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October 14, 2007

グルメでなくて本当によかった

小ネタ、かつ個人的な話。こんなことはほとんどの方にとってどうでもいいことだろうが、私は食べ物に対するこだわりがあまりない。もちろんおいしいものを食べるのは好きだし、実はけっこう好き嫌いがあったりもするんだが、少なくとも「おいしい」と思う範囲が他人と比べて広いのではないか、とよく思う。

イギリスについて、「食べ物がまずい」という評価を聞くことがよくある。たとえば「イギリス 食事」でぐぐるとこんな感じ。「まずくない」という派の人も、「家庭の料理はおいしい」とか、「中国料理とインド料理はいける」とか、「最近はおいしいレストランが増えている」とか「味にうるさい人たちが行くのはここ」とか、何かしら限定をつけたがる。少なくとも、「自分はおいしいものがわかる」という感じの方は「イギリスの食事はまずい」といわないと気がすまないというか名誉にかかわるというか、そんな感じらしい。

正直、なんだか「裸の王様」みたいだな、と思う。

もちろん、いいたいことはわからなくもないんだが、そこまでいうほどかね、と。品揃えが貧弱だってしょっぱくたってさめてたって別にいいじゃん。みんな日本でそんなに「おいしい」もの食べてるのかね。以前海外向けに「正しい日本食」の認証制度を作ろうとした農水大臣(あのプロジェクトはその後どうなったんだろう?「美しい国」と同様消滅したんだろうか)はふだんから「正しくておいしい」料亭とかの高級な日本料理を食べてたらしいが、ふつうの人はたぶんそうじゃないはず。ふだん「昼間はインスタントラーメンですました」とか「食事がさめちゃったけどそのまま食べた」とかを平気でできる人が旅先では急にグルメを気取るのって、ちょっとどうかと思う。まあ期待もあるんだろうけどさ。だったらそれなりの値段を払うなり努力をするなりして、「おいしい」店を探せばいいわけで。

そもそも味って個人の好みじゃん、というのが私の基本的な立場。たとえ海原雄山が絶賛しようとも、自分の嫌いなものが入っていたら「まずい」と思うのが当然ではないか。「Indiana Jones and the Temple of Doom」(1984)で、晩餐で出された「豪華」な料理が食べられず、後で果物にむしゃぶりつくシーンがあったが、まあそういうことだ。それに、味にうるさくなければ、たいていのものをそれなりにおいしく食べられる。これはむしろ、幸せなことではないかと思う。金と時間が無尽蔵にあるならともかく、ふつうの人はいつもいつも料亭やら高級レストランやらの料理を食べられるとは限らない。なまじ味がわかってしまったら、毎日の食事が楽しめないではないか。世間的にいう「おいしいもの」は、自分の嫌いなものが入っていなければ、おいしく食べられる。世間的にいう「おいしくないもの」も、自分の嫌いなものが入っていなければ、それなりにおいしく食べられる。グルメでなくて本当によかったと思う。

イギリスの食べ物についての不満の一部、少なくとも最近の場合は、ひょっとすると、「高い」せいもあるかもしれない。「こんなに高いのに」というわけ。もちろんこれは基本的に為替レートのせい。Economistが毎年発表してる例の「Big Mac Index」をみるとこんな感じ。英ポンドは米ドルに対して21%オーバーバリュー。去年は18%オーバーバリューだったから、さらに上がっている。これに対して日本円は28%アンダーバリューで、去年と変わっていない。

まあ「Big Mac Index」は他のいろんな要素が入ってくるから単純にはいえないんだが、もうちょっとわかりやすくやると、今ビッグマックはイギリスで£1.99、日本では280円。今の為替レートはだいたい240円/£だから、これを使って換算するとだいたい480円ぐらい、ということになる。これは高い、と思うのが自然かと思う。実際、街のスーパーでなんでもない(日本のコンビニで200~300円ぐらいで買えそうな)サンドイッチを買っても£2~3は平気でするわけで、しょーもない安レストランでもランチ£7.95とかは当たり前。個人的感覚でいえば、100~150円/£ぐらいでちょうどいい感じなんだが。観光旅行ならまだあきらめもつくかもしれないが、出張者としては「うぎゃー」と叫ぶしかない。

