アメリカ人はなんで首チョンパで笑うんだろう
小ネタ。誰しも自分なりの「笑いのツボ」みたいなものがあると思う。こういうのをみるとおかしくてたまらない、みたいな。みんなのそれを集めると、集団としての「笑いのツボ」みたいなものになるかと思う。笑わせるエンタテインメントというのはどの国にもあるんだろうが、それらはそのターゲットとする人々の「集約された笑いのツボ」みたいなものを狙うことになるんだろう。
なので、海外の「笑い」の中にはどうにも理解できないものがあったりするわけだ。これも事情を知ってる方には何の不思議もない話なんだろうが。
Catroon Networkの深夜帯は、「Adult Swim」と呼ばれる。大人向けの、というわけだ。実際この時間帯になると、「大人の楽しみ」なんて日本語が画面に出てくるのでいったいなんだと思うが、大人向けで何が変わるかというと、別にそっち系のものになるのではなく、主に暴力表現が露骨になるわけだ。日本でゴールデンタイムに放映されている「犬夜叉」なんかもこの「Adult Swim」の枠。暴力的、ということなんだろう。
このへんからしてすでによくわからなかったりする。詳しくは知らないが、たとえば人間に対して暴力をふるうのはだめだが人間でないものに対してはいいらしい。だから、健全なるお子様がテレビを見る時間帯には人間同士で戦うものはだめだが、人間がモンスターを倒すヒーローものは問題なく放映されるわけだ。この種の番組では、モンスターもけっこう重要な登場キャラクターだったりするわけで、モンスターに感情移入する人もいるだろうと思うんだが、そのあたりは気にならないらしい。まあこれは本題ではないのでおいといて。
本題は、深夜帯に放映されている番組の暴力表現についてだ。番組名を確認し損ねたのだが、GIジョーとかバービーみたいなああいうビニール系の人形を使った人形アニメを放映しているのだが、これがまた無意味に暴力的。ナンセンス系のギャグなんだが、何かというと、すぐ首をはねる。懐かしい言い方をすると、まさに「首チョンパ」という感じ。作りからみると、どうもそこが「笑いのツボ」らしい。
で、思い出したのがタランティーノのこれ。これにも「首チョンパ」のシーンが出てくる。
私はこの映画をワシントンDCで見たのだが、「首チョンパ」を含め、一刀両断で血が噴水のように吹き上げるシーンで、いったい何がおかしいんだか、アメリカ人の観客はゲラゲラ笑っていた。そのときは一瞬、ごく特殊な趣味の人々かと思ったのだが、それ以外の場所でも似た光景をよく見かけるので、きっと「首チョンパ」は(少なくとも一部の層の)アメリカ人の平均的な「笑いのツボ」なのではないかと思う。日本にも、他の国にも、そういう趣味の人はもちろんいるんだろうが、少なくとも日本では、そうした光景を見たことはないので、アメリカにおけるよりずっと「特殊」な趣味、ということなんだろうな。そういえばゲームなんかでも、アメリカのもののほうが、日本のものより平均してはるかに暴力的だったりするように思う。
まあ、「首チョンパ」のテレビ番組やら映画やらが好きだからといって、現実にそれをやりたいと思っている人ってわけじゃないだろうし、どうこういうつもりはないんだが。そういうのを見てもどこが面白いのかまったくわからない、というだけの話だ。とはいえ、こういう国の人たちに「日本製アニメは暴力的」なんていわれるのはなんとも心外な話ではある。
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Comments
ヨーロッパではギロチンに見物人が集まったといいますが,タランティーノの場合はそっちの文脈ではなく,日本特撮映画を勉強しすぎた結果,ああなったのだと思います.
たとえば「真田幸村の謀略」は首を派手にはねてカタルシスをおぼえるよりも笑ってしまいました.
http://douga.nifty.com/cs/story/title/30544641/1.htm
Posted by: 山根 | March 31, 2007 02:24 PM
ちょーてきとうなこというよ。日本なんかだと切腹→介錯の流れがある上に、人体を一刀両断してしまう切れ味鋭い日本刀というものがあるので、首ちょんぱにはそこはかとなくリアリティを感じてしまうのですが、アメリカだと開拓からいきなり銃の世界なので、人体をスパッと切り離すということに対してリアリティが感じられず、ナンセンスなものとして受け取られ、笑いどころとなるのではないかと。
俗流文化論でした。
Posted by: うべべ | March 31, 2007 03:45 PM
コメントありがとうございます。
山根さん
日本の特撮映画で首チョンパって一般的だったんですか。普通に見ているつもりなんですが、あまり印象がなくて。ただ、あれで笑うセンスというのは、日本ではあまり一般的でないように思うのですがいかがでしょうか。敵の首をはねて爽快感、ならまだわからなくもないんですが、登場人物がノリツッコミの流れで首チョンパ、ですので。
うべべさん
どうなんでしょうかね。切腹の場合には首を飛ばさない、とよく聞きますが。たぶんこういうのって、いろいろな国の事例を集めて比較すると見えてくるんじゃないかな、と思います。
Posted by: 山口 浩 | March 31, 2007 08:20 PM
参考になるかどうかわかりませんが、こんな記事がありました。
http://ask-john.cocolog-nifty.com/blog/2007/03/anime_6b9d.html
Posted by: babelap | March 31, 2007 09:52 PM
ツッコミの流れで首チョンパ、というのはタランティーノの東映路線への忠実さとは違いますね.むしろアメコミのキャラクター描写の本流でしょう.
