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「ネットサーフィン」っていわなくなったのはいつのことだろう

とあるところでとある方々とお話していて出てきた話。ちょうどしばらく前からつらつら考えていたことと同じだったので(こういうのをシンクロニシティ!とかいう人もいるだろうが、まあ普通に考えればただの偶然だ)、別に新しい話でもないんだが、書いてみることにする。

「ネットサーフィン」って、最近いわないよねぇ?

Wikipediaによれば、「ネットサーフィン」とは、「ウェブページの閲覧において、各ページを、興味のおもむくまま、次々に表示して閲覧していく行動を、波から波へと渡るサーフィンに見立てた造語」だそうだ。不勉強にして、サーフィンで「波から波へと渡」っていくさまというのを見たことはないんだが、それは私がそこまでできるうまい人を見たことがないだけで、まあ世の中にはそういう人もいるということなんだろう。

別に新しい話でもないというのは、グーグルで「ネットサーフィン」と検索すると、関連検索のキーワードで「ネットサーフィン 死語」というのが出てくるぐらいなので、まあまちがいない。もはや共通認識なのかもしれない。

で、それはなぜなんだろうねという話になったなわけだ。その場にいたのは私のほかに2人。いずれもネットに関しては私などよりはるかに造詣の深い方々。あっというまに3つ(正確には4つ)ほど説が出てきた。

(1)常時接続説
そもそもインターネットは常時接続が本来の姿であって、という原理主義者の方はおいといて、歴史的事実からいうなら、普及し始めたころ、多くの一般ユーザーにとっての「最初のインターネット」はダイヤルアップ接続だった。その気になったときに、電話回線を通じてインターネットに接続し、情報の「海」へとパドリング、というわけだ。ネットサーフィンということばは、当時さかんに使われた表現。インターネットはまさに、冒険に出かける場所だったのだろう。

しかしその後、ネットは常時接続が当たり前になった。いつもつなぎっぱなしで、サイトを開きっぱなし、メールもメッセンジャーもどんどん入ってくる、という状態だ。そうなると、ネットはもはや、「出かける場所」ではない。「いつもいる場所」になる。だから「サーフィン」という語感がそぐわなくなったのではないか。これってなんか王道っぽい説だな。

ただ、この「常時接続」が何を指すかについては意見がいくつかあって、ひとつは今ふうのブロードバンド接続なんだが、いやいやそれ以前にテレホーダイがあったではないかあれは完全な常時接続ではないが影響力からいえばあれが決定的な変化だったのだ、というテレホーダイ説もある。

(2)ググる説
その昔、ウェブサイトを作る際には「リンク集」をつけるのがならわしだった。自分のお気に入りのサイト、便利な情報源などへのリンクを並べただけのページ。それが、今ではあまりはやらないように思う。なぜか、と問うまでもない。検索エンジンを使えばいいからだ。昔の検索エンジンは、正直あまり性能がよくなかった。検索意図とはかけはなれた検索結果に怒るどころか失笑するしかない、ということがよくあった(今でもあるけど、昔よりずいぶんましだね)。ネットサーフィンはこういう時代のものだったのではないか。

めざすページがどこにあるかわからない、どうやったらたどりつけるのかわからないという状況では、ネットの海はまさに「冒険の海」だ。リンク集はその海を行く冒険家たちのための「海図」。しかしいまや状況はかなり変わってきている。たとえば最近は、ウェブサイトを教えるのに、URLを読み上げたりしない。「えいちてぃーてぃーぴーころん、すらっしゅすらっしゅのだぶだぶだぶどっと・・・・」とかやらない。代わりに「○○でググれ」、ですむ(ちなみにグーグルはこの表現をお好みでないようだが、強制はできまい。かつて「ゼロックス」がコピーの代名詞となったように、「ググる」は検索エンジンで検索することの代名詞となりつつある)。

で、要するに、グーグル等現在の高性能な検索エンジンを使うと、適切なキーワードさえ知っていればあらかたのサイトに容易にたどりつける(あくまで昔と比べれば、だけどね)。となると、ネットはもはや「冒険の海」とはちょっといいづらい。これも、いわれるとああそうかもって思いたくなる説得力がある。


(3)カッコわるい説
いやそもそも、という話。日本人にとってサーフィンは今でも、比較的少数の人しかやらない「かっこいいっぽいスポーツ」だ。おそらく、ネットサーフィンということばが生まれたであろう(ちがうかな?)米西海岸地域におけるそれとは明らかにちがった非日常的な語感をもっているはず。少なくとも私はそうだったが、当時からこのことばなんだか気恥ずかしい、という人は少なくなかったろうと思う。そういうことばは、普及してくるとあっというまに陳腐化する。カッコわるくなってしまうのだ。今だと「Web2.0」なんてのもそういう印象で見られているのではないかと思う。要するに、いまどき「ネットサーフィン」でもないよね、という感じで使われなくなる、と。これもあたってる気がするなぁ。

というわけで、いずれもなんだかありえそうな感じ。で、時期的にはいつなのよというと、(1)常時接続説のブロードバンド派とか(2)ググる説なんかだと2002~2003年ごろ、という感じだろうか。これに対して(1)常時接続説のテレホーダイ派とか(3)カッコわるい説なんかだともっと前、たぶん90年代の終わりごろには、という感じか。個人的には後者なんじゃない?という気がするが、識者の皆さんのご意見を伺いたいところ。

別に結論めいたものがあるわけじゃないが、ネットが「冒険の場」から「訪問先」へ、そして今は「住む場所」になったとはいえそう。よく「住人」とかいうしねぇ。今注目が集まりつつある「仮想世界」という考え方って、そういう背景でとらえると少しは現実味がわくんじゃないかな、なんて思った次第。冒険の場ではなく生活の場だからこそ、飾りも潤いも欲しくなるわけで、3D環境やアバターなんかも、そういう流れが影響してるんじゃないかな。

上の話をちょっと書き換えると、インターネットを利用する人というのは、初期の「Explorer」からやがて「Visitor」ヘ、さらに進んで今は「Resident」になった、ともいえる。で、3人で意見が一致したのが、「Internet Explorer」という名前はもうなんか古い感じだね、という点。「ネットサーフィン」時代の名前だもんねぇ。

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