通貨に起因する物価高感は別にイギリスだけじゃなくて、ドルでもユーロでもそうなんだけどさ。事情もわかるんだけどさ。正直、なんとかならんかと思うね。昔、海外の食事が口に合わない人向けに乾燥日本食なんてものを売ってたが(今でもあるのかな?)、こう高いと本当に日本から持っていきたくなるね。

たとえばこんなの。お湯だけで調理できるから旅行先でも大丈夫。かさばるから、本当は中身だけのやつがいいんだけど。まあ帰りはスペースが空くからその分おみやげも買える、と。グルメの皆さんにゃできない技だね。

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Comments

はじめまして

いや、ホントその通りだと思います。グルメって美味しいもの食べてもそれに満足せず、すぐ次を探しに行くでしょう。あれってホント不幸なことですね。

二日ぐらい水しか飲まなかったら何喰っても旨いと思います。そういう感覚のほうが大事なんですけどねぇ

Posted by: Keisuke hasegawa | October 14, 2007 05:01 PM

はじめまして。

グルメ、って割とひとそれぞれにその意味するところが揺れることばでは? と感じます。

ワタシにとってのグルメは、おいしいものが分かることではなくて、まずいものが分かることです。例えば食事でなくても、高級な緑茶を習慣的に味わっていると、それ以前のものには戻りにくくなる、ということ。

おいしいものが分かって、生活をより豊かに感じられるようになるのなら良いですが、そうでない食べ物への不満が募っていくのなら、つまらないと思います。

実際にその経験があってから、おいしい茶葉を追うのはやめました。
・ おいしいものを味わう特別なときを選ぶ
・ 普段飲むものの質を大きく下げる
というほうが、豊かさが大きいように感じるからです。

『「おいしい」と思う範囲が他人と比べて広いのではないか』とありますが、わざとにしろそうでないにしろ、おいしいものを追うひとのほうが、結果的にそのときを逃していることが多い、ということはあると思います。

山口様は、それと反対のドアから入ってこられたのかな、と感じたので、書かせていただきました。

これからもとても楽しみにしています。

Posted by: diasward | October 15, 2007 01:26 PM

人によって味の好みが違うのは当然として、それを踏まえた上で総合的・平均的に見ておいしくない食事が多いってことじゃないの?

Posted by:   | October 15, 2007 01:43 PM

コメントありがとうございます。

Keisuke hasegawaさん
私は2日間水だけですごした経験がないので感覚的にはわかりませんが、そうなんですか。もちろん、腐ったものを見分けられるぐらいの味覚はないと生物としてまずいとは思うんですがね。「知らぬが仏」ってこともあるよな、と。

diaswardさん
確かに「グルメ」はもはや日常語ですよね。「B級グルメ」と「グルメ」はちがうわけだし。少なくとも、ふだんから「これはおいしい」と思って食べてる人と「これはまずい」と思って食べてる人がいるなら、私は前者でありたい、と切に願います。

 さん
いわんとするところはよくわかります。常識的にいえばそうなんでしょう。ただ、「総合的・平均的にみた傾向」というのをちゃんと検証した人がいるのかどうか私は知りません。「まずくない」と思う人は声を上げないでしょうからね。となると要するに個人の感覚ということになるのでしょうが、このあたり私は信用していません。ブラインドテストをやったとしたら、わかる人、ほとんどいないんじゃないかな。「裸の王様」というのは、そういう意味です。
確かにイギリスのスーパーに行くと出来合いの食べ物がとても豊富で、総体的にあまり料理熱心な印象は受けないんですが、そこらじゅうにコンビニがあって日常的に弁当を買っている私たち一般の日本人がどうこういえるようなことはないと思います。

Posted by: 山口 浩 | October 16, 2007 01:08 AM

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Tracked on October 30, 2007 02:20 AM

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