記録史上日本初の「相撲取り」は女性であったらしい
小ネタ。ワイドショーなんかでは今でも朝青龍を追っかけているんだろうか。いや別にどうでもいいんだが、それに関連して、なんだか面白く思ったことがあって。
読んだ人も多いと思うんだが、どうも、記録史上日本初の「相撲取り」は女性であったらしいんだな。
この件について私はまったく知識がないので、単なる受け売り。ネタ元はちょっと前の「R25」。最後のページにある高橋秀実氏の連載コラム「結論はまた来週」の第91回。「帰ってきてねドルジ君」というタイトルがついてる。ドルジ君ってのは、朝青龍の名前、なんだろうな。
このコラムにおける高橋氏の主張は「相撲は元来、取る人ではなく見る人を試すためのもの」であり、「他人の品格を非難するあなた自身に品格はあるのか?」を問うべきである、というわけで、どちらかというと朝青龍を擁護する側のもの。で、別にこの件はどうでもいいのでスルーして、問題はその主張の根拠となった、日本書紀の一節を紹介したくだり。
それによると、
「相撲」ということばが日本で初めて記されたのは「日本書紀」(巻第14「雄略天皇」)
なんだそうだ。どんな話かというと、
あるところに木工名人がいた。彼は決してミスをしないと豪語したので、雄略天皇が彼の目の前で女性を裸にして相撲を取らせた。すると彼は…
ということなんだそうで。この続きはR25か日本書紀そのものかで見ていただきたいわけだが、要するに、記録に残る最初の「相撲」(それ以前の記述に別の名で出ていたかもしれんがそれは知らん。なんせ受け売りなんで)をとったのは女性だったということ。その後の時代でも、女性の相撲取りの話はいろんな文献に出てくるし、今でもいろんなところで女性の相撲が行われてるから、別にうぎゃーって驚くほどのことでもないんだろうが、これが本当なら、少なくとも相撲がその最初期から女性を排除してなかったってのは面白い(日本「初」であったということからすれば、その相撲の「神聖」なる目的も興味深いけど)。
このあたりは詳しい人がたくさんいそうだから、あまり話を広げないでおく。別に今の大相撲に女性力士を認めるべきと主張するつもりもないし(期待する人っている?ある種の人々にはえらくアピールするかもしれないけど)。ま、あくまでもネタってことで。
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