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「安全」と「安心」

2007年11月17日付朝日新聞「be」ビジネス版で、吉野家ホールディングス社長の安部修仁氏が取り上げられている。さまざまな業界のビジネスリーダーを特集する「フロントランナー」というコーナー。これがなかなか面白かった。

この数年間、この会社が直面した状況というのは、しゃれにならないぐらい「スリリング」なものだったのではないかと思う。テレビ局でいえばゴールデンタイムの放送を禁じられたようなというか、居酒屋が午後5時閉店を命じられたようなというか、そんな感じだろうか。単品経営が競争力の源泉と自他共に認める状況でいかにあの騒動の影響をしのいだか、といったあたりが語られていている。

もうひとつ興味深かったのが、このくだり。

いまの日本を覆っている安全と安心が一緒くたになった情緒的な議論には少し違和感があります。

いわずとしれた「例のあの問題」に関するコメントだ。この人、というかこの会社のスタンスは一貫してたから、こういう発言になるのは当然理解できる。この発言、特に「安全と安心が一緒くたになった情緒的な議論」というあたりは2つの意味で興味深いと思う。

1つめはこの主張そのままの意味。「安全」と「安心」はちがう、それを一緒くたにするのは「情緒的な議論」であって合理性がない、という主張だ。「安全」は客観的リスクであるのに対して「安心」は主観的リスクだから、行政のレベルではそれらは区別すべきというわけ。私は素人なのでよくわからないが、この点どうも報道などでは「事実」のレベルでいろいろ食い違いがあるようにもみえたりもする。しかし、牛肉(そのほとんどが米国産であろう)を1人あたり年間40キロ以上食べる(ちなみに日本人の1人あたり牛肉消費量はだいたい5~6キロ)米国人の間に、その種の病気が多発しているという話は聞かないから、少なくとも牛肉より自動車のほうが「危険」、ぐらいの表現を使ったとしてもレトリックとしてであれば許容範囲ではないかとも思う。

2つめは、にもかかわらず、「安心」は人々にとって重要であるということ。「安心」は「安全」と同じくらい、ひょっとしたら「安全」よりも重要なのかもしれない。「安全」より「安心」を実現するほうがコストは安くつきそうな気がするし。だから、人々が安心を求めるなら、たとえそれが情緒的な議論であっても、それなりに意味があるはず。ただ問題は、「安心」は主観的なものだから、人によってその内容がちがうことだ。そうなったとき、「安心」の基準を画一的に定めてみんなに押し付けるか、情報を提供した上でそれぞれの選択に任せるかのアプローチがあって、今は前者のやり方をとってるわけだが、この点に不満な人も多いと思う。そもそもこの「みんな一緒」方式が、安心を求める「情緒的な議論」というよりむしろ、もっとどろどろしたものの産物っぽくみえるだけに。

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Comments

>「安全」より「安心」を実現するほうがコストは安く
>つきそうな気がするし。

確かに、"(過剰な)安全" は、高くつきますね。

例えば、世の中には、絶対に故障しないコンピュータ
システムは存在しません。コンピュータシステムが
提供するサービス(通信にしろ銀行のシステムにしろ)
を、"安心" して使ってもらうために、2重化すること
(ミッションクリティカルであれば、フォールト・トレ
ラント化し、もう少し低いレベルでいいのであれば、
cluster化する)が一般的ですが、単一の場合の倍以上
のコストが掛かります。

話が飛びますが、漠然とした素人考えですが、

"コンプライアンス不況"

は、過剰な安全を求めているのが、原因かもしれないなぁ、と思っています。(人災かもしれないが)

http://kimuratakeshi.cocolog-nifty.com/blog/2007/11/post_1b6c_1.html
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/57b59395a88d8047407932ed71566fce


>「安心」の基準を画一的に定めてみんなに押し付ける
>か、情報を提供した上でそれぞれの選択に任せるかの
>アプローチがあって、今は前者のやり方をとってる
>わけだが、この点に不満な人も多いと思う。

確かにそうですね。マスコミの流す、一方的な
キャンペーンに辟易している人は、多いと思う。

だから、"ホントのところは、どうなのよ"、と
ネットでググル人も増えているのでしょうね。
ただし、ネットの情報は、玉石混淆なので、有益
な情報を見分け、嘘をスルーする、なんというか、
フィルタリングする力(ちから)も必要ですが。

Posted by: ひろん | November 27, 2007 at 01:16 PM

ひろんさん、コメントありがとうございます。
ご指摘の通り、「コンプライアンス不況」は同じ方向性だと思います。この類の話は、いろいろな文脈で、いろいろな分野で指摘されているので、別に珍しくはないはず。みんなわかってるのにわからないふりしてるんじゃないか、と疑ったりすることがあります。

Posted by: 山口 浩 | November 28, 2007 at 09:37 AM

中西順子さんらの提唱するリスクコミュニケーションとは話題がズレてるので、素通りするつもりでした。
でも、
吉野家がテーブル席を導入 > なぜ特定層に支持されないのかを考える
http://www.senryakukou.com/mlmg/200709/20table.html
という記事を読んで気付いたのですが、「コンプライアンス不況」というキャッチコピーは、それなりに面白い響きがあるのでマスコミが大量に複製すると流行りそうです。アナウンス効果です。
耐震偽装の本当の加害者が行政であり犠牲者が退去執行を受けた住民だったことを思えば他人事としてうかうか笑ってられなくなるんですが、やはり自分の庭を掃いたらそれでオシマイなんだなぁ、と。

Posted by: katute | November 29, 2007 at 10:20 AM

katuteさん、コメントありがとうございます。
超遅レスすいません。
「官製不況」は多くの場合「私製不況」でもあります。「コンプライアンス不況」もその仲間ですね。みんな悪気ではないと思うんですよたいてい。古いことばでいうと「木を見て森を見ない」がぴったりくるかと思います。「いい人」なだけでも、「頭がいい」だけでも、いいリーダーにはなれないんですよね。

Posted by: 山口 浩 | March 16, 2009 at 09:20 AM

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