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September 29, 2007

「高橋メソッド」を上回る、かもしれない(ある意味)「画期的」なプレゼンを見た話

DiGRA2007が終わった。DiGRAの本体はヨーロッパが本拠なので、海外から来ていた人の多くはヨーロッパの人だったわけだが、アプローチがずいぶんちがうのだな、というのが第一印象。あっち方向ではLudologyとかが盛んだからなのかもしれないが、literature theoryで企業経営やらビジネスモデルやらを分析すべきであると主張する論文を見たのには正直びっくりした。

いやしかし、ここだけの話それよりもっとびっくりしたことが。

タイトルにある「高橋メソッド」というのは、知ってる人も多いと思うが、プレゼンの一手法だ。リンク先(公式サイト?)の説明はシンプルに「むやみに大きな字が特徴的なプレゼン手法」とある。事例も出ているから、知らない方は、まあ百聞は一見に如かずということで。私はこの手法によるプレゼンを一度見たことがあるが、確かにけっこうわかりやすかった。

この手法の大きなメリットの1つは、プレゼンが楽になることだ。話すことをその順番で細かく表現しているから、スライドを切り替えながらそれを読むように話していくと、そのままプレゼンになる。あがって何をしゃべるか忘れてしまうことも、順番をまちがえて説明が意味不明になってしまうこともない。発表者にとっては心強いだろう。

今回DiGRAで見かけたのは、それを(ある意味)上回る、かもしれない「画期的」なプレゼンの手法だ。何が画期的かって、誰もが考えそうなのに実際にやってるのを見たことがないという意味で画期的なわけだが、なんとそれを実際にやる人がいたのだ。聞き始めたとき抱いた「え?まさか!」が、だんだん「ひょっとして?」「本気かよ!?」「うっそー本気だよこの人」と変わっていき、最後に「こんなことができるんだ!」となったときの「感動」を、ぜひ伝えたいと思った。

その「画期的」なプレゼン法とはいったいどんなものか。

ふつう、学会における学術論文の発表というものは、論文の背景とか動機とかのほか、エッセンスをかいつまんで説明する、というスタイルをとる。書き言葉と話し言葉はちがうし、全部をこまごまと説明する時間はふつうない。スライドはその説明の理解を助けるために、そのまたエッセンスとか、グラフとか図とか、そういったものを映すことが多い。

問題は、論文とは別にそうしたものを用意するのはそれなりに手間がかかるってことだ。もちろんそれなりに手の抜き方はあって、論文の節見出しをそのまま並べて、式とグラフと図をコピペして、とやればそれなりにはなる。しかしそれでは、何を話すかを一から考えなくてはならない。論文ってのは自分の思考の結果なんだから説明くらい簡単だろうというのはやったことのない方の言い分だ。論文として書くときと、プレゼンとして話すときは、話す内容も順番もけっこうちがったりする。それに、そもそもあがり症の方とかだと、ものごとは理屈のレベルではないのだ。その場に立って頭が真っ白になり呆然と立ちつくす、なんて図を思い浮かべて震え上がるといった経験は、学会に限らず、プレゼンをやったことのある人ならぜったいあると思う。

そこで、この発表者は、誰もが一度や二度は考え、そのたびにそんなのできっこないと捨て去ったはずのアプローチをとった。彼は常識にとらわれなかったのだ。

つまり。

論文を丸読みしたのだ。

彼の論文は11ページあった。最初の要約と最後の参考文献は読まないからそれを除いても約8ページ。図はなく、すべて文章。発表時間は20分。かなり早口で読んでも全文を読みきれるかどうか微妙な分量だ。普通の人ならここであきらめるか、全文ではなく「主要部分」を読む、という戦略に切り替えるだろう。

しかし彼はそうしなかった。きっと律儀な性格なんだろう。自分が心血を注いだ論文を一言も漏らさず伝えたいと思ったにちがいない。ではどうしたか。

読みきれない部分をスライドに映したのだ。

幸い、論文の中には他の文献の引用部分が少なからずあった。彼はその部分を残らずスライドにコピペし、その部分を読み飛ばしたのだ。これで、晴れて11ページ(実質8ページ)を20分で読み終わることができた。多少早口だったのはまあしかたがないといったところか。

なんと「画期的」な。

これで「高橋メソッド」にも残っていた問題点である「スライドを作るのがめんどくさい」問題、および「キーワードだけ書いてあってもどうしゃべっていいか詰まってしまうかもしれない」問題が見事に「解決」されたのだ。ある種の「感動」を禁じえない。いやすごいすごい、なわけだが、ただひとつ問題があった。

論文自体が何を言いたいのか正直全然わからなかったことだ。

別に発音とかの問題ではない。自分の力不足かと思ったが、どうもそうでもないらしい。英語を母国語、ないしそれに近いレベルで使いこなせる人たちが多かったと思われる聴衆も、わかっていなかったらしいのだ。こうした学会では質問がばんばん出るのがふつうで、チェアの人が止めるまで激論が続くことも少なくない。セッションが終わってもずっとやってたりするし、そのためにセッションの間には休憩時間を30分ぐらいずつとってあるわけだ。ところが、この論文に限って、質問がまったく出なかった。シーンとしたままなのだ。しかも、聴衆がお互いに顔を見合わせて苦笑してる。こういうときはチェアの人がしかたなく質問やらコメントやらをして場をつなぐのがしきたりで、実際そうなったわけだが、それ以外の質問はなく、そこでおしまい。なんだかほっとした空気が流れたのをはっきりと感じた。みんな同じ思いだったんだろう。

要するに「高橋メソッド」にせよこの方法にせよ、一番重要なのは、自分の考えを、他人がわかるようにまとめることなんだな、という当たり前の結論に行き着く。しかし本当に世の中いろいろあるなぁ、と思った次第。

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