« 声優を起用したETCならもうあるよね | Main | 「ネットサーフィン」っていわなくなったのはいつのことだろう »

「責任を認める」という責任回避術

時節柄、なんだか政治的な意味合いでとられそうな話だが、必ずしもそういうつもりというわけではない。政治関連でもそういうのはあるかもしれないが(実際あると思うが)、それに限らず、他の分野でもあるよなぁ、と思った次第。頭のいい皆さんには「何をいまさら」なんだろうが、私にとってはなんだか新鮮な発見だったので。

「責任」ということばには、いろいろな意味がある。いろいろな使われ方をする。ここが出発点。これをうまく使うと、責任を認める態度や発言によって、逆に責任を回避することができる。主体となるのは、いわゆる「責任者」。ひらたくいえば、「えらい人」だ。えらい人の重要な役割の1つは、何かことが起きたときに自ら犠牲となること。別に「王殺し」までさかのぼる必要はないが、管理責任の名においてえらい人が責められるケースは古今東西いつでもどこにでもある。当然、えらい人としては、自分の身を守りたい。でも、あからさまにそれをやったのでは、見苦しい。自らがえらい立場にとどまることができる力の源泉を失ってしまうかもしれない。さてどうするか。

これが問題になるのは、最近とくに、えらい人への風当たりが一般的に強くなってきたからだ。ネットを含むさまざまなメディアの発達によって「距離」が狭まったということもあろうが、なんというか、社会全体として、えらい人の責任に関する「許容度」が下がってきたなぁ、という印象がある。これまでならうまく逃れられたような事態から、逃れることが難しくなってきているな、と。

だから、かつてのように、いわゆるとかげのしっぽ切りみたいなことをやっても、それだけでは充分な対策とはならないことが増えてきた。「部下がやった」「自分は知らなかった」という言い訳が通用しにくくなったわけだ。「ひとのうわさも75日」というのも、必ずしもあてはまらない。下手をすると自分のほうが75日ももたないリスクがあるからだ。

そこで出てくるのが、「責任を認める」という責任回避術だ。もともと責任者なんだから、「責任」があるのは当たり前であり、ことさらほめるようなことでもない。しかし上記の通り、「責任」にはいろいろな意味がある。きちんと管理する責任、与えた損害を賠償する責任、結果の損得を自分に帰属させる責任。当然、責任のとり方にもいろいろありうる。心を入れ替える。一生懸命仕事する。頭を下げる。損害を賠償する。職を辞する。刑に服する。命を絶つ。(最後のやつは自分でやると周囲が迷惑するのでぜひ控えていただきたい)。複数の職務があれば、当然、責任も職務ごと。これらの中には、えらい人にとって都合のいい責任と都合の悪い責任とがある。うまく使い分ければ、被害を最小限に食い止めることができる。

このうち最も「軽いのが、「責任を認める」という責任のとり方だ。これなら、「私に責任がある」というだけでいい。頭を下げる必要すらない。これでは責任をとったことにならないという人も多いだろうが、実際には意外に効く。責任を自ら認めた人に対してはあまり強く批判しない、という人は少なくないから、うまくすれば、これだけで逃れられる。その次の段階は「頭を下げる」だろうが、まあ軽く下げる程度なら、さほど名誉も傷つくまい。(余談だが、「責任がある」と「責任をとる」のちがいはけっこう本質的だったりするかも。明らかに使い分けてる人とか、いるよね?)

それより重い場合、「報酬を返上する」というのも有力な手段だ。あくまで「返上」がポイント。自ら決断したというかたちが必要なのだ。どうせ報酬全額を対象にするわけでもないし(そのあたりの「さじ加減」が苦心のしどころ)、えらい人ならたいてい収入源も複数あるから、さほどこわくない。金がらみの責任の場合には効果的だろう。

「職を辞する」というやつは、一見かなり重いように見えるが、必ずしもそういう場合ばかりではない。「職」にはいろいろある。中には無給の名誉職、収入とは関係のない役職などもたくさんある。そういう職であれば、何かあったときに返上することで責任をとったようにみせることはさほど難しくない。えらい人がいくつもの職を兼務するのはまさにこのためといっても過言ではなかろう。えらい政治家であれば、党内での職、国会議員としての職、内閣での職、政府内のさまざまな委員会の職、その他の名誉職など、さまざまな職に重層的に就いている。影響の少ない順に辞めていけば、かなり高い確率で「えらい人」の身分とほとんどの収入、何より名誉は守ることができる。

もちろん企業でも状況は似ていて、取締役の地位、代表取締役の地位、社長職、業界団体の職、政府の審議会の職などが重層的になっているから、影響の少ないほうから辞めていけば、すべてを失うケースはそう多くない。うまくいけば、代表取締役社長が代表取締役会長になるぐらいで「責任をとった」と思わせることができるかもしれない(どこかで「代表取締役相談役」というウソみたいなポストを見かけたことがあったが、あれもこういう類なんだろうか)。こういうふうに、役職をいくつも用意しておいて、いざというときに影響の少ないものを辞めるというやり方って、一種の「アバター」というか「身代わり防壁」というか、そういう感じがするな。

何にせよ、自分から責任があることを認め、自分にとって有利なところで、有利なかたちで責任をとることで、望ましくない責任の取り方を回避するわけだ。タイミングは「人から言われる前に」が鉄則だが、早ければ早いほどよいというものでもない。あまり早すぎれば気づかれない分だけ責任のとり損だし、追加で責任をとらされるおそれもある。一方先に批判が集まってしまうと、もはや手遅れとなってしまう。その間隙をついて絶妙なタイミングで責任を認めるワザが求められる。参謀役の腕の見せどころなんだろうな。

最近はいろいろなえらい人が交代で次々とこれらのワザを披露してくれていて、なかなか飽きない。どこを引いて、どこを守るか。どうやって「踏み込んだ決断」と思わせるか。うまい人もそうでない人もいるのはいたしかたないこと。今後も「達人」たちの妙技を期待したい。繰り返すが、しゃれにならないやつはぜひやめてね。

責任を認めるにも「美しい日本」の伝統を、という方はこんな感じで。

|

TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/7022/15646791

Listed below are links to weblogs that reference 「責任を認める」という責任回避術:

Comments

Post a comment