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領収証を要求する人からの香典なんかいらない

政治資金規正法の問題で、領収証を1円からみたいな話があって、それに対して「当事者」の皆さんから反論があるらしい。理想と現実の狭間でいろいろと難しいんだよね、という話なんだそうだが、なんだかとっても居心地が悪い。なんでかなと2.5秒ぐらい考えて、わかった。

当たり前なんだけど、私たちも「当事者」なんだよねこれ。

「反論」の一番典型的なやつは、「香典を出すときに領収書をくださいとはなかなか言えない」っていうやつだ。香典に限らず、政治家が地元対策と称して行うもろもろのサービスやら冠婚葬祭の付き合いやらは、個人対個人のパーソナルな関係を(少なくとも建前上)前提にした行動だから、領収証はとれないという話なんだろう。

でもちょっと待て。香典をもらってるのって有権者、つまり私たちではないか。他人事じゃないんだよねこの話は。自分だったらどうする?って考えなきゃいけないわけだ。他の人は知らないが、私だったら次のどちらかだね。
(1)「領収証を要求するような人からの香典なんかいらない」
(2)「お香典はありがたいから領収証くらいですむんなら書くよ」

どっちになるかはそのときの財政状況とかによるんだろうが、今のところ個人的には(1)。もちろんそれは、「親しくない人からの香典は不要」という意味であって、親しい人が香典を出すに際して「領収証をくれ」というなら、喜んで出すだろう。少なくとも、この件を政治資金の報告に関する言い訳に使うのはスジちがいだ。有権者をダシに使うなんてずるいではないか。

ちなみに、聞くところでは、北海道では香典に領収証を出すのが「常識」であるらしい(リンク先を参照)。北海道といえば、結婚式も会費制が主流という合理的なお土地柄。比較的新しい場所だからできるんだという事情もわからないではないが、そもそも「常識」なんてものは、そんなに固定的なものではないのだ。今はそれが常識じゃない土地でも、必要ならこれから変えていけばいいじゃないの。法律が変わるのは、習慣を変えるいい理由になる。

ちょっと古い話を持ち出してみる。消費税が導入された当時、「消費税分は当店が負担します」っていう店がたくさんあったのを覚えておられる方はいるだろうか。当時の商店主は「突然消費税をくださいなんていえない」と言ってたわけだ。「子どもが100円持って『アイスください』って来たときに『ごめんね。消費税があるから103円なんだよ』なんていえない」とも(今でも某党の人は言ってるかも)。これって今の「香典に領収証」論議と少し似てないか?消費税導入当初は確かにそういう配慮がうれしかったが、今はそうでもない。私たちの「常識」の中に消費税がしっかり刷り込まれたからだ。子どもだって消費税分も持ってアイス買いにくるし、そもそも内税になって定価の中に組み込まれちゃってる。「香典に領収証」だって、慣れればなんとも思わなくなるはずだ。

むしろ考えるべきなのは、「政治家が政治活動の一環として有権者の関係する葬儀に香典を出すこと自体の是非」だろう。もちろん、政治家が「個人的付き合い」で香典を出しているんならいい。でももしそうなら、それはポケットマネーで払うべきだ。政治家がポケットマネーで払うなら、もちろんかまわないし、領収証だっていらない。だけど、税金を払わない収入、政治家としての活動費で払うつもりなら、それと同じ扱いはないだろうって考えてもおかしくないはず。企業だって、香典は交際費にして税金を払ってる。政治家も、領収証をとらないつもりなら、その分に対応する収入は個人の収入扱いにしたらいいではないか。

