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よいゲーム、悪いゲーム

DiGRA2007の2人めの基調講演者は、Mark Prensky氏だった。シリアスゲーム開発の第一人者として知られる人だ。ペーパーセッションでもシリアスゲームをテーマにしたものがけっこうあって、だからというわけでもないが、「よいゲーム」「悪いゲーム」についてつらつら考える機会があった。

そんなあたりを「メディア・サボール」に書いてみた。
よいゲーム、悪いゲーム

余談。この話の直接のきっかけになったのは、9月27日(木)の「Symposium : Games, Education, and Medical Care 」の後で、パネリストとして来ておられた九州大学病院の整形外科医、高杉紳一郎さんとお話していたときのこと。パネルディスカッションでは、高齢者施設で行われた「ワニワニパニック」を使ったリハビリの実験の話などをしておられたのだが、「ワニワニパニック」ってよく考えてみると動物虐待のゲームだよなぁ、と思ったりしたのだ。これからは今ふうのポップカルチャーを知ってる高齢者も出てくるだろうし、いわゆる暴力ゲームだってリハビリに使えるかも、と思ったのだ。刺激が強い分、効果も強い場合があるかも、と。で、高杉さんに「人によっては暴力ゲームの方が効果がある場合もあるかもしれませんね」といったら、激しく同意しておられたので意を強くした次第。

暴力ゲームによって仮に暴力性が高まるとしても、高齢者の場合は子どもの場合より悪影響は少ないだろうし、実際の犯罪につながるおそれも低いかもしれない。何より、リハビリ効果が高まる場合であれば、そのメリットは大きいだろう。もちろん本人がそういうのを好めばということではあるんだが。とすると「よいゲーム、悪いゲーム」の差ってのは、ゲームの内容そのものだけでなく、どこでどんなふうに使うかも重要なのかも、ということになる。レーティングの有効性がここで問われるわけだ。

テレビは公共性がある、なんていう。しょーもないバラエティ番組はどうなんだよと思わなくもないんだが、あれも国民に娯楽を与えるという大事な役割があって、だから「公共性」の一部なんだろう。だとしたら、暴力ゲームにも、エロゲにも、一定の「公共性」がある、と考えてもおかしくないんじゃないかな。芸人を熱湯に入らせてのたうちまわるさまをあざ笑うのが許されるなら、3Dで作られたキャラクターが首チョンパされることの何を非難できるというのか。逆に、暴力ゲームそのものに問題があるなら、バラエティ番組の視聴年齢制限も検討すべきだ。

いやもちろんテレビを規制しろと本気で思ってるわけじゃない。シリアスゲームの文脈から離れて「人権」ぽいいいかたをすればこうだ。少なくとも他人に迷惑をかけないだけの分別がある大人には、低俗でいる権利がある。ゲーム内で暴力をふるったり酒池肉林におぼれたりする権利も、テレビで恥をさらす芸人をあざ笑う権利もだ。どこからが「迷惑」かについては、いろいろと議論があるだろう。議論していこうではないか。あ、それより以前に、研究が欠かせないな。これはそちら方面の専門家の皆さんに期待。この部分は「科学的」にいかなきゃね。

このあたり、シリアスゲームの領域ではどう考えるんだろうか。みてる限りでは、「よいゲーム」にばかり注目してるように感じられなくもないんだけど。黎明期だからつまらない批判を招きたくないってことなのかな。

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