲気は伝わってくる。「食べるのが好き」でない人はなかなかいないとは思うが、わざわざ「大好き」というからには尋常でないくらい好き、ということなんだろう。「秋」とあるのは、書いてもらったのが秋だったということで勘弁いただくとして、「私事を書かせていただきますが」というのは蛇足だな。基本的に私事を書いている文章だし、そこまでへりくだるのもどうよとか思ったりする。渋谷のラーメン屋とたい焼き屋、下北沢のクレープ屋をご紹介いただいているが、店名が書かれていない。ヒントはキムチの載ったラーメン、「パリッパリでモチモチの生地」のたい焼き、「一目見ただけでインパクト大」のおばちゃん、だが、これだけでわかるんだろうか!?正解者には豪華賞品を進呈…はしないが、ぜひさがしてみていいただきたい。
ということで2つめ。
食についてのエッセイ by きなこもち♀
みなさん、食べることは好きですか?きっとみなさん好きですよね?きらいと答える人はそうそういないと思います。もちろん私も大好きです。好きな食べ物を食べているときはもっと好きです。特にすきなのは、仲良しの友達と大好物のアイスクリームを食べているときです。おいしいものを食べているときって自然と楽しくなって心が弾みませんか?今日は、「食」という観点からわたしたち人間について少し考えてみたいと思います。 「人」と「食」とは切っても切れない関係です。第一に、人は食べないと生きていけません。生き抜くために食べ物を食べます。これは当たり前のことですが、人は食べ物を食べると幸せを感じます。これはとても大切で、重要なことだと思います。また、ひとりで食べるより誰かと一緒に食べたほうがおいしいと感じたことはありませんか?私はそうです。家族や友達などと楽しく会話をしながら食べると、おいしいものがよりいっそうおいしさを増すような気がします。また、作った人に対して「おいしい」と伝えることにより、よりいっそうお互いに交流が深まると思います。これにより、私が思ったことは、「人」は「食」を通して「人」と「人」との繋がりまでも得ているのではないか、ということです。 たとえば、私の出身地、秋田での名産、お米を例に取り上げてみましょう。お米はたくさんの人の手によって長い期間をかけて育てられ、その後たくさんの人に食べられます。田植えから始まり、多くの人たちに見守られ、やっと収穫の時期となり稲刈りです。こうして大切に育てられたお米を食べた人々は、作った人に感謝の気持ちを抱き、また、一緒に食べている人と「おいしい」という感情を分かち合うのです。これこそがコミュニケーションだと思います。人から人へと交流が深まっていくのです。 このように、わたしたちが日々何気なくしている「食べる」という行為は、実は奥が深く「人」と「人」とのコミュニケーションさえも生み出しているのです。 おいしいものを大好きな人と食べる、それだけでしあわせになれるのです。何て素晴らしいことでしょう。 さあ、今日もおいしいものを食べてしあわせを感じてみませんか?
こちらはやや冷静だが、食にかける情熱は負けていない。、「『人』は『食』を通して『人』と『人』との繋がりまでも得ているのではないか」とはなかなかだが、
「これこそがコミュニケーションだと思います」
↓
「人から人へと交流が深まっていくのです」
とどんどん盛り上がっていく。しまいには
「おいしいものを大好きな人と食べる、それだけでしあわせになれるのです」
↓
「何て素晴らしいことでしょう」
↓
「さあ、今日もおいしいものを食べてしあわせを感じてみませんか?」
までいくと、さすがに少々引く人が出てくるのではないか。いや、別に文句はないんだけどさ、いいと思うけどさ、みたいな。この感じ、なんかまちがって歌声喫茶に入っちゃったみたいな、と書いたらわかるだろうか。
このエッセイで面白いのは、「作った人たちへの感謝」が「人といっしょに食べる幸せ」と結びつけて論じられていることだ。エッセイから離れてちょっと考えてみる。「大切に育てられたお米を食べた人々」が「作った人に感謝の気持ちを抱」く、というのはまあ正論として、じゃあもし大切に育てられてない食べ物があったとしたら、私たちはどんな態度でそれに臨んだらいいんだろう。某外国の労働者を低賃金、過酷な条件の下で働かせて育てた某作物を私たちはどう食べるべきなのか。経済学的にはもちろんいろいろあるんだが、それ以前の「人として」部分がちくちくとするってこともあるし、だからといってじゃあ何ができるのよ的なあきらめもあるし、やっぱり安いほうがいいじゃんみたいなのとか、そもそも彼らと私たちとでどちらが「幸せ」なのかとか、千々に思いは乱れるわけだ。うーんなかなかに深いね。
そういえば上の2人とも、ペンネームに「♀」がついてる。わざわざ書かなくても文章でなんとなくわかるんだがね。なんか「ニドラン♀」みたいな感じがしなくもない。ま、ともあれどんどん食べてどんどん幸せになってくれ。ただし体重には気をつけて。運動も欠かさずに。「なんとなんと5キロも太って」が10キロとかなっては困るだろうし。いや別に私は困らないけどさ。
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