私たちも考えたほうがいい。確かに香典はありがたいが、本当にその政治家とそんな付き合いがあったのか?その香典の資金をこの政治家はどこからどうやって調達したのか?と。もちろん香典が欲しい状況だってあるだろうけど、それなら領収証くらい出してやろうよ安いもんじゃないの。でも、本筋からいうなら、そもそも親しくもない政治家から香典をもらうこと自体を気味悪く思ってもいいと思う。香典以外のものも基本的に同じだ。「王様は裸」と喝破した子どもなら、「それって買収工作だよね?」というのではないか。ちなみに私の家には、会ったこともない地元の某党政治家の後援会報みたいなのが頼みもしないのに送られてくるが、私は政治家から香典をもらったことはないし、後援会の旅行みたいなのがあっても参加する気はない。

一応、ここまでが本題。で、ちょっと脱線。

この問題に関してはもう1つ、「1円から」の是非っていうのもある。もちろんいいたいことはわかる。領収証を分割する工作を防ぐためだ。1円ならこれ以上領収証を分割できないだろうし。「1円の領収証を出す企業なんてない」とか言った人もいるらしいけど、それは1円の取引がそうそうないからであって、1円の取引があれば1円の領収証を出しても全然おかしくないし、実際充分考えうる。「1円から経理を公開するなんて企業でもやらない」という意見についても、税金を払ってるビジネスの金といわゆる「公金」やら「浄財」やらってやつとで扱いがちがうのはむしろ当然だと思う。

ただ、「事務コストが膨大になる」ってのは、程度問題はあるにせよ(今だって領収証を分割したり同じ領収証をコピーして使いまわしたりいろいろめんどくさいことをやってるんだけどね)、実際そうかもしれないなという気もする。会計をXML化したらいいのにという話は前にも書いたのだが、事務量が増えすぎない工夫は考えてあげるべきじゃないのかと。

個人的には、この問題の最大のキモは会計のやり方よりむしろ公開のやり方にあるんじゃないかと思ったりする。現状の「できるだけ不便にしておけ」「なんとしてもコピーさせまい」みたいなのじゃなくて。領収証だって現物をそのまま公開してしまえばいい。お役所の人手が足りなくてチェックが充分にできなくても、市民団体だの相手陣営だのが隅から隅までチェックしてくれる。「モチベーション」の高い関係者がいっぱいいるんだから、「集合知」を生かそうよ。

ともあれ、「領収証がとれない」問題については、合理的な北海道冠婚葬祭方式を提唱しときたいっていう話。でも、北海道の政治家の人ってこういうのをどう考えてるんだろう?

北海道といえば個人的にはこれ。30個入りでたっぷり大満足。
…あっ、政治家にもらったりしちゃだめね。


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Comments

TVタックルで大竹まことが大体こんなこと言ってた。
「自動販売機からジュースも買えないというが、それくらいポケットマネーで出せよ。俺たちはそんなもののために税金払ってるのか」と。
ここでも庶民の感覚とずれてるとも。
香典もしかり。
これはもう領収証問題ではなく運用の問題。
と、良識(常識)の問題。
こんなことにまで領収書請求してたら、ああこの人は故人に対して1円すら出したくないのねと思われても仕方がない。
しかし、香典に領収証を出すのが常識の地域があるとは思いもしなかった。

Posted by: ナベ | September 12, 2007 at 10:38 AM

ナベさん、コメントありがとうございます。
企業ですと、近距離の電車賃とかジュース代とかは「日当」でカバーすることが多いかと思いますので、別に議員に日当を払ったっていいような気がしますし、実際すでにそうなっているかもしれません。ご指摘の通り、領収証の話はそれとは明らかに別ですよね。
「常識」については、よしあしより「慣れ」の問題ではないかと思います。得意先に電話するとき、私たちはいつから「電話で失礼いたします」と言わなくなったでしょうか。電話で話すことが普通になれば、それは失礼ではなくなるわけです。ここでの本題は、それが常識であるかどうかにかかわらず、香典その他「領収証を相手に請求しにくい性質の費用がある」ことを、政治資金収支報告書に領収証を添付しない理由として挙げるのはおかしい、という主張です。

Posted by: 山口 浩 | September 13, 2007 at 09:42 AM

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