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May 09, 2007

うそだと言ってくれ

もともと裏じゃそういうふうに動いてるんだろうということはみんなうすうすは知ってる。きれいごとばかりじゃうまくいかないというのももとより承知の上。でも。でもさ。こんなにぶっちゃけちゃっていいのか。それを言っちゃあおしまいよというか、こういうことを臆面もなく認めちゃう神経ってどうよ、というか。誤報である可能性もある(そうであることを祈りたいね日本のために)のだが、もしこの記事の内容が本当に正しいとするなら、と思うと、一国民としての正直な感想を禁じえないね。

恥ずかしくないんだろうか、と。

そう思ったのはこの記事。

団体の選挙貢献 査定へ
(2007年5月8日付朝日新聞夕刊)
自民党は、参院選に向けた業界団体の引き締め策として、同党への支援を数量化し、貢献度に応じて団体側の要望を政策に反映させる仕組みを導入することを決めた。…

候補者への支援の有無、団体役員による関連団体回りの実施、名簿や人員の提供、集会の実施数、党員獲得数など計20項目を数値化して貢献度をはかるのだとか。「参院選で貢献度の高かった団体に対しては、予算措置や税制改正といった政策要望について『ランク分けして対応する』(党執行部の一人)という」だそうな。

まともな政治家なら知らない人はいない(もちろん多くの国民も)と思うが、「建前」はこうだ。

すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。 (日本国憲法第15条第2項)

政治家の活動は、それが特定の人々や組織を利するものであったとしても、その人々や組織の利益のためにではなく、全体の利益のために行われるもののはずだ。少なくとも、そう答えるのがスジというものだろう。収賄罪における「賄賂」とは、「人の需要または欲望をみたすに足りる一切の利益」を含むのだそうだ。政治家や政治団体が選挙でいい結果を収めるための支援活動も、当然ここでいう「利益」を与えることに含まれるだろう。素人考えだが、政治家が政治献金や選挙協力を受け、当該人や団体の利益につながる政治活動をしても問題にならないのは、職務権限の問題もあるんだろうが、それ以前に、政治家の活動自体は全体の利益のために行われているという理解があるからだと思う。「因果関係」がそこで途切れているわけだ。

記事には貢献度の指標に政治献金を含むとは書いていないが(さすがにまずいと思ってはずしたんだろうか)、もし政治家が、選挙協力という「人の需要または欲望をみたすに足りる一切の利益」に該当するメリットに比例してその政治活動の内容を決めることを公式に認めるのであれば、これは素人目にはもはや「賄賂の要求」とほぼ同等と考えてもおかしくないのではないか。少なくとも、公益性のある政治活動と主張するのは難しいと思う。別にこの党を批判したいわけではないが(どの党でも同じことをいうなら同じように反応するだろう)、これはあまりにあんまりだ。「そういうものさ」とシニカルに構える人もいるかもしれないが、私はまだまだガキなのだ。

繰り返すが、ぜひ誤報であることを祈りたい(あるいは政治家が世論の反応をみるためによくやるらしい「釣り」とか)。日本国民が政権の担い手として選んだ政治家の皆さんだ。まさかそんなことを、と言おうとしてもだんだん声が小さくなっていってしまうのが空恐ろしいが、ぜひうそだと言ってくれ。

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