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October 29, 2007

「利を追わない」は「無駄遣いしていい」ではない

小ネタ。ほとんどの方には自明で、何あたりまえのことを書いてやがるというふうに思われるだろうがご容赦。特定の文脈があるんだがそれは書けないのであくまで一般論として。こういうことをわざわざ議論しなきゃいけない状況ってのが本当にあるのか、というとこれが実際けっこうあったりするからこわい。

以下は自明のことを自明だという自明のお話。

利益を目的としない活動は、たくさんある。あるいは社会貢献として、あるいは恵まれない人のために、またあるいは偉大なる祖国のために。高邁なる思想のためとか単なる自己満足や娯楽のためとかいうのももちろんあろう。本来営利を目的とするはずのものでも、まあ宣伝だからとか、長期的な可能性を追求してとかいうエクスキューズは充分ありうる。いろいろ目的はあるだろうが、要するに、少なくとも短期的には金銭的な利益を得ることを直接めざしていないことは共通。

わざわざ「利を追わない」と書くからには、それはたいてい「赤字を許容する」という場合だ。その裏には「金銭的な利益」を一段階低くみる思想があって、より重要な目的のためには当面の赤字も許容すべき、皆で支えるべき、という議論になるのが普通。個人的には金銭を大切にする発想が卑しいってのはどうかと思うんだが、そういう考え方があることはわかるし、別に文句をいう余地はない。

問題は、こういうことばが実際に使われる典型的な状況では、他にもいろいろついて回る場合がけっこうあるってことだ。

実際に「赤字を許容するかどうか」なんて話をするとき、典型的に問題になるのはすでに赤字になってるものをやめるかどうか、という場合だったりする。赤字がたいへんだからなんとかしようよ、という議論に対する反論としてよく出てくるのが、「利を追うのはやめよ」という主張。社会貢献だから、文化的に価値があるんだから、宣伝になるんだから、多少赤字が出ても認容すべきだと。もうかってるんだからこのくらいなんとかしろと。なんとしても金をとろうというなんて考えは卑しいと。

それはもちろんその通りなんだが、その赤字の少なくとも一部が、本来避けられたはずの無駄遣いのせいだったとすると、話はちがってくる。管理が不充分だったり、旧来のやり方に固執して改善を拒んだり、誰かが私腹を肥やしているのを黙認していたり。自分の金ならいい。他人の金を管理すべき立場だったら、単に赤字を許容すべきかどうかという話ではない。

こういうのを聞くとほんとにがっくりくるんだが、最近は割とものを言いやすい立場になったので、言い方に気をつけつつできるだけ言うようにしている。

「利を追わない」は「無駄遣いしていい」とはちがうでしょう、と。

「利益」ってのは「入り」と「出」(会計的にいうと「収益」と「費用」ね)の差だから収入の話と費用の話とあるはずなんだが、こういう方は利益と収入がごっちゃになっててて、そういう話が通じない場合が少なくない。だから収益の話を除いて、1銭も収入が入らない場合を例に出す。たとえば政府。行政サービスの中には、対価をとらないものがたくさんある。たとえば救急車。救急車を有料にしてお金を儲けようなんてのはありえない話。でも、限りある救急車を有効に使ってよりたくさんの人を助けようと考えるのはちっとも変じゃない。むしろ当たり前。で、同じ予算でよりたくさんの救急車を配備するためには、それと関係ない部分にお金をかけちゃだめでしょう、むしろ利を追わず、営利に走らないからこそ、無駄を徹底的に省く努力が必要なのではないか。

いくら書いても自明なことは自明なんだが、事例を思いつく方には、あえてこの場で書きたくなった気持ちをご理解いただけるのではと思う。こういう人の本音はたいてい「自分の既得権益を奪うな」だから、理屈は通用しないんだよねぇ。というわけでなんらの解決もなく、本日このへんで。

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