大塚英志が死の描写に注目して,戦時下の手塚治虫作品とディズニーあたりの作品を対比させていたけど,どの本だったか忘れてしまった....
Posted by: 山根 | April 01, 2007 03:27 AM
コメントありがとうございます。
babelapさん
ありがとうございます。本文に書いた人形アニメでは血は特に出てませんでしたが、そのほかにも、登場キャラクターがつぶされたりして毎回必ず無残な死を遂げるものもあったと思います。どちらにせよ、リアルかどうかという問題というより、ことさらに残酷な描写をギャグと受け取るかどうかという話なんですよね、きっと。
山根さん
アメコミにそういうのがあるんですか。知りませんでした。戦時下の手塚作品とはまたマニアックな。さすが大塚英志。とても私ごときが手を出せる領域ではありませんね。
Posted by: 山口 浩 | April 02, 2007 12:54 AM
ホラー(サイコサスペンス?)映画「SAW」を見たときDVDのオーディオコメントで監督が恐怖シーンで笑ってるのを見て不謹慎だと思ってしまったんです。でも、考えてみると人形が歩いているのをみて怖いと思うか面白いと思うかは非常に微妙な問題ですよね?
ちなみに首チョンパ(?)である意味ギャグになってる日本のものとして「模倣犯」と言う映画があります。映画自体は非常に低評価なんでバカ映画としてしか評価できない感じなんですが森田芳光監督が怖さを表現したのかギャグを表現したのかは謎です。
極限状態になると笑えると言う話しもありますしこの手の意味を考えてみると人間の感情って面白いなと思います。ある意味規制を表現者(作家・映像作家・コメディアン)は皮肉ってるのかもしれません。
日本アニメの暴力性はゾーニングの話じゃないかと思います。平均的アメリカ人として「アニメは子供向け」と考えているため批判されてるのではないでしょうか?ちなみにアメリカでヒットした「サウスパーク」というR指定アニメも批判されてますね。
Posted by: mori | April 02, 2007 05:08 PM
moriさん、コメントありがとうございます。
こわいものを笑う、というのはありえますね。私が見た人形アニメはどう考えても初めからギャグでしたけど。私たちはノリツッコミとしてハリセンで人を叩くのを見て笑いますが、それと同じ感覚が首チョンパにも適用されているように思います。ハリセンと首チョンパの差は思ったより大きくないのかもしれませんね。
Posted by: 山口 浩 | April 03, 2007 09:43 AM
逆に、日本のコメディ見て「なんでたらいが空から落ちてきて、それが頭に当たると笑うんだ?」とか、そんなこと思われているんじゃないでしょうか。
一応個人的な考えを書いてみますと、人が死ぬというのはそれはもちろん大変なことで、たとえ100人殺した極悪犯だろうと死刑になると賛否両論繰り広げられるのが現状です。更に、アメリカはこの「人の生きる権利」というのにやたらと固執しているところがあるように思います。
で、そういった権利とかシガラミとかを一切無視して、ただ単に娯楽として絵的に派手な「ちょんぱ」で人を殺してしまうわけですから、……なんていうかそのギャップとインパクトさは「うははは、こりゃ面白いや」と充分ギャグとして笑えると思っています。
意表をつくと言う点で恐怖と笑いの誘い方は似ていると思うんですけど、ほんとここら辺の差は理解しにくいですね。
Posted by: kekera | April 09, 2007 02:48 AM
kekeraさん、コメントありがとうございます。
前にも書きましたが、いろいろな国と比較するともっとよく見えてくると思います。それぞれ文化的、歴史的背景があるんでしょうし。
私自身はどちらかというと、文化的な側面というよりは、そういった差が具体的なレーティング等の基準の差に現れるのか、どう現れるのか、みたいなところに興味があります。レーティングの比較はいろいろされていると思いますが、首チョンパに限らず、そういう突っ込んだところまでやってるのはあるのでしょうかね?
ひょっとしたら、現場の人とかのほうが詳しいかもしれません。
Posted by: 山口 浩 | April 09, 2007 10:08 AM
参考までにドイツで製作された教習用の動画を。
http://youtube.com/watch?v=oX-13Wyg8Vc
人間には社会的証明という原理が働いて、どう振舞うべきか学習するのでそのせいでしょ。個人的には笑えるけど非道徳と思われたくないので笑わない。逆に臆病だとか男らしくないといわれたくないから喜んでみせる。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E8%A8%BC%E6%98%8E
Posted by: | April 11, 2007 07:45 PM
_さん、コメントありがとうございます。
社会的証明はメカニズムの話ですが、社会が求める振る舞いや個人の心の動きといったものの傾向が国によってちがうわけですよね。それがどこから生じてるんだろう、と思ったわけです。日本人は平均して首チョンパを「個人的には笑える」と思うのか、社会のどんな要素がそれを非道徳と扱うのか。アメリカ人は平均して首チョンパを残酷と思うのか、社会のどんな要素が首チョンパを残酷と思うことを「臆病」と解釈するのか、みたいな。
Posted by: 山口 浩 | April 13, 2007 12:22